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キ61の開発時、搭載が検討されていた三菱の水冷エンジンのハ21とは三菱の社内名称で言うところのB4もしくはB5エンジンのことでしょうか。三菱はイスパノ650馬力を元にいろいろな水冷エンジンを試作していたようですが・・・ codfish |
- ハ二十一はB4です。
B5は海軍用のME1Aでモーターカノン付倒立Vです。
片
- なお三菱のイスパノ650馬力はイスパノスイザ12Mか12Nを原型としていると思うのですが、B1まではこの延長上のものであることが判っています。
しかし、その後三菱ではイスパノスイザ12Xや12Yも導入し、実発動機の試作も行っています。
三菱B2の130×170は12Xと同じものですし、ハ二十一については12Y系であるように書かれた文書も見たことがあります。
片
- >>片さま
お返事ありがとうございます。
もう一つだけ質問してもよろしいでしょうか?
「みつびし航空エンジン物語」を読むと深尾淳二氏の言葉として、三菱が水冷エンジンを実用化するにあたっての最大の障壁として、燃料のオクタン価不足からくるデトネーション(異常燃焼)の問題に対する根本的な解決ができなかったから、と解釈できるような記述がありますが、実際のところどうだったのでしょうか。イスパノ650馬力の故障原因として、ピストンの焼き付け、コンロッドの折損、排気弁の焼損などが報告されていたようですが・・・
と言うのも後にDB601を国産化する際に、このデトネーション問題が発生した様子が無いからなのです。これは単に日本国内の燃料のオクタン価向上によるものなのか、それともDB601が直接燃料噴射方式だったからなのか(イスパノ12X、12Yは気化器方式)、どうなのでしょうか。
codfish
- 「みつびし航空エンジン物語」のその部分は三菱社内の回想集に深尾淳二さんが書かれた内容を転記したものです。ご本人はオクタン価については何も述べていません。
それは何故かと言えば、昭和8年当時、陸海軍とも常用する航空燃料のオクタン価を計測していないかったからです。回想の原文にはオクタン価という言葉は一切出て来ませんが、イスパノスイザから購入した燃料では不具合が無いので、燃料に起因すると推測したと書かれています。この時期までオクタン価で燃料を見ていないということです。
ですからデトネーション対策をした、しない、ではなくて、オクタン価を計測していない時代に当然起こり得るトラブルだったということです。
BUN
- >>BUNさま
お返事ありがとうございます。
そうだったのですか。オクタン価云々という記述は元々はなかったのですね。
あくまで仮定の話ではありますが、「使用に堪えず」と言われたイスパノ650馬力の抱えていた問題は、適正なオクタン価の燃料を用意する事で解決できたとするならば、その後のB1〜B5に至る三菱の水冷エンジンの実用化の障壁となっていたものも、主に燃料に起因するものなのでしょうか。
と言うのも、あの時三菱がAシリーズ(空冷)ではなくあくまでBシリーズ(水冷)の開発にこだわっていたら(軍はそれを許さなかったかも知れませんが)どんな道を歩んでいたか興味があるからなのですが・・・
codfish
- 昭和9年の三菱材試では、イスパノ社から購入した燃料は何だったのか、という研究報告が行われています。深尾さんが「当事者がイスパノから購入した燃料では異常のないことを知りながら」と語っているのは、会社として原因の把握を行った上で抱かれた意見だったことがわかります。
八九式艦攻で使用している間にもヒ式650馬力には暫時改良が加えられて持ち直しが図られていたという話もあり、しかし、これは深尾氏のいう「構造上の対策ばかりやっていた」という部分なのかもしれませんが、機体設計側では自分たちが機体の性能不足を改善できなかったことが「八九式艦攻+ヒ式650馬力」が憂き目を見ない結果になっていった原因、と認識しているようです。
