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海軍の戦闘機は陸軍の戦闘機に較べて3次曲面の多い形をしているような気がします。これは船の平面形状いわゆる流線型が影響しているのでしょうか。陸軍の百式司偵は究極の流線型ですが三菱の設計だからでしょうか。 モデラー |
- 立川のキ七〇にしても満飛のキ九十八にしても立派に流線形ではないでしょうか。
BUN
- 船舶工学と同じ基盤をもつ流体力学は陸海軍問わず応用されているわけですから、条件は変わらないはず、と思いますよ。
ただ、胴体の設計に直線を多用することができれば生産上有利ですから、このあたりは、性能と生産性を兼ね合わせての機体設計側の工夫、ということになるのだと思います。
例えば、極端に生産性だけを求めたキ一一五は極めて直線的ですし、理想的な性能追求に走ったと思えるキ九十八は極めて流線形であるわけです。
通常、この両極端な両者のあいだのどこかが選ばれているわけです。
片
- ご回答ありがとうございます。キ70は実現したら最高時速700km/h近く出て、3名乗員で軽爆にもなるすごい飛行機だったのですね。胴体は傑作偵察機百式司偵に似ている気がします。堀越、土井、山名といったリーダー的設計者は飛行機が初めて飛行した頃に生まれ20代頃はいかに効率的に空中に浮かぶかという時代だったと思うのです。金属製の飛行機が発達しだすと胴体形状にも設計段階で何かのイメージから影響があるのではないかと考えました。He70やHe111を設計したギュンター兄弟はおそらくグライダーから発想したのではないかと思っています。実用化されたドイツ機の中では異端児に思えます。そのイメージが愛知の99艦爆に流れています。海軍機の設計者が身近な船に範をとるのはありうる事ではないでしょうか。流体工学だけで形が決まる時代ではなかったと思います。現代では旅客機はほとんど区別が付かなくなっていますが。
モデラー
- 日本海軍機の設計者自体は船乗りでもなんでもなくって、彼らは多くの場合、東京大学航空学科を、あるいは東北帝大工学部機械工業学科などの学校を卒業して、指導教授が選んでくれたメーカーに就職し、その会社なり社内での配置がたまたま陸軍機を作っているか海軍機を作っているかだっただけのことなのであって、陸軍機を設計していた人と海軍機を設計していた人の間に特に大きな線引きがあったわけじゃないのです。
片
- 回想録にでも記述されていない限り分かりませんね。スピットファイアのように前身が分かっていれば設計者は船が嫌いではなかったと勝手に想像できますが。まことに勝手なことを言いまして申し訳ございません。
モデラー
- 海軍戦闘機は3次元曲面が多いのではないかと書き込んだのは、造船所をグループに持つ会社のほうが断面線図を描く熟練の図工を集めやすいのではないかと考えたのも一因でした。効果が同程度であれば、曲面が少ないほうが設計も楽で時間も短期間で進むと思うので陸軍機のほうが曲面が少ないのかなと考えたのですが、陸軍機中心の川崎もグループに川崎造船があるのでこれも成り立ちません。結局はリーダーの設計哲学によるもので、日本の軍用機開発はMe262から始まる3次元曲面を多用するジェット機時代を先取りしていたと解釈することにします。
モデラー
- キ43もキ44も、エンジンカウルの後方でいったん胴体を絞っていて、まさに三次曲面をつくっています。
リベットラインの間隔が狭くなって工数が増える、ずいぶん手間のかかるのを甘受した設計だったわけで、モデラーさんの言われるように、ずいぶん空気力学には凝っていたみたいですね。
じゃま