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BUN様のツイッターに触発されて、長年の疑問を提示します。 同じDB601の発展型なのに、アツタ32型とハ140で生産数、稼働率で大差が付いたのは、 何故でしょうか? こちらに来て勉強して >同じ時代なら、使える技術、資材が同等なので、どの発動機も似たような実績になる。 と教わりました。即ち >誉が不調なら、同等以上の技術を要するハ43の量産が実現できたとしても、 >その稼働率や信頼性は誉と同程度にしかならなかったであろう。 >(実際にハ43の試作機は、誉と同系の不調に悩まされていた) >水メタ誉(20系)が不調なら、同様に出力増を水メタ噴射に依っている火星20、金星60、栄30 >各系も同様の不調を抱えている(少なくとも各前型の高い信頼性は維持できていない)。 など多くの事例を学び、ハ43期待論や金星救世主論などの幻想から醒まされました。 しかしアツタ32とハ140では、前者がシリーズの過半数の850基が生産され、芙蓉部隊など 稼働率80%を実現した部隊があるのに対し、後者の生産は100基にも満たず、完調な機材は さらにごくわずかと極端な差が付いています。 両者の差は何故発生し、終戦まで解決できなかったのでしょうか? 2013.5.03.20:05記 NG151/20 |
- 名指しにされると何だか責任を感じてしまいますけれども、仰るように「同じ時代なら、使える技術、資材が同等」かどうか、色々比較してみては如何でしょうか。
例えばDB600系はHe118と共に日本にやって来て愛知は欧州がまだ平和な次期からその製造技術を学び始めます。これに対して川崎は陸軍が昭和14年にDB社と契約して翌年にDB601の現物が届いてから動き始めていますから、条件は相当不利であるとも言えます。
このように結果が違うならそれまでのプロセスにも違いがあると考えてみる方ががより適切な気がします。
>誉が不調なら、同等以上の技術を要するハ43の量産が実現できたとしても
これも何が同等以上なのか、曖昧ではっきりしません。
同じ不具合に悩むのなら同じ不具合を生む何かがあるはずですよね。
>>水メタ誉(20系)が不調
誉は全て水噴射式ですね。
発動機の生産数も今一度見直した方が良いと思います。
(ちゃんと「基」を使っていらっしゃるのはさすがです)
BUN
- >名指しにされると何だか責任を感じてしまいますけれども
あ、あの、悪意はありません。760でBUN様のツイッターが紹介されていたので、
話しのきっかけにと言及したまでです。
それで追い討ちをかけて恐縮ですが、私は「歴史群像61『三式戦「飛燕」・五色戦』」を講読する
機会も得ていて、一連のBUN様の解説を拝読していて冒頭掲示の疑問を募らせていたという経緯が
あるのです。
NG151/20
- 疑問点、質問箇所をより集約、具体化すると
>アツタとの対照でハ40、140の不調の原因はわかっていたはずなのに、
>なぜ有効な対策が採れなかったのか?
>具体的には、愛知の生産ノウハウの導入やニッケルなど戦略資源の使用の緩和が
>なぜできなかったのか?
ということになります。前掲書で、アツタとハ40の統合が図られ比較検証が実施されたこと、
同書では示唆的だったその動機が、ツイッターではハ140の不調に苦しむ陸軍側により大きく
あったと読み取れます。
結局、両者の相違点が大きすぎ統合そのものは断念されますが、比較、対照の過程でアツタの
優位点の理由も理解できたはずで、それをハ40の改善に活かせなかったのか、という残念な
思いがあるのです。
NG151/20
- >アツタとの対照でハ40、140の不調の原因はわかっていたはずなのに、
両者を並べて比較研究したことはありませんから、あえて言うなら、わかっていない、というのが本当の所でしょう。ハ40系の問題がクランクシャフトの工作困難のみならまだしも、補機、冷却器を含む広範囲なものである以上、根本的な手を打てないまま、切迫する19年度の大量生産計画に呑み込まれてしまうのが実情で、首無し機を出すことを覚悟の上で行うハ40への本気の対策は19年夏以降になります。それを許したのは四式戦の量産開始です。
BUN
- >両者を並べて比較研究したことはありませんから、
>あえて言うなら、わかっていない、というのが本当の所でしょう。(BUN様)
ご回答ありがとうございます。
さりながら
>両者を並べて比較研究したことはありませんから
の部分は、俄かには信じ難いものがあります。
前掲書によれば、統合の研究に当たって川崎、愛知の両社はそれぞれの会社を訪ね意見交換を
しています。
>十八年十二月二十三日、川崎航空機において「ハ一四〇」と「アツタ」三二型の比較研究が
>行われ両者の違いが検証された。(中略)翌二四日は愛知航空機に場を移して検証が続けられた。
(同書P148〜9)
その際、それぞれの生産現場を見学する機会も当然設定されていたと思うのです。
例えば中島が九六陸攻の転換生産をするに当たっても、同社のスタッフは三菱名工を訪ね、
自身の立場からの見解を述べています。
中島飛行機の想い出 Nakajima'1934-'1936
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima-saito/naka34-36.html
ハ140以前のハ40の不調にも苦しんでいた川崎に、相対的に堅調なアツタの製作状況への
関心がないとは思えないのですが…。
NG151/20
- 後半部分が切れてしまいました。
以下、承前
そして同書を読んだ時の私の感想は
>無理して統一型を作るくらいなら、川崎の生産スタッフを愛知に派遣して工作方法を学ばせ
>川崎での製造ラインに反映させればいいのに…
というものでした。現実に芙蓉部隊は、そうして(整備兵を愛知で研修させる)終戦まで80%という
稼働率を実現できていたのですから。
これが、自社製中心の三菱と下請外注を多用する中島のように相互の企業体質がまったく異なる
のなら無理な提案かもしれませんが、川崎、愛知の生産体制に決定的な相違があったとは思えません
(あるなら統一型という構想そのものが出てこないのでは?)。
NG151/20
- メーカーでエンジンが同じでも製造工場が異なれば製造工程そのものが違う場合もあります。
生産量に合わせて工程そのものが作られるからです。
その為不具合発生率そのものが違う事もあり、万が一に備えどこで製造されたか明確にするようにしています。
単純に工作方法を学ばせ製造ラインに活かすのは難しいと思いますよ。
マルヤ
- あればいいのに・・と思う状況が見えない時は無い理由を考えるのが良いやり方ではないかと思います。
クランク軸の製造や加工法だけでなく、ハ40について具体的に何が問題だったのかを調べてみては如何かと思います。
三式戦闘機にしても比島決戦直前に「内地より良好で可動機は80%」と報告して来る部隊もありますし、そうでない部隊もあります。また彗星のアツタについての批判も当然存在します。
また統一化が検討された昭和18年末は陸海軍の航空機生産の一括統制をめざす軍需省の時代でもあり、その影響下で出現した計画であることも事実でしょう。
そして愛知が彗星の金星発動機換装計画を進行中であることも陸軍は把握していますので、軍需省や陸軍の立場から愛知の発動機生産にやがて現れるだろう余力を三式戦闘機にも回せたら、という発想があることも十分に推察されます。
そうした要素を見比べながら考えて行くと良いかもしれませんね。
BUN