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紫電は昭和17年12月末に試作機が完成しましたがその戦力化は、昭和18年 3月に試作機が完成した疾風より遅れてしまっています。 水上戦闘機強風の陸上機化ということを考えれば、紫電改はともかく紫電 は疾風よりも早期戦力化できなければいけなかったと思います。 @発動機が誉二一型で、初期試作機が誉一一型(ハ45特)の疾風よりもエン ジントラブルに悩まされた。 A脚問題をはじめとする、原型が水上機とする諸問題に悩まされた。 B陸上機に経験不足な川西製作のため、諸問題に悩まされた。 C当時の日本の状況を考えると理想的といってもいいほど順調にいった疾風 と比べるのは酷である。 紫電の戦力が疾風よりも遅れた理由としてどれが一番適当でしょうか? 甘えん坊 |
- D強風の開発と平行して紫電の開発もしていたのそちらに労力が取られた。
E自動空戦フラップの諸問題。
以上も追加いたします。
甘えん坊
- 紫電の実戦投入は疾風に比べて遅れてはいません。ただもっと早くなる予定ではありました。
紫電の量産は誉二一型の量産が遅々として進まない、という事態で遅れに遅れ、脚その他の不具合多発で更に遅れたために、疾風の量産と殆ど時期的に変わりが無くなっています。
疾風も事情は大して変わらないのですが、改造機の紫電が遅れたために新規設計ながらも実戦配備が追い付いてしまっているという情況です。
BUN