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WW2での航空基地設営について、質問があります。 日本海軍では、基地の滑走路を設営するとき、舗装するのではなく鉄板を敷き詰める方法を試したことがあるそうですね。でも爆撃を喰らったときに鉄片が飛び散って「かえって危ない」とすぐやめちゃったとか。 でも、米軍も同じ手法を使ってるんですよね。穴あき鉄板を並べて滑走路を造っていたはず。 米軍では鉄片が飛散するのは問題視されなかったんでしょうか。 Mの社員 |
- ガダルカナルにおいては、日本軍の爆弾や艦砲弾は滑走路に穴も開けるし、当然敷かれていた鉄板も飛び散らせました。しかしながら、例えば250kg爆弾の穴1個は100名の設営隊が40分で補修完了したと述べられています。
日本でも鉄板について研究されたようですが、結局実用できなかったのは主に補修能力と資材(鉄板)の供給能力に大きな差があったためと思われます。
とおり
- ガ島ヘンダーソンはメタル・ランウエイだったのでしょうか。
写真で見る限り、土に見えるのですが。
片
- ごめんなさい。確かに敷かれてる写真もありました。
急速補修のためにPSPを使った、ということのようですね。
片
- >2
9月1日に最初のSeabeesが上陸し、以来いろいろな工事を行った中にMarston matの敷設も含まれています。10月にはすでに鉄板です。ちと調べがつきませんが、最終的にはコンクリでしょうかね。
とおり
- 手持ちのものを見直して見ましたが、ガダルカナルの航空基地群の中には、たしかに今現在もコンクリが残っているところがありますね。
片
- しかし、一方で、http://www.pacificwrecks.com/airfields/solomons/henderson/2003/henderson-aerial.html
のように、現在でも土むき出しになっている部分が主であるように思います。
このあたり米側の記録に当たっていないので外れてるかもしれないのですが、9月1日の直前は日本側空襲で飛行場がかなりのダメージを食らった時期であり、PSP(マーストン・マットでもよいのですが)はこの修復用に持ち込まれたものではないのあだろうか、という気がしてしまうのです。
18年の写真ではもう鉄板は見えず、離着陸機が盛大に土煙を上げていたりします。
片
- 手持ちの文献ではとにかく「滑走路にマットを敷いた」としか書いてないです・・・飛行場をどんどん増設しているので条件のよいところは土だったのかもしれませんね。
とおり
- 時期を追ってみてもこんな感じですね。http://www.pacificwrecks.com/airfields/solomons/henderson/photos.html
このほかに、鉄板敷きの写真もあるのですが、どうも主用されてるとはいいにくい感じがします。
片
- ガダルカナルのファイター2です。
http://www.pacificwrecks.com/airfields/solomons/fighter2/photos.htmlこちらのとある一時期の写真では、中央部にのみ鉄板らしきものが見えます。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/Building_Bases/img/bases2-p247.jpg
少なくともガ島では、部分的な修復用に限定して使われているようです。
一方、典型的な鉄板敷きのトロキナです。
http://www.pacificwrecks.com/airfields/png/torokina/1943/f4u-boyington-torokina.htmlここは、造成中はこんな具合http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/Building_Bases/img/bases2-p270.jpg
で、水はけの悪い湿った砂地であるようです。このような必要ある場合には威力を発揮させている、ということのようですね。
片
- http://books.google.co.jp/books?id=6otH0V5GrnsC&pg=PA40&lpg=PA40&dq=Marston+mat+Henderson&source=bl&ots=jiMP_rer2F&sig=ey_OLrEy9K_Yiyt6mcbv4hcL_-c&hl=ja&ei=PVIuSsLSFYLs7AOolbzACQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1#PPA41,M1
マットについて勉強していたところ(笑)、ここの41ページに質問者の答えにもなるような興味深い記述がありました。「われわれは500ポンド爆弾が、だいたい1600平方フィートのマットをひっぺがすことを見出した。なので、その分量をパッケージにして滑走路わきに置いておいた。」 その次の42ページにはおなじみの記述があります。
やはり、激しくやり合ってる頃には、少なくともメイン部分はマットだったのではないでしょうか。
とおり
- 17年10月17日のヘンダーソン、B-17用拡張が完成した頃。
http://www.pacificwrecks.com/airfields/solomons/henderson/1942/10-17-42/henderson-b17s.html
という感じで、元々日本軍が造成していたここは土です。
一方、そのとなりに新規造成された、ルンガのファイター1は、マーストン・マット敷きでした。
http://www.pacificwrecks.com/airfields/solomons/fighter1/1942/fighter1-henderson.html
黒っぽい部分が鉄板です。
しかし、その後少なくとも18年2月までにはここも土に変わっています。
http://www.pacificwrecks.com/airfields/solomons/fighter1/1943/02-43/fighter1-aircraft-2-43.html
急速造成、急速補修用に鉄板は使われるが、その後は何らかの理由があって(およそ想像つきそうですが)鉄板敷きのままにはしておかれなかった、ということだと思います。
片
- 関連質問ですが、お許しください。
日本軍の滑走路急造技術に金網を使ったものがありますが、具体的な施工方法が今一よく分かりません。
ご存知の方がいらっしゃったら是非、よろしくお願いします。
chosan
- 手元の文献によると、6t以上のローラーで圧を掛け、八番または十番の針金による蛇籠用金網を用いて舗装した、とあります。茂原や厚木で実験が行われ、100mx1500mの鉄網舗装を半日で完成し、戦闘機を飛ばすことができたと記されています。「基地設営戦の全貌」という本にはもっと詳しく記されているかもしれません。
とおり
- 鉄網舗装は、10トン必要な転圧を6トンで済まそう、という意図のものです。
不整になる分を、上を鉄網で覆ってゴマカソウ? という感じです。
片
- とおり様 片様
ありがとうございます。
鉄網を転圧した上に通常よりは薄いセメント舗装といったイメージだったのですが、網が表面に出ているものと考えていいわけですね。
厚木、茂原以外での使用例もあるのでしょうか。
鉄板同様、それなりに資源は使いますね。
chosan
- マットの方ですが、「米軍が記録したガダルカナルの戦い」p74に興味深い写真を見つけました。マットの束の積み下ろし(引っ張っている車はなんというものでしょう?)、爆撃痕?の補修らしき作業、島民が敷設を手伝っている風景。
とおり