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みなさま、こんにちは。 以前、 "軍用機の開発の事で昔から疑問だったのですが、なぜ要らない軍用機をわざわざ採用するのですか? 例えば、P-59の解説には「運動性が低く、速度もレシプロ戦闘機に劣るものであったため、30機が製造されたのみで、残りはキャンセルされた。」とありますが、それならそもそも1機も製造する必要ないですよね?なぜ要らないと分かっているのに30機も作るのですか? あと、f6uですが、「低性能であったために30機前後しか生産されなかった。」「F9Fが高性能を示していたことや、レシプロ機よりも大幅な性能向上をしていなかったことにより〜」とありますが、だったら1機も要らないですよね。要らないのに何故30機も作るのですか? 軍用機の開発史を見ていると他にも時々こういうのがありますよね?何故ですか?" という質問をさせていただいた時に、 『軍用機は兵器ですから、試作して性能が計画に及ばないという理由だけで中止していると、製造技術を持つ企業が廃業に追い込まれたり、次の機種の生産開始までに設備と作業者が遊休化する場合があります。 そのために欲しい時に欲しいものが手に入らない事態に追い込まれないように発注するという一見不合理な判断が下ることもあります。 軍用機の数を揃えねばならなかった第二次大戦時などでは性能の良い機体に転換することで生産数の低下を招くことを恐れて旧式機種の生産を継続した例も多く、平時には限られた調達数を製造会社の維持育成のために振り分ける例もあります。 軍用機であっても、必ずしも性能第一で発注されている訳ではないということです。』 というご回答をBUNさまよりいただきました。(BUNさま、どうもありがとうございました。) その事をふまえた上で質問なのですが、 そのような配慮がなされても、いまやアメリカの戦闘機製造メーカーで生き残っている企業は数少なくなってますよね。 できるだけメーカーを存続させるような配慮がなされてなお、そうなってしまった理由はどのような事でしょうか?(軍事予算の縮小というのはわかるのですが、それ以外の要素で) 生き残ったメーカーと無くなってしまったメーカーの、その命運を分けた要因というのはどのような事にあったと思われますか? アバウトな質問で恐縮ですが、ご見識をお持ちの方がおられましたら、ご回答いただけますよう、よろしくお願いいたします。 たーぼふぁん |
- 軍用航空機の新機種への更新頻度は、開発も生産も含め、大戦間期や大戦期と今では大幅に違っています。
そのため、放っておけばすべての軍用機メーカーが立ち行かなくなるのを防ぐために、合併が進められるわけです。
アメリカの場合、
ボーイング(+マクダネル・ダグラス)
ロッキード・マーチン
ノースロップ・グラマン
ジェネラルダイナミクス(コンベア)
ベル
シコルスキー
ヴォート
と生き残っています。
大戦期の主力メーカーはほぼすべて永らえている、といってよい感じです。
片
- ジェネラルダイナミクス(コンベア)は余計でしたね。
これはなしということでお願いします。
片
- 特に黎明期のジェット艦上戦闘機を制式化するためには、多くのテストをパスしなければならず、テスト期間の短縮には、多くの(増加?)試作機と、多くのテストパイロット達で、同時並行にテストを行うのが早道です。
まだ戦争中に開発が始まった、米海軍最初のジェット艦上戦闘機のF6Uの生産機数が33機なら、決して多いとは思いません。
FJ-1が31機。
FHが62機。
FRが71機。
など、二桁の製作機数の制式戦闘機は、他にも有ります。
大昔の航空雑誌の対談記事に、どうして米海軍は、こんなに少数機を幾つも制式化したのだろうとの、討論が有りました。青木日出雄氏か、木村秀政氏か、藤田勝啓氏(多分)が、艦上機だから必要機数も少ないし、折角造っちゃったから、制式機にしちゃったんだろうと、結論されていた記憶が有ります。
当時のテスパイはおろか、Jet CARQUALエヴィエーターの事故率に照らして、納得した覚えが有ります。映画「ライトスタッフ」で、その頃の米海軍艦上機やパイロットの状況が伺えます。
佐久間多聞
- 片さま>
いつもどうもありがとうございます!
ほとんど生き残っているとなると、逆に、潰えてしまった企業は、なぜ誰も手を差し伸べてくれなかったのか?という新たな疑問が発生しました。
wikiのブリュースターの項目を見ても、合併や買収を企図したというような話は出てきませんし、海軍にもあっさり見限られたように思えるのですが。
佐久間多聞さま>
ありがとうございます!
>折角造っちゃったから、制式機にしちゃったんだろう
それにしたって、一番要らなそうなFRが多いのは意外です。
たーぼふぁん
- ブリュースターはwikiに書いてあることをみても、
「開発部門に割く余力がほとんど残っておらず」
「試作1号機の完成までに2年を要し」
「試作機の性能も要求を満たすに程遠い」
「大口受注しても、新興メーカーであったこともあって会社の規模が小さく生産体制がそれに応えられない」
「また質的にも製品の仕上げが悪く設計通りの性能が出せない」
とあるわけですが、英語版wikiをみても、
「On April 18, 1942 the Navy simply seized Brewster and put the head of the Naval Aircraft Factory, G.C. Westervelt, in charge.
In mid-May a new board of directors was appointed by the Navy, with Brewster making the F3A-1 Corsair under licence.
When the Navy cancelled Brewster's last contract, for assembly of the Corsair, on July 1, 1944,the company was in serious trouble.
In October, after reporting a large loss, the management decided to shut down the company, and on April 5, 1946, the Brewster Aeronautical Corporation was dissolved by its shareholders.」
ということで、大戦中にすでに海軍から見限られてしまっていることがわかります。
それを温存しなければならないほどの技術的な基盤も生産能力もなかったのです。
片
- FR系列は大戦末期に護衛空母で運用出来る神風迎撃に使用可能な高速戦闘機として期待が掛けられており、発達型含めた各型の大量生産も予定されていました。しかし戦争終結で既発注数の9割以上がキャンセルされるという事態になった結果、あの程度の生産数になったという経緯があります。
大塚好古