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はじめまして。質問させていただきます 戦時中の「飛燕」「疾風」といった帝国陸軍機の名称(愛称?)が一般公募で名づけられたということは、私のような大戦機初心者ですら「常識」として頭にあります。 ですがこの「一般公募」とはいつどのように行われたのでしょうか?やはり当時の公示媒体といえば新聞なのでしょうが、その日付や企画の概要等をご教授願います 若村 |
- 学研の「四式戦闘機『疾風』」によると、四式戦の愛称は大日本産業報国会という組織が出していた旬刊誌「ちから」の昭和20年2月21日号(締め切りは同年3月10日)で航空機生産に関わる人を対象に公募が行われ、同年4月11日に各新聞で公表されたとのことです。
因みに、「週刊少国民」という雑誌の同年4月22日号に、この時の応募総数が2000ほどで、当選者は大坂のアルミニウム工場に勤める女性工員であったこと等が公表されています。
T216
- 追記。
1.を読み返してみて分かり難いと思ったのですが、「同年4月11日に各新聞で公表」されたのは公募そのものではなく、当選した愛称です。
なお「旬刊ちから」の編集・販売は朝日新聞社が行っており、「週刊少国民」も朝日新聞社発行とのことです。
また四式戦の存在そのものは昭和19年9月28日の新聞記事で写真無しで明かされていたそうですが、翌年4月の各新聞の愛称決定の記事と「週刊少国民」の記事には四式戦の写真が貼付されています。
T216
- 四式戦については、先の回答に記載されている通り、公募がなされた当時の記事が確認されておりますが、三式以前の戦闘機、「新司偵」「呑龍」などの愛称が、公募されたと云う記事は、自分の調査の中では見出すことが出来ませんでした。
差し支えなければ、「公募」されたと書かれた記事等教えていただけないでしょうか?
印度総督