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空技廠が設計・開発した機体として彗星・銀河などが有名ですが、それらの機体は生産しにくく、稼働率が低かったとのことで 空技廠が設計した機体した他の機体の評価はどうなんでしょうか? 蒼龍 |
- それらと印象も評価も180度異なる九三式中間練習機や、日本人設計で初めて実用性と性能を両立させた艦攻である九六式艦上攻撃機も空技廠(当時は航空廠)の設計です。
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- まず、生産しにくさと、稼働率とはそれほど関係がありません。
多量生産が容易である機体設計とは、機体製造・工作部門が近代的な量産設備を持っており、そこからの適切なフィードバックが機体設計部門に投げ返されていることが重要です。
三菱も零戦あたりまでは、機体工作がどちらかといえば前近代的で、多量生産容易という設計になっていません。三菱はドイツ・ユンカースとの関係が深く、アメリカ式の新しい生産方法の導入が遅れていたからです。
これに対して中島などは、ダグラス機のライセンス生産などを通じて、大型プレスを使ったゲーリングプロセスなどのアメリカの新しい多量生産方法を導入できています。
そうした中島の目から見るとき、零戦は多量生産しにくく、銀河などはいっそうそのように映っていたわわけであり、中島では、これら自社で転換生産しなければならなくなった他廠社設計の機種に対し、多量生産方式にまだしも馴染むように適度に再設計を加える必要があったのです。
話をごく単純化するならば、空技廠飛行機部の工作部門が、アメリカの多量生産方式を導入しづらい位置づけであったことが、出題者の方がおっしゃる問題の根本にあるといえます。
それ以前の、機体工作方法自体が前近代的な羽布張機では、民間各社とのあいだに差の出来ようがありません。
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