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空技廠の銀河陸爆に80ミリ砲や、機関銃を多数装備した地上掃射用の試作機があったと聞きますが、このような試作機は実戦使用されたのでしょうか? また、もう一つ全く脈絡のない質問ですが、秋水の訓練用滑空機秋草にツ11を搭載する秋花という計画機がありますが、これは特攻用でしょうか? めりかべ |
- >80ミリ砲装備機
これは寡聞にして情報を聞いたことがありません。というか、80mm砲というと艦載の8センチ高角砲? どの砲を装備したのでしょうか。情報ソースを開示していただければ幸いです。少なくとも試作機が実在したか不明ですし、実戦使用されたことがなかったのは確かと思います。
尚、陸軍の四式重爆に88式改75mm高射砲を積んだ特殊防空戦闘機キ109は、試作機を含めて22機生産されていますが、関釜連絡船護衛に一部作戦した、というほかは、本土決戦時の上陸用舟艇攻撃用として温存されて使用されずに終わっています。
>機関銃を多数装備した地上掃射用の試作機
マリアナ基地襲撃の"烈"作戦機ですね。多銃型は15機、他に2式6番21号親子爆弾(今でいうクラスター爆弾)を装備した機体が15機準備され、銃爆撃後に陸戦隊を送りこむ一式陸攻が25機手配された、とあります。
少なくとも多銃型は「ムカデ」と呼ばれた試作機が実在したようですが、実戦には使用されていません。世傑スペシャルエディションNo1"銀河"のP118以降に"烈"作戦の詳細が載っています。試作機が実際に15機存在したか否かは確認できませんが、訓練実績の結果が載っているので実在したことは確かと思います。
>秋花
手元資料では、わずかに「丸2006年新春特別別冊"日本陸海軍まぼろしの軍用機図鑑"(秋元実)」のP57に記述がありますが、情報が錯綜しているようですね。アメリカ側資料からすると、所謂「重滑空機」("秋水"から動力装置を除いた滑空機、"秋草"は軽滑空機)とされています。"秋草"にツ11を搭載してモーターグライダ化したものを"秋花"とする「資料もある」とされていますが、詳細は不明です。草花の名は、本来は練習機用なのですが、大戦末期には"花"は、橘花、桜花、藤花、のように特攻機につけられているのは確かですが。
以上、ご参考までに。
TOSHI!!
- 銀河の地上掃射用の実戦(フィリピン)について最近の「丸」に詳しく載ってました。マリアナ基地襲撃用の機で、使われていないという話をよく見かけていたので意外です。
4式射撃装置
- 銀河に搭載実験が計画されていた大口径砲とは、五式空用八糎機砲という自動砲です。
20年3月に空中実験が予定されていましたが、反動吸収がうまくいかず、完成せずに終わっています。
なお、「八糎」とはいいますが、艦載砲と同じく実口径は76.2ミリです。
片
- 皆様詳しく教えて頂きまして、有難うございます。
五式空用八糎機砲というのですか 初めて耳に致しました。
>TOSHI!!さんへ
情報源につきましては何れも古いですが、「航空ファンイラストレイテッドNo.99 日本海軍機全集 p81」と、「航空情報別冊 日本海軍正式機大鑑 p212」とに「爆弾倉内に80mm砲を搭載した実験機」との記述がありました。また、酣燈社刊の太平洋戦争 日本海軍機にも、8cm砲一門を搭載と書かれていたようでした。
言われてみれば確かに中間練習機である重滑空機が秋花と考えた方が辻褄が合いそうですね。でも重滑空機は後に存在意義がなくなって試作のみに終わったのでしたか
めりかべ
- >4.
ここに、希少な陸軍の「重滑空機」らしきものが、掲載されてます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~FlyWing/JapaneseTaillessPlane/Shusui.html
柏で撮られた写真らしいですが、文献。資料には見当たらず、貴重な資料と思います。元部隊員の方の手記なので、信憑性は高そうです。
TOSHI!!
- >5
それは元々海軍百里原基地にあった重滑空機1号機です。
追浜での海軍での秋水1号機飛行実験失敗を受け、陸軍用2号機を柏で飛ばすため、その訓練用として8月8日柏基地に空輸されたものですが、翌々日には松林に不時着大破してしまっています。
片
- >4.
酣燈社刊の太平洋戦争 日本海軍機、内容確認しました。これをお持ちということは、かなり古い資料から揃えておられますね。
>6.
追加情報をありがとうございます。この写真、個人蔵のせいか貴重な重滑空機の映像なのですが、なかなか文献に出てきませんね。
TOSHI!!
- そうでしょうか。重滑空機は結局1機しか作られなかったのではないか(つまり写真が残る重滑空機はないても笑っても1号機ということに)という説は市販書にも紹介済みのことです。
重滑空機とは、秋水実機の空力試験機であり、実機と同じ三菱の製造ラインを使用しますから、飛行性能の再現が軽滑空機でできるのであれば、実機の生産を急務とするとき重滑空機は不急のものとされています。ゆえに立った1機しかない機体を陸海軍で融通しあって使っているほどであり、特に新規の名称を定めなければならない筋のものではないのです。
一方、木製の軽滑空機は、横井航空、前田航研、松田航空、呉羽航空、大日本滑空といったグライダーメーカーを活用して組み立てることができるため、以降も練習機として生産が続けられることになっていました。中間練習機として使うつもりだったのは軽滑空機だけです。
この軽滑空機・秋草を曳航して上昇させるための燃料を節約する方策として考えられたのが、この機体への初風装備です。
片
- >8.
言葉足らずでした。「この写真」が、文献に載っているのは出てこない、と言いたかったのです。
TOSHI!!
- 写真とはだいたいそんなものