716 キ71が試作のみで終わってしまったのは、いわゆる爆撃機無用論で軍偵戦隊が戦闘機戦隊へ改変されてしまったからなのか、あるいは単に襲撃機としてならキ45改やキ48IIで同様の任務をこなせる上、性能的に見劣りするキ71の必要性が減じてしまったからなのか、どちらなのでしょうか。速度性能など期待していたほどの向上が見られなかったから、とかそういった説明がされている文献もありますが、ハ112-IIを搭載した単発機にしては伝えられている性能はちょっと低いようにも思いますし、本当のところはどうだったのでしょうか。
codfish

  1. ちょっと想像を交えた話になってしまうのですが、キ七十一の設計は陸軍航空工廠内に置かれた満州飛行機特別設計班で行われています。
    これは立川の航空工廠が開廠された時期に、それ以前には軍用機の設計経験のなかった満飛の設計スタッフを国立へ呼び寄せて、何機種かの設計を行わせたうちのひとつです。
    満飛特別設計班が航空工廠内で設計を行ったのは、
    ・キ七十九高練 (中島キ二十七の改設計)
    ・キ七十一襲撃機(三菱キ五十一の改設計)
    ・キ六十五襲撃機(三菱十四試局戦の改設計、基礎設計のみ)
    という内容です。
    どうもこれらは、実質的には、経験の浅い満飛スタッフを鍛えるための設計演習だったのではないでしょうか。

    キ七十一の時期には、陸軍軍用機の機種を出来るだけ絞り、可能な部分は戦闘機に一元化したいという方針が出ていた時期ですから、二式双襲(キ四十五)のほかにキ八十四にもそうした任務が期待されるようになっています。


  2. あ、ごめんなさい。
    満飛特別設計班が国立から引き揚げたのは、昭和17年夏頃でした。
    キ八十四などの名前出すにはまだちょっと早すぎますね。



  3. キ七十一の性能推算で540km/hという数値は昭和16年4月に航技研で候補発動機をハ一一二、ハ一〇九、ハ一〇二として現状の軍偵仕様に対して単純に計算した結果です。この数値は爆装も考慮していませんし、機関銃装備も増強されず、燃料の増加搭載も100リットル程度と簡単に置いて、とりあえずの数値を出しているんです。引込脚による速度向上も大まかに20km/hとしています。
    実際に試作を進める段階で具体的な装備要求が出て来る中でこの数値が目減りするのは当然の事でした。
    キ七十一の整備予定時期にはハ一一二も性能向上型が使える見込みもあり、原計画はさほどの破綻無く進んでいたということです。

    また昭和18年後半からの「戦闘機超重点主義」(これは「爆撃機無用論」ではありません。陸軍は戦闘機に重点を置きながら将来に向けて優れた重爆を必要とする、という考え方です。)は参謀本部がニューギニア航空戦の実態から得た結論で旗振り役は東条英機首相でしたから具体的に何個戦隊を戦闘機にコンバートするという計画が動き始めて、実行に移されます。
    戦争後期の戦闘爆撃機指向はこの考え方がベースです。
    この時期から軍偵/襲撃機は現用限りで良いということに決まります。
    試作機の整理よりも先にこのような大きな変化が生まれています。
    BUN

  4. そうか、忘れてました。
    キ七十一は航空工廠で18年中期に実機完成まで行ってたんでした。


  5. >>片さま

    お返事ありがとうございます。

    満飛は自社でハ112を生産もしてそこからキ116を開発したり、いろいろな試みをやっていたものの結局そのほとんどが兵器としては間に合わなかったことを思うと、満飛設計陣の設計演習というお話はなるほどと思います。

    >>BUNさま

    お返事ありがとうございます。

    乱暴な比較にはなりますが、同じエンジンを積んだ彗星三三型と比較して時速480Kmというのは前身のキ51の軽快さを思うと、ちょっと寂しい数字だなあと思ったのですが、諸条件を加味すればあんなものでしょうか。どの程度のペイロードを想定していたのか今一つわからないのですが・・・


    少し横道にそれますが、「戦闘機超重点主義」という物は戦史叢書なんかを読むと南方軍(とその隷下の第3航空軍)発信の話で、現地軍のやや独断的な強硬論であったかのような表現をしていたりするんですが、陸軍の戦闘爆撃機志向はこういった動きに影響されたものなのか、それとはまた別のものだったのでしょうか。
    codfish

