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ソビエトの戦闘機ポリカルポフ I−16ですが 第二次大戦開始後に生産を再開したとのことですが すでに生産終了している旧式機を再び生産した理由はなんでしょうか? よろしくおねがいします。 おでんくん |
- 出典を忘れてしまいましたが、確か地上攻撃及び地上部隊の支援任務に投入されていた筈です>生産再開分
戦闘機ですから速度もそれなりにあり、200kgまでの爆装も可能だったことから軽爆の代わりに使われたのではないかと愚考します。
薩摩
- >すでに生産終了している旧式機を再び生産した
この話の出典はどちらでしょうか?Wikipediaには再生産とは書いてありますが生産終了とは書かれてないですね。
世傑に生産数年表が載ってますけど連続して生産されています。
一旦減少した生産数が大戦勃発で再び増大したという傾向ならあります。
超音速
- 地上攻撃機ならイリューシンIl-2があるしなんでわざわざ生産終了した機体を再生産したのかと疑問に思って質問したんです。
I−16は大戦開始時には生産終了してるんだと思ってました。
生産は続いてたんですね。
超音速様ありがとうございます。
おでんくん
- 生産終了どころか、実は独ソ戦前年の1940年がI-16生産のピークであり、これまでにない生産数を出しています。「第二次大戦開始後」という文言を「ドイツのポーランド侵入を契機に」と捉えるならば、まさにそれを受けて生産が拡大されているようです。
しかしながら、1941年に入ると急激に生産が絞られ、一部(ロストフ工場)を残してこの年の中で生産が終了しています。
1941年の生産数が、特に主力工場であるゴーリキー工場で1940年の半分にも達していないことを見ると、独ソ戦以前の段階ですでに戦闘機として第一線で使用できる機材ではないとみなされ生産終結が既定方針となっていただろうことが読み取れます。
片
- >一旦減少した生産数が大戦勃発で再び増大したという傾向
これもスペイン内戦により一時的に生産拡大が行われ、その後はまた年間生産数1000機程度の平常に戻った、ということですね。
その時点で旧式化したから生産が絞られた、というわけではなさそうです。
片
- 補足ありがとうございます。片様とは同じ年表を見ているんじゃないかと思います。
大戦勃発時(1939)にはバリバリの主力戦闘機だったのが、独ソ戦開始時(1941)にはMiG・Yak・LaGG等の新戦闘機の生産が始まっていたからですね。
超音速
- こちらはロシア語からの解読でした。>生産数表
いずれにしても、情報のソースは限られているようです。
片