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前から気になっていたのですが、広島と長崎に原爆が落とされましたが、その当時は迎撃機とかはなかったのでしょうか?(広島はいたしかないとして長崎は間にあったのでは?) トライバル |
- たしかに迎撃機は居ました。
でも、@当時は訓練で軍艦に洋上訓練させられないほどの石油不足でした。
それに、迎撃機の性能に問題がありました。
B-29というのは、当時考えられないほど高高度を飛んで爆弾を落とし、そして取り付く暇もないほど早く去っていくものでした。日本の戦闘機は迎撃に上がるにも、A基地から一直線に上空を目指して飛んでようやく迎撃高度に達したら燃料切れとか、Bそもそも迎撃高度まで飛べる性能のエンジンを積んでいないものが大半でした。
以上の3点から、日本はアメリカに好き放題にされました。
ガルフ
- >そして取り付く暇もないほど早く去っていくものでした。
ttp://www.ermjp.com/hiroshima/photo/why/body.html
時速332Km/hで離脱してるんですけど。
ついでながら日本で勲章をもらったルメイさんが司令官の時は低空夜間爆撃が
主だったと昔の世界の傑作機で読んだ覚えがあります。
wittmann
- 8月6日の広島攻撃以降、日本側は単機侵入するB-29が特殊爆弾投下機である可能性を警戒していましたので、8月9日には邀撃機が上がっています。
このときの原爆搭載機ボックスカーの第一目標は小倉でしたが、ここは目標が雲に覆われていただけでなく、日本軍戦闘機が邀撃に上昇してきたため、第二目標である長崎に移動したとされています。
片
- 8月6日のエノラゲイに関しても、高度29000フィートを越えてから二式複戦が一連射仕掛けて来た、という話があるようですね。
片
- そうなると長崎の原爆投下阻止は失敗したものの小倉にもしも投下されたら空前絶後の死者が出たであろうという試算が出ていたことを考えると迎撃機の存在は無視できないものですね。
トライバル