  6. あ、ごめんなさい、「爆撃機無用論」と「戦闘機超重点主義」はそもそも別の物である、という事ですね。

    これは要するに、ほぼ同時期に現地発信の「爆撃機無用論」と中央(航研?)発信の「戦闘機超重点主義」が陸軍内に起こった結果、部隊の改編が進んだという事でしょうか。
    codfi

  7. 名前が途中で切れてしまいました・・・

    帝国陸軍の戦闘爆撃機志向は大戦後半にいろんな試みがされているようで非常に興味深いテーマだと思います。
    codfish

  8. 制式機の設計が技術者の育成という含みを持つことがあっても、それによって結果を問わないような試作が行われることはありません。キ七十一の計画は軍偵の性能向上計画として当時としては十分に合理的でしたし、失敗もしていません。

    また空冷彗星は翼面荷重が160kg/uに及ぶ高速機です。対する九九軍偵は翼面荷重111kg/uです。用途も異なれば飛行機としての性格もまったく違います。九九軍偵をいくら改造しても彗星にはならない、ということです。
    九九式襲撃機の最大速度が423km/h/3000mですからこれを性能向上させる要素は、どちらも重量増加を招く引込脚とハ112換装(馬力向上は950馬力/2300mから1100馬力/6000mしかありません。その上行動半径は昭和16年の計画着手時でさえ700kmの行動半径プラス余裕1時間です。これに機関砲装備と250kg爆弾搭載まで加わるのですから、480km/hは妥当な数値ではないでしょうか。

    「現地発信の「爆撃機無用論」と中央(航研?)発信の「戦闘機超重点主義」が陸軍内に起こった」

    これは荒唐無稽なお話になってしまいます。
    戦闘機超重点主義は南方軍は南方軍でも激戦を戦う第四航空軍の戦訓とその評価の結果、出現したもので爆撃機無用論ではありません。軍備は技術者が研究所で決めるものではなく、海軍であれば軍令部、陸軍であれば参謀本部が決定するもので、どのような機種でどのように航空軍備を進めるかを決断するのはまさに参謀本部の仕事です。やがて陸軍参謀総長を兼任する東条英機首相が音頭を取るのは当然のことでした。

    BUN

  9. >>BUNさま

    お返事ありがとうございます。

    すみません、私は勘違いしていたようなのですが、キ71のエンジンってハ112(金星五〇系)なのでしょうか。てっきりハ112II(金星六〇系)だとばかり思っていました。ハ112搭載ならばおっしゃる通り妥当な数字ですね。ハ112IIは換装計画があっただけという事でしょうか。

    「爆撃機不要論」については戦史叢書の「ビルマ・蘭印方面 第三航空軍の作戦」のp385辺りから「重爆隊の戦闘機改変問題」として主に第七飛行団長の田中友道少将から「爆撃機不要論」の意見が強く参謀本部に出された様子が記述されているのですが、ニューギニアの第四航空軍の見解とは全く異なるものなのでしょうか。
    codfish

  10. 設計演習云々の話は、実機を試作してたのを度忘れしたうえでの憶測でした。
    これについてはどうもすみません。


  11. >>片さま

    お返事遅れて申し訳ありません。

    いえいえ、キ71を巡る満飛の試作状況が今一つよくわからないので何か手がかりのようなものがあるだけでも幸いです。

    戦史叢書の該当箇所をもう一度よく読んでみましたが、どうも第三航空軍の「爆撃機不要論」は参謀本部にはやや性急な意見と受け取られたようで、ただ同時期に中央ではおっしゃるように「戦闘機超重点主義」に沿っていろいろな動きがあったようですね。ここからすると第三航空軍から中央に対する意見具申と軍偵隊の改編は直接の因果関係は無さそうですね。

    >>陸軍は戦闘機に重点を置きながら将来に向けて優れた重爆を必要とする

    これは件の田中友道少将の意見と全く同じなのですが、それに向けた動きが川崎のキ91の開発という事でしょうか。また改めて質問させていただきます。どうもありがとうございました。
    codfish

  12. http://ansqn.warbirds.jp/logs-prev/A001/A0005003.html
    過去ログNo.5003にBUNさまと片さまの九九式軍偵の後継機に関する解説がありますね。質問する時はもっとよく調べてからすべきでした。
    codfish


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