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「ラバウル航空隊」という名称は灰田勝彦の軍歌が由来かと思うのですが、戦史叢書にはすでに台南空がラバウルに進出した頃には「ラバウル戦闘機隊」という名称が(海軍内か広く一般にかはわかりませんが)認知されていたような記述があります。 私は最初、戦後復員された方が親しんでいた軍歌から広まったものと考えていたのですが、戦史叢書の記述が事実なら「ラバウル航空隊」の歌が発表されるはるか前の昭和17年の春にはもうそうした呼び名が存在していたことになります。こうしたラバウルの航空隊が固有名詞のように呼称されるようになったきっかけとはいつで、それはなんだったのでしょうか。 codfish |
- 戦史叢書のどの部分でしょうか。
BUN
- >>BUNさま
お返事がおくれて申し訳ありません。実は質問のカテゴリーが「情報 資料 検索」の方がふさわしいかと思い、そちらに再度質問させていただきました。ご一読頂ければ幸いです。
それで、戦史叢書の件ですが、手元にないので正確なページ数などは申し上げられませんが、「南東方面海軍作戦<1>」のp206〜p210あたりにそうした記述があったと記憶しております。
codfish
- 私が飛行練習生を卒業し、903航空隊に赴任した頃
「銀翼つらねて」や「さらばラバウルよ」など歌った記憶があります
老兵