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烈風はなぜA9MではなくA7Mなのですか。 A7He1やA8Vは無かったことになったのでしょうか。 ゆきのん |
- みなさんの答えが無いようなので、任にあらざると思いますが簡単に
まず旧海軍の番号割り当ての方式を調べてください。
A7MのAは、甲戦闘機(制空戦闘機)を意味します。
そして、7は7番目の製作命令を出した機体を意味します。
零戦は、A6Mです。零戦の次に命じた甲戦機体だから7なんです。
最後のMは、メーカー三菱を意味しているのです。中島はNで、九州飛行機(旧名の渡辺鉄工所でしたか?)がWと謂う具合です。
ちなみに、同じ三菱の雷電は、局地戦(迎撃戦)ですのでJがつくJ2Mです。
水上機から進化した紫電や紫電改の例外はあります。
あとは、私では、わかりませんので、ご自分で調べてください。
青江
- 略符号は後から振られたもので、必ずしも試作計画順に並んでいません。
そして略符号という呼称方法が設けられた後も改正が度々行われます。
その中で実験機として輸入された機体に関してはXの字を振るようになり、それに相当する改正前の機体も同列に扱われるようになり、A7、A8といった一旦は振られた番号が、ご指摘の通り無かったことにされてしまいます。
また細かい話ですがAとは艦上戦闘機のことで、昭和18年以降に設けられた便宜的な分類である甲戦闘機のことではありません。甲戦闘機の略符号はJです。Jとは局地戦闘機のことですらなく、十三試双発陸上戦闘機がJ1であるように陸上戦闘機を示します。
BUN
- 関連質問です。
セバスキー陸上複座戦闘機がA8Vであること、十三試双発陸上戦闘機がJ1であるとから考えると、1937年の段階ではまだJという略符号はなく、戦闘機は艦上、陸上の区別なく「A」であったと理解してよいのでしょうか。
カンタニャック
- 略符号自体が九試、十試あたりから始まったもので、それ以前に出来上がっていた機種にもさかのぼって後付されたものもあれば、艦上複戦のように結局成立しなかったものには略符号自体がありません。
したがって、セバスキー複戦のA8には突然降って沸いたようなイレギュラーさがあり、むしろその違和感が呼び水となり、12年以降の陸上に偏重したてゆく航空軍備計画の幕開けの伴い、陸上戦闘機ならとりあえず単座・複座を問わず収められる「J」が新設されたのではないかと考えます。
その後も「N」「P」「Q」など新しい機種のカテゴリーが成立するたびに新しい符号が新設されています。
片
- まあ、簡単に言えば、その時点時点でカテゴリーが形成されてない機種には、略符号の設けようがない、ということですね。艦上運用を前提としない戦闘機がまさにそれにあたっていたわけです。
片
- BUN様、お答えありがとうございます。
結局、A7He1やA8V1は実験機でしかなかった。それ故に、略符号という制度が固まっていく過程で、番号順から外されていったのですね。
この2種は制式機だと思っていましたので、二重の意味で勉強になりました。
追加質問になってしまって恐縮ですが、セバスキー複座戦闘機は陸上戦闘機なのですか?
私が読んだ本には、艦隊空母での運用を考えていたとの記述があったので、艦上機だとばかり思っていたのですが、これも誤りなのでしょうか。
よろしければご教示お願い致します。
ゆきのん
- セバスキーと、それから同時期に輸入されたHe112はともに陸上戦闘機です。
これらは、昭和12年2月29日に改定された新しい「航空機種及び性能標準」中に新設された「遠距離戦闘機」「局地戦闘機」にそれぞれ対応したものと思われます。
いずれにせよ、この時期には遠戦、局戦に専用の略符号はまだなかったのです。
片
- 片様、お答えありがとうございます。
改めて確認してみたところ、九八式陸上偵察機の略符号がRではなくCという例がありました。これもA7HeやA8Vが陸上戦闘機であるのと同じケースですね。
してみると、空母での運用云々は(そういう事実があったとして、ですが)まあ考えてみてもいいかな、程度の話だったのでしょうか。
ゆきのん
- そもそも緊急に陸上機の実用機が必要となったのは、中国大陸という陸の上で戦争を始めてしまったためなんですから。
片
- 確かに、おっしゃる通りです。
何度もお答えいただいて恐縮です。ありがとうございました。
ゆきのん