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ソビエトのSu-7フィッターは、wikipediaに 「当初Su-7は小型の前線戦闘機MiG-21Fに対し大型の前線戦闘機として開発され、1955年に初飛行を行った。しかしながら、次の生産型Su-7B以降戦闘爆撃機として開発を進めることになり...」 とあります。 低空での性能の良さを買われて攻撃機として発展していった事は分かるのですが、それでは必要とされたはずの"大型の前線戦闘機"というポストが不在になりますよね。 MiG-23はずっと後ですし、そうなるとSu-7に替わってこの時期の"大型の前線戦闘機"を担った機種を私は知らないのですが、"大型の前線戦闘機"というポスト自体が不要になったのでしょうか? あるいは、Mig-21が変貌していったのはこれを担うため、とかでしょうか。 お詳しい方がおられましたら、ご教示いただければ有り難く思います。 たーぼふぁん |
- 結論から言うと、大型の前線戦闘機は戦闘爆撃機に発展的解消したものと思います。
戦闘爆撃機とは核爆弾が小型化して戦闘機に搭載可能になったことから、戦術核攻撃を任務にしたものです。
スホーイに大型前線戦闘機の開発指示が出されるのは1953年8月で、開発中のSu-7(この時点ではスホーイS-1)を戦闘爆撃機化できないかという話が軍から出たのが1955年ごろだそうです。
これはアメリカで、1953年に初飛行のノースアメリカンYF-100Aが戦闘爆撃機化され、YF-100Cとして1955年1月に初飛行したのを見て、ソ連側にはなかった戦闘爆撃機の必要性を感じ始めたからです。
超音速
- >超音速さま
なるほどです。合点がいきました。
詳しいご解説をいただきまして、どうもありがとうございます!
たーぼふぁん