しかしながら、12Xなどの新しいイスパノの発動機では使用燃料のオクタン価が当然のごとく指定されるようになっています。
また、三菱社内でもアンチノッキング剤の研究が行われるようにもなっていきます。
昭和7年当時多発した事故原因がそのまま十六試ワ号のような時期までずっと引き継がれていたとは、ちょっと思えません。
陸海軍がヒ式650馬力の結果として水冷式発動機のすべてを放棄したわけではなく、その後も三菱に対して、あるいは中島に対してさえ、開発の要求は行われています。倒立Vの戦闘機用エンジンも欲しかったわけですし、W型の大排気量発動機も欲しかったのです。
しかし空冷の方が手堅かったわけで、三菱の空冷への主力転換も、手堅さを確実に手に入れた会社側の経営的な成功として主に語られる話であるわけなのです。
片
- 三菱は手堅く手早く金星を製品化したからこそ経営的な危機を脱することができたのですが、そうでなければ、開発部門は水冷にしがみつきつつも他社製発動機の転換生産を長く続けることになっていたでしょう。
実際、川崎や愛知をいった水冷発動機メーカーがそうした状況に陥っています。
ということから考えれば、DB601の国産化を三菱が行うことになっていたかもしれない、というのが「どんな道を歩んでいたか」への回答と言えるのかもしれません。
片
- >>片さま
お返事ありがとうござます。
>>三菱社内でもアンチノッキング剤の研究が行われるようにもなっていきます。
>>昭和7年当時多発した事故原因がそのまま十六試ワ号のような時期までずっと引き継がれていたとは、ちょっと思えません。
おっしゃる通りで、私もそれが一番の疑問点でした。燃料噴射装置を自社開発するくらいですし、オクタン価の問題は空冷水冷を問わない問題ですから様々な対策は後々講じられただろうと思ったのです。そう考えれば、金星を開発するくらいの熱意と時間があれば、水冷エンジンもいずれはものになったかも知れませんが、当時の三菱のおかれた状況を考えれば、無理はできなかったということでしょうか。
DB601の転換生産はおっしゃる通りありそうなお話ですね。ハ40に三菱製の噴射装置を取り付けた経緯を見ればキ61にもっと早くから三菱は関わっていた可能性もあったということでしょうか。
日本が国産化すべき水冷エンジンは、BUNさまによれば国策としてDB601しかなかったとのことですが、Bシリーズ以降の三菱の水冷エンジンへの取り組みや、技術者側からはDB601よりユモ211を推す声があったことなどを考えれば、技術的には他にどんな選択肢があったのか、これまでいろいろ語られてきた話題ではありますが、やはり気になってしまいます。ただこれは改めて別に質問すべきお話ですね。
長い質問にお付き合いどうもありがとうございました。
codfish
- 三菱とイスパノスイザの関係は単純な製造権の取得だけではなく、経営的な繋がりもあり、例えばエミール ドボワチンがドボワチン航空機製造株式会社を設立した際にはイスパノと並んで三菱が大規模に出資しています。
こうして築かれた方向性を修正する動きの一つとして深尾淳二さんの異動もあったと考えて良いと思います。
三菱でのイスパノ系新発動機の試作がフェイドアウトしてしまった直接の原因は第二次大戦の開戦とそれに続くフランスの崩壊とイスパノの開発部門のスペイン脱出による技術導入の途絶ですが、それ以前にもホーネットの購入などで空冷重点への舵は大きく切られていたという印象です。
BUN
- それはそれとして、国産のヒ式650馬力の運転諸元が、オリジナルのイスパノスイザ12Nに対して高回転、高馬力であるような感じがあります。(12Mはヒ式600馬力でした)
圧縮比は同じであるようですが、ひょっとしてブーストが高設定だったのではなかったのか、という気が少々。
片
- 12Nって過給器ついてましたっけ?
