448 流星艦上攻撃機は、艦攻と艦爆を統合した機体とされていますが、艦攻が3座であるのに対し、艦爆と同じ2座となっています。
艦攻が意味も無く1名乗員が多い訳ではないでしょうから、何らかの任務が省かれていると思うのですが、何の任務が省かれたのでしょうか? 若しくは、機材の進歩や戦訓により1名減らしても問題無いと判断されたのでしょうか?
また、同様にA-1スカイレーダーに至っては前任機よりも2名少ない単座機となっていますが、省かれた任務等が有るのでしょうか?
きっど

  1. 艦攻は本来、操縦、偵察の二座ですが、一三式艦上攻撃機二号二型で本格的に艦偵兼務となってから操縦、偵察、電信の三座に変更されています。
    流星は艦攻爆として遠距離策敵任務を専用の艦偵に任せて兼務しなかったので二座となっています。
    この場合、機上の仕事で省かれたものがある訳ではなく、電信員の仕事を偵察員が兼務しています。単座機の場合はさらに兼務するということです。
    通信や航法の装備が充実して支援が容易に受けられ、かつ後方銃座で自衛しないで済む運用を前提としたことでスカイレーダーは単座機となっています。
    BUN

  2. 支援を容易に受けられない遠距離偵察を行う場合は三名必要だが、比較的近距離の任務を行う場合は二座機でも三座機と同等に任務をこなせる、という事ですね。
    遠距離偵察任務で三名必要なのは、乗員の疲労の問題でしょうか? それとも長距離通信機の操作が難しいからでしょうか?
    きっど

  3. 索敵飛行の際に比較的単純な作業である電信を専任とすることで、高度な判断の必要な偵察任務に偵察員を専念させるためでしょう。
    BUN

  4. 便乗質問失礼します。

    では、九七式司偵/九八式陸偵・百式司偵は何故複座なのでしょうか?
    陸軍と海軍では偵察・索敵に対する要求考え方が違うのでしょうか?

    よろしくお願いします。
    洗顔トマト

  5. 陸軍の司令部偵察機は位置の判明している敵航空基地の動静を把握するために出撃する機種です。
    海軍の艦上偵察機のように所在不明の敵艦隊を洋上の長距離飛行で探り出す必要がありません。極端な話をすれば地図を元にした地文航法でも辿りつけるからです。
    任務そのものが異なる訳です。
    そして海軍が使用した九八陸偵や一〇〇式司偵は陸軍の司偵と同じように南方の航空撃滅戦用に投入されたものです。



    BUN

  6. 二式艦偵が二座でしたし三座が艦偵の「必須要件」、とまでは行かなかったのかなと想像しますが、やはり基本的にはBUNさまのおっしゃるとおり、艦偵の三座は長距離単独行を考慮してなのでしょう。

    一方、艦攻の三座は、爆撃・雷撃・偵察・哨戒と万能性を要求されたゆえなのかなと感じます。
    日本海軍でいえば天山が過渡期の存在で、実際に天山が登場した時期の艦攻の位置づけや使われ方からすればすでに搭乗員二名でも十分だっただろうな、と。

    さわりんX

  7. 艦上攻撃機の三座要求は昭和5年の性能標準で艦上攻撃機(偵察兼攻撃機)として定められた規格で、機種名の通り偵察機兼務だからです。
    これが15年になると「出来得れば二座機とし上記性能を概ね充当し、艦爆と同一式とすること」とされ、艦上爆撃機の搭載爆弾大型化に従って艦上攻撃機を廃止して艦上爆撃機に統一しようという機運が生まれます。
    ですから流星はその名の通り次期艦爆だから二座なんですね。

    そして翌16年には艦上偵察機が空戦性能や雷爆能力を捨てて敵戦闘機以上の高速を発揮する専門機種として独立します。これは三座、すなわち彩雲の仕様です。

    十三試艦爆は高速艦爆として専用艦偵の代用になり得ると考えられていますが、当初は南方侵攻作戦用の陸偵として前線部隊に貸与されています。
    二座の十三試艦爆には艦偵としてよりも代用陸偵としての任務が優先されていた訳です。

    艦爆は二座、艦偵は三座、そして艦攻は艦爆に吸収廃止、これが天山と流星の間で起きた変化の概要です。

    BUN


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