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誉搭載の機体には、海軍では「銀河」「彩雲」「流星」「紫電」「烈風」があり、陸軍では「疾風」があります。最末期に主力戦闘機として大量に生産され投入された「疾風」はいうまでもなく、「烈風」以外の海軍機もそれ以前の機体より性能も上がり、(敵に対して有効な戦力となったかは別にしても)ともかくも実戦に投入されています。こうしてみますと、「烈風」が際立って遅れているように見えます。発動機選定云々は、遅延の理由としては納得しがたいものがあります。現象面からだけ見れば、軍とメーカーの(コンセプトをまとめるなども含めた大きな意味での)開発力不足が主因かと思えてしまいます。「烈風」遅延の真因は何だったのでしょうか?無論、何かひとつということはないのでしょうが。よろしくお願いいたします。 100万 |
- とりあえずまず前提を埋めるためのお話として、実用化されていたのが一〇型、または二二型以前の二〇型の誉だったのに対し、烈風は二四型であることを指摘させてください。紫電改でも彩雲でも誉二三型、二四型の搭載機は実用に至っていません。
片
- 烈風の試作が遅れているとしたら、それは本来、実用機試製計画上では十六試艦戦であったものが試作発注年度をずらして十七試艦戦として発注された、ということなのか、それとも、十七試艦戦の試作そのものが遅れたということなのかで、話が違って来ます。
実用機試製計画上の年度変更は前年4月に発生した零戦の墜落事故による大改修、十四試局戦の試作、搭載すべき発動機の耐久試験未了など幾つかの要因が挙げられます。
十七試艦戦としての試作スケジュールということであれば、本来の計画での実用化は昭和20年度ですから、色々あった割には概ね順調な進捗状況ではないかと思います。
BUN
- ご回答有難うございました。
紫電などより、ひとつ後の計画機という位置づけになるということですか。
彩雲も十七試だったかと思っていまして、つまり、試作そのものが遅れているように認識していました。
難しいところです。もう一度、色々チェックしてみます。
100万
- 「同じ十七試」である彩雲と烈風の設計は、おおよそ烈風が半年遅れで推移しており、これは基礎設計の完成を意味する実物大木型審査に至るまで同じペースが続いています。
しかしながら、試作機の完成は烈風が一年遅れとなってしまっています。
この間には、烈風に対して風試作工事の促進要求が官から出されており、この理由として三菱の工作部門が他機種生産による圧迫を受けていたことは、三菱の社内文書の中でも反省されています。
片
- 彩雲の試作過程で重要な部分は、当初予定していたNK9K発動機を諦めてNK9Hにグレードダウンしている点です。この決定で見切り発車しなければ烈風と同じ運命となったことでしょう。
BUN