SUDO
- ついてませんね。ぼーっとしてますね。
高度は「地上」だし。
片
- >>BUNさま
お返事ありがとうございます。
深尾氏の異動にそのような側面があったのですね。興味深いお話です。イスパノはフランス崩壊直前に離昇1800馬力の12Zを開発しますが、12Zの初期型は100オクタンでの運転を前提にしていますから、そう考えると仮にフランコ政権との交渉がうまくいったとしても、B4燃料で動くDB600シリーズの国産化の方が現実的な選択肢だったのかなあと、自分なりには納得しました。
>>片さま
12Nにもいろいろなバリエーションがあるようで、シュナイダーカップ用に開発された12Nに過給機付きのものがあったのではないでしょうか。素人の浅い知識ではありますが・・・
codfish
- ああ、いえ、そのシュナイダー杯用の12Nsrですら最大馬力を2400rpmまで回して発揮するのですが、三菱イスパノ650馬力は最大馬力で2300rpm、国産化と雁行して開発された三菱イスパノ650馬力改であるB1は同じく2400rpmで最大馬力を出すことになっています。この日本での運用の回転数の高さは何なのかな、と思ったのでした。
ゆえに国産化したヒ式650馬力は本来のイスパノ製のものと元から違っているのでは、とも疑ったのですが、初期の輸入品もやはり焼損事故を起こしていましたので、原因が燃料にありそうなのは間違いないようです。
ただ、高回転で運用していたようなのはやはり気になります。
片
- >>片さま
そうでしたか、やはり素人がうっかり口出しするものではありませんね。
そう言われると、イスパノ450馬力も同じく高回転、高馬力のように思えるのですがどうなのでしょう。もっと勉強しなければいけませんね。
codfish
- 原型であるイスパノスイザ12Hが最大馬力590馬力/2000rpmであるのに対して、三菱イスパノ450馬力は最大馬力585馬力/1800rpmとされています。
片
- イスパノのエンジン本だと12N系を売った場合、どのモデルか(例えば12Nbとか)が記されてるのですが、三菱に売ったのはモデル61(12Nシリーズの型式)とだけになってます。ちなみに12Nというエンジンは事実上存在しません。最初の型が12Nbなんです。
つまり三菱が購入したモデル61/12Nというのがどのモデルなのか全く不明です。
また同本に出てる12Nb写真と、ネット検索で出てくるヒ式650馬力の写真ではオイルパン形状が明確に異なります(単に形が違うのではなくボルトの生え方が違う)
どうも12Nbとヒ式650馬力はだいぶ違うところのあるエンジンみたいですね。
SUDO
- なるほど。
いずれにしても、八九式艦攻などは初期にはイスパノからの輸入品の発動機を載せているようですし、時期的に見ても、日本に輸入され、その後三菱イスパノ650馬力の原型となったのは、12Nシリーズでも初期のもののはずだと思うんですが。
片
- 12Nシリーズの量産モデル登場が28年、三菱がライセンス購入したのも28年、そして12N系で最初のシュナイダー用の12Nsが登場するのも28年。
つまり初期からレース用高出力バージョンが存在するんで、回して回らないことはないとはいえなくもないのかもしれません。
ちなみに12Nbは圧縮比6.2でNominal750馬力/2000rpm、MAX760馬力/2100rpm
12Nsは圧縮比7.2でNominal900馬力/2200rpm(MAXは不明、レース用ですし)
また後の12Nsrの1500馬力/2400rpmもNominalでして、MAXは1割以上馬力が上になってます。
なお数年後には過給器付きの12X/12Yが登場します。こいつらは12M/12Nに過給器つけて2400〜2600rpmぶん回すわけですが、この超高速ピストン速度の為にシリンダを窒化コーティングするなどの対策がなされてます。
またいわゆる市販の12N系は以降のモデルは基本的に減速機がついたとか可変ピッチ対応になったとかの変化でして回転数は2000-2100です。三菱と海軍が知ったこっちゃないと勝手に運用回転数の上限を無視してたのかも・・・
SUDO
- なんだかですね、八九式艦攻の過荷重での離陸(発艦)重量に対して、ヒ式650馬力が追いついてなかったんじゃないか、という気がしてしまうんですが。
そのために余計に回すことになっていたのじゃないかなあ、と。
あくまで空想の域を出ないことではあるんですけど。
片
- 当時は固定ピッチですから、離昇とかだとペラが相対的に高ピッチ過ぎて、スロットル全開でも制限回転数まで回らない筈なんですよね。
高回転まで使えるということは、ペラが相対的に「軽い」ということかと想像します。この場合でも恐らく離昇でスロットル全開にしても本来の制限回転数である2000-2100ぐらい、最高速度でぶっ飛んでるとか急降下した場合には2400rpmぐらいまで行っちゃうけど、それは許容するということなのかもしれません。
SUDO
- どうも、イスパノは、スロットルをほんとうに全開にすると回転が出ちゃうみたいですね。12Hで2300rpm出るみたいです。
三菱はそういう数字を拾っているような感じです。
片
- モデル61というのは、グラマンF6FがG-50である如く、12N自体のモデルナンバーのようですね。
12Yはモデル73です。
輸出用なので、こうしたタイプナンバーで呼ばれてるのじゃないでしょうか。
片