143 (草地管理の関係上、中部ヨーロッパを前提として、かつ、前線の一時的なものでなく、恒久的な飛行場について)飛行場がただの草地から舗装された滑走路を備えるようになっていた経緯についてお伺いします。

Q1
たとえば、滑走距離の増大と運行回数の増大による「踏まれる頻度」の増大、管制して向きやコースを指定することによる特定箇所への踏圧の集中、夜設による特定箇所への踏圧の集中、機体の大型化による踏圧の「圧力の」増大、機体の大型化による転圧の必要性の発生・・・
さまざまな負荷が考えられるように思われますが、何がどの程度の重みを占めていたのでしょうか?

Q2
舗装化はどのような順番を辿るのが一般的だったのでしょうか? 枯れたところを転圧してみて、それでは足りずに砂利を入れて転圧して、それから舗装というように手探りというか、ツギハギ泥縄式に進んだのか、それとも理詰めの「設計」によって一気に舗装へといったのでしょうか?
舗装材料のアスファルトとコンクリートは使い分けられたのか、入手できたものが適当に使われたのか、土にセメントを撒いて濡らして転圧するような簡易的な舗装は使われたのでしょうか?
135では転圧に関して6トン、10トンといった数値が紹介されていますが、この単位面積またはローラーの幅はいかほどだったのでしょうか。

Q3
舗装滑走路が出来てしまった後で、旧式の練習機などの尾ソリ式の機体を運用する場合、尾ソリがすり減るのは構わず滑走路へ下ろすものだったのか、それとも、草地へ下ろしたのか。そうした機体の離着陸距離を勘案して「舗装する部分、しない部分」をデザインするのが当然だったのか、それとも、滑走途中で舗装部を横切っては尾ソリから火花をあげるのは普通だったのか、気にせず作っても降りるための長さは不足しなかったものでしょうか?



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  1. 基本的に尾橇式の飛行機は草地前提だったはずです。
    九三中練なんかでも舗装滑走路で運用されるようになって来ると、尾輪に交換されています。

    草地から舗装に変ったのは、着速の増大が主要因のはずです。
    中間形態は一般的とは思えないです。


  2. 尾ソリ了解しました。
    着速ですか・・・考え至っておりませんでした。ありがとうございます。
    なるほどそういえば、H.P.42は草地に降りますものねえ・・・(ターモナル付近は舗装してあるのに)

    追加でもうひとつ質問させてください。草地飛行場が、ただ野っ原から、白線等で滑走路が示されるようになった時期や理由は何だったのでしょうか?
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  3. Me109の復元プロジェクトの本を読んだのですが、それによると後期のG型でさえ、草地での着陸が一番安全で、舗装滑走路での着陸はあまりおすすめではないように書いてありました。
    wittmann

  4. ありがとうございます。なるほど、飛行機サイドと飛行場サイドとで利害が対立しても不思議ではないわけですね。
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  5. 舗装滑走路の必要性は戦略爆撃用の重爆撃機の離着陸、中でも夜間用として認められた経緯があります。第一次世界大戦中に脚の弱いドイツの重爆撃機が夜間空襲に出撃するために広まったもので、着陸速度の増大とは直接の関係は薄いように思います。
    BUN

  6. ありがとうございます。
    いろいろと付加的な疑問が生じました。「夜間着陸」でなく「夜間離陸」用ということですよね。過荷重とはいえ離陸ですか・・・
    私が思い至るのは、刈り込み頻度不十分その他による芝その他の「株化」による凹凸なのですが、大きなタイヤ径に対してどんな悪影響を与え得たものかピンときません。舗装のコストと刈り込み頻度あげるコストと・・・どうなんでしょうか。
    BUNさまが書いておられるように、独重爆の約20年後に、英中爆が500ydでカタパルトで離陸しようとか、固定ピッチの単発戦闘機はぐずぐずと1000ydも滑走しようとかしていたわけですが、その際には無舗装は問題にならなかったのでしょうか? 英軍の戦闘機が居る飛行場ですと、1940ではほぼ全部草地で(舗装のリクエストが実現していない)、1943前後から舗装が出てくるわけですよね?
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  7. 夜間着陸が事故損失の最大要因だったからこそ安全に着陸するために舗装が必要だったようで、民間でも1930年代には舗装滑走路が出てきます。
    そして日本陸海軍の飛行場でも昭和十年代の国内基地には舗装滑走路が普通に見られるようになります。
    これらは大型機用です。
    BUN

  8. 夜間離陸夜間着陸だったのですね。了解いたしました。ありがとうございます。
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