465 1938年に橘二叟氏が渡洋爆撃を記念して立体曲詰「荒鷲」を発表しています。
この渡洋爆撃の詳細を教えて下さい。

安井賢一

  1. 詳細、といっても程度が不明なのですが… 貴殿のミリタリ知識がどの程度なのか不明なので一般論ですが、下記のような手順で調査可能かと。
    (当方、逆に将棋の世界の方には不案内です)

    1)まず、Googleで「渡洋爆撃」を検索。Wiki、その他で、作戦のあらましは判ります。
    2)不足であれば、上記を手掛かりに当時の鹿屋空、木更津空の戦闘記録を探す。ネットならアジ歴が手っ取り早いのかな?
    3)アマゾンジャパンで「本」「渡洋爆撃 第二次上海事変」で検索してみるとか。(『渡洋爆撃』のみれは火葬戦記も多数ヒットするのでご注意を)

    上記で不明部分があれば、改めて具体的に質問してみられては如何。
    TOSHI!!

  2. 「渡洋爆撃」とは昭和12年の支那事変勃発と同時に海軍航空隊が九六式陸上攻撃機を用いて主に敵飛行場を目標として実施した航空撃滅戦を戦意高揚目的で呼んだものです。

    大陸まで東支那海を越えて出撃したので、航空戦史上ではそれなりの遠距離作戦だったことが注目された訳ですが、実際には戦果よりも敵戦闘機による損害が嵩み、事変前までは快足を誇り「戦闘機無用論」の根拠となっていた九六式陸上攻撃機を欠陥機として翌年度での生産中止、代替機として一式陸上攻撃機の緊急試作が決定するなど、海軍機の開発に大きな影響を与えた苦い作戦でした。
    BUN


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