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昭和18年に輸入されたFw190の機体設計は海軍にあまり評価されなかったようですが、それはなぜでしょうか? Fw190と同じく大直径空冷エンジン搭載の戦闘機は雷電がありますが、海軍は紡錘理論にそれだけ自信があったということでしょうか? 五式戦や空冷彗星の排気管配置くらいしか直接的な影響がなさそうに見えます。 gk |
- 同じ頃ドイツの駐在武官が実機を見学した際に、説明された性能が事実だとしたら、発動機の性能から見て、機体設計の妙でその性能が実現されたとは想像し難い、むしろプロペラに注目すべきなのでは?と打電しています。
この頃の日本海軍は飛行性能向上に画期的に役立つ斬新な機体設計を模索していましたから、新味の無いFw190Aの機体にはあまり魅力を感じていないのも無理は無いと思います。
BUN
- 海軍は十四試局戦のような機体形状が万全のものだとはかなり始めのうちから思っておらず、十四試局戦の試製中からすでにこれ以上の解決をはかるためのものとして三菱に対して推進式局戦研究を始めさせ、また空技廠自体としても民間次期局戦の技術資料を得るためとして高速機の研究を行わせています。
こうした結果が閃電であり、その開発難航に対する二の矢三の矢としての震電、秋水であったわけです。
片
- BUNさま、片さま
ご回答ありがとうございます。
海軍の視点は先を見据えた上でのことだったんですね。
同時期の陸軍機で紫電と同じ誉を使う四式戦をどう見ていたのかも気になります。
やはり層流翼を使う紫電に対して、手堅い機体設計でプロペラにラチエを使うくらいしか変わったことをやってない四式戦は、魅力的に見えなかったんでしょうね。
gk
- 海軍はキ84の試作直後から興味を示し、完成した実機を譲り受けてテストしています。
日本国際航空製のペ三二も海軍で採用する可能性がありました。
恐らく戦時中に完成した陸軍機の中で最も注目していた機体の一つだと思います。
外国機と違い、国内で実際に試作、生産されているとなれば、興味のあり方もかなり違ってきます。
BUN
- 考えてみたら、18年のFw190はA5ですよね。
結局、発動機冷却がうまく行かなくなって冷却気排出用のフラップなんかがつき始めています。
気化器への導風筒、滑油冷却器、カウルフラップなど発動機関係の突出物をなくして有害抵抗を減らす、というのがFw190機体設計のポリシーであるとするならば、それが破綻を来たしたのが顕在化して来た時期だったのかもしれませんね。
同様、十四試局戦の設計方針も、気化器導風筒、滑油冷却器、カウルフラップの機外への突出をなくす、というところから始まって、挫折に挫折を重ねて完成版雷電の姿に至っています。
そういう観点でみるならば、Fw190を見ても、狙ったところもその行き着く先も含めて、十四試局戦との共通点が見えこそすれ、参考にするほどのの斬新さで迎えられなかっただろうこともうなづけるような気がします。
片
- BUNさま、片さま、引き続きご回答ありがとうございます。
>恐らく戦時中に完成した陸軍機の中で最も注目していた機体の一つだと思います。
これが終戦時に横空にあった四式戦の背景なのですね。漠然と新型機だからテストしてたのではなく、技術的に興味を持っていたというのは陸軍航空よりも進歩していると自他共に認めていた海軍の姿勢として面白いです。
百式司偵と並ぶ数少ない例ですね。
>気化器への導風筒、滑油冷却器、カウルフラップなど発動機関係の突出物をなくして有害抵抗を減らす、というのがFw190機体設計のポリシーであるとするならば、それが破綻を来たしたのが顕在化して来た時期だったのかもしれませんね。
航空462番のメルシェ式カウリングのお話ともども興味深く読ませていただきました。
空力のために引っ込めてたものが実用上、ぽこぽこ出っ張っていって破綻していくのは、まるで堀越設計みたいです。
gk