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程度の低い質問で申し訳ないのですが・・・・・ 先日、友人に 「九九艦爆には機種に固定機銃があるのに、なぜ九七艦攻には無いのか」と聞かれ、上手く答える事が出来ませんでした。 調べて見ると、諸外国の雷撃機、ソードフイッシュやでバステーター、アベンジャーも旋回機銃のほかに機種や翼内に固定武装を持っていて、ますます混乱しています。 R |
- 日本の艦上攻撃機も九二式艦攻までは前方固定銃を持っています。
急降下爆撃専用の艦爆が制式となるまでは艦攻は緩降下爆撃を実施するものとされていたこともあり、前方の敵機排除用に固定機銃の搭載が有効であると判断されています。
その後専門の艦爆が配備されて分業化が進み、前方固定銃の要求は廃されてしまいます。そして艦爆との統一が模索され始める固定銃の要求は昭和15年まで復活しません。
BUN
- 雷撃機に装備された固定機銃は主に敵艦への掃射用ですが九七式艦攻では1、2号共に必要なしとして廃止したようです。
ただ、天山では雷撃後の掃射用として主翼の7.7o固定機銃と後下方に7.7o旋回銃座が装備されて復活、強化されていますが役に立たなかったようで固定機銃は71号機以降は廃止され後下方旋回機銃も撤去した機体が多かったようです。
凡人13号
- 日本の艦上攻撃機は九六式(1.はごめんなさい)まで前方固定機銃を持っていますが、昭和7年頃は一三式艦攻が降下爆撃訓練を行っていて、術科年報上で空戦用としての固定機銃の必要性が報告されています。こうした運用と要求仕様が無くなるのは艦爆の配備が進展してからです。
以前の回答で大塚さんが触れているように英海軍のソードフィッシュの武装にも空戦目的があり訓練も行われていますから「雷撃機の固定機銃は主に敵艦掃射用」という一般的な話も実は成り立たないんです。鈍重な雷撃機も固定銃で空戦をする構想があります。
また、天山の固定銃については私はその実態、装備経緯がよくわかりません。
後下方の射界が要求されたのは編隊空戦の戦訓からです。
BUN
- 皆様、有り難うございます。インフルエンザからやっと生還してきました。
未だ自分の中では解決しておりませんが、
「ソードフィッシュ、アベンジャー、99艦爆ともに機首機銃は空戦のため」だとすると、97艦攻以降の日本海軍艦攻にのみ空戦が想定されていなかった、ということでしょうか。やはり本来の目的のためにオミットされた、ということでしょうか。引き続きご教授いただけたら幸いです。
R
- 全てが空戦用ではないけれども、空戦を前提に装備され、空戦を前提に装備が残された例があるということです。
九七艦攻での前方固定銃廃止は当時の戦闘機無用論とも絡めて眺めるべき問題です。一般に戦闘中の艦艇を狙う雷撃機は突撃中に射撃すると弾道は目標艦の前方を抜けてしまうことも頭に入れて置くべきことですし、時速400kmを全金属製単葉引込脚の十試艦攻(九七艦攻)は当時の複葉戦闘機より高速なのです。
BUN
- >艦爆との統一が模索され始める固定銃の要求
これは、
流星(最初、前方7.7mmとされるも、結局前方20mmへ)の事だと思います。
しかし、九九艦爆二十二型や、マリアナ沖海戦時の爆装零戦の戦訓からすると、
戦闘機や重爆に比べ余剰馬力が少ない艦爆に前方機銃を設けても、
特に馬力が伸び悩んだ日本海軍機にとって、
十分な費用対効果が得られないようにも思えます。
ここで九七艦攻の時点で前方機銃無しが認められているのなら、
九九艦爆以降の艦爆も、
前方機銃を降ろして、その分、防弾を強化するといった考えが生じてもよさそうです。
それとも、逆に九九艦爆の戦訓から、
後継機にも、敵機の攻撃を失敗させる程度であれ「空戦性能」が、
要求されていったのでしょうか。
Teru
- 九九艦爆は十一試艦爆として試作発注された時点で、当時の現役戦闘機よりも高速だったことをお忘れなく。
このために陸上攻撃機を掩護する長距離戦闘機の改造ベースとして候補に上ったこともあります。同時期のSBDも「戦闘機」としての能力を要求され、しかも実績を上げているように、当時の二座機には一般的な印象よりも空戦能力が期待されているんです。
「九九艦爆二二型の戦訓」がどのように報告されているのかは存じませんが、昭和18年頃には新鋭の「彗星」にも翼内二〇粍機銃増設が検討されていたりします。
BUN
- 皆さん、有り難うございます。
なんだかわくわくしてきました。こんなにも色々な観点があるなんて考えても見ませんでした。
答えが見つかるかは分かりませんが、色々と考えて見たいと思います。
今後もご意見などいただけると幸いです。
R
- 艦爆の仕様制定過程も含め、御返事ありがとうございます。
翼内二〇粍機銃増設が検討とは、
彗星を夜戦とは別に、対航空機撃墜用途に用いようとも試みられたのでしょうか。
なお、時期的に九九艦爆一一型でしょうけれども、
珊瑚海海戦にて、艦爆で江間保氏が1942年5月8日、
レキシトンとヨークタウンを攻撃して後、
「敵の艦上偵察兼爆撃機が一機近づいてきた」ので、巴戦を行ったとの記述が、
「完本太平洋戦争(一)」(文藝文庫)にあるそうです。
興味深いのは、敵が単機で、かつ戦闘機ではない場合には
巴戦を挑んだとする江間保氏が、
その後の味方戦闘機との合流後に、帰還途上、戦闘機を含む敵機郡に遭遇した際には、
その場から離脱したとされる点です。
ここの過去ログ557の米軍SBDの話でも、
艦爆は戦闘機ほどではないが、対航空機攻撃を行った例があるとされていますが、
日本側でも対米戦争にて、そういった事案があったそうです。
後は、艦爆でも射撃すれば機銃弾の補充が必要になりますから、
統計的な判断をしたければ、艦爆部隊への、再出撃前の機銃弾補給について、
調べてみる手もあると考えています。
付言しますと、彗星の末期である43型では、
機銃(と後部座席)撤去の上、防弾強化したとの記述も見られますが、
これは特攻作戦期でもあり、
実装変更意図については、慎重な判断が必要かと思っています。
Teru
- >彗星を夜戦とは別に、対航空機撃墜用途に用いようとも試みられたのでしょうか。
その通りです。
>
後は、艦爆でも射撃すれば機銃弾の補充が必要になりますから、
統計的な判断をしたければ、艦爆部隊への、再出撃前の機銃弾補給について、調べてみる手もあると考えています。
統計的な判断をするまでもなく、飛行機隊行動調書を調べれば17年4月9日の空母ハーミズ攻撃時に艦爆隊が全力で空戦を行っていることが簡単に判ります。撃墜報告もその確度は別として記載されています。
こうしたことは戦記や回想録からあれこれ想像するよりも当時の記録そのものにあたると比較的簡単に確認できる場合があります。
彗星四三型の経緯も防弾装備がどのような内容で何号機に施されたか、そして単座化から複座に戻される事情も史料で確認することができます。
BUN