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航空機そのものではなく航空戦史ですがこちらで質問させていただきます。 1940年のフランスの戦いにおいて、フランス空軍の旧式爆撃機群は少数の昼間爆撃やドイツ西部への夜間工場爆撃の例を除き「独軍飛行場・通信線への夜間爆撃に徹した」と言われますが、その出撃規模や具体的な戦果については英語でググった程度ではわかりませんでした。 この夜間爆撃作戦の詳細について読める資料はないものでしょうか。出来れば英語がいいのですが、無ければフランス語資料でも構いません。 tellus |
- ご質問の趣旨がイマイチ理解できてないのですが、旧式爆撃機群とはアミオ143やファルマン221/222などを指しているのでしょうか。
手持ちの資料の中ではIan Allan社のPictorial History of the FRENCH AIR FORCE Vol.2が24ページに亘ってBattle of Franceでの作戦を詳しく解説していますが、そのような記述は見当たりませんでした。
http://www.amazon.com/Pictorial-history-French-Force-1941-1974/dp/B000J40JZ8/ref=sr_1_6?s=books&ie=UTF8&qid=1450417837&sr=1-6&keywords=FRENCH+AIR+FORCE+VOLUME+2
また、Docavia社のL'AVIATION FRANCAISE DE BOMBARDEMENT ET DE RENSEIGNEMENT 1918/1940は機体の開発と部隊編成は詳しく解説されていますが、作戦に付いての記述はありません。
三角野郎
- https://en.wikipedia.org/wiki/Amiot_143#Operational_history
英語版Wikipediaでアミオ143について「Following the start of the Battle of France, the Amiot 143M was mainly used in night attacks against German airfields and lines of communications, with losses relatively low.」と記述があります。
また休戦までに474トンの爆弾を投下したとあり、474トンのほぼ全てが飛行場と連絡線への爆撃に用いられたのならば相応の戦果を挙げたのではないかと思い質問しました。
tellus
- 戦史からアプローチしたら何も出ませんでしたので個々の機体の戦歴を調べてみました。
William Green著 War Planes of Second World War Volume Seven, Eightに以下の記述がありました。
アミオ143
GB I/34、II/34、II/35、I/38、II/38所属のアミオ143は1939年9月3日から1940年5月10日まで敵空域での夜間偵察と宣伝ビラ散布に従事した。但し、GB II/35はブレゲ691及び693に機種変したため所属のアミオ143はGB I/38とII/38に移管された。
1940年5月10日から6月16日までライン渓谷、ベルギー、フランスの鉄道、操車場、橋、道路の夜間爆撃に従事した。5月14日にGB I/34、II/34、I/38、II/38のアミオ143計12機が1度だけセダン鉄橋への昼間爆撃を高度2500フィートから行ったが、無事帰還できたのは1機だけだった。
夜間作戦での損失は以外に少なく、197回の出撃で338626ポンドの爆弾を投下したが、損失は4機だけだった。
ブロシュ210
1940年5月16日当時GB I/21、II/21はまだ少数のブロシュ210を使用しており、6月17日に北アフリカへ送られるまでの間、ライン地方、ベルギー、フランスの夜間爆撃に使用された。この間5機が撃墜され、9機が大破、2機が悪天候で墜落、独軍の爆撃で3機が失われた。
ファルマンF.222
1940年4月15日から6月15日に北アフリカへ送られるまでの間GB I/15、II/15のF.222はライン地方、ヴュッテンブルク、ババリアの夜間爆撃に従事した。この間GB I/15は134480ポンド、II/15は159240ポンドの爆弾を投したが、損失は5月31日の深夜不時着による1機のみだった。
三角野郎
- >夜間作戦での損失は以外に少なく、197回の出撃で338626ポンドの爆弾を投下したが、損失は4機だけだった。
この辺の具体的戦果が気になったんです。投下量自体は決して少なくないですから、命中率が悪くても何も効果が無かったとも思えないのですが……
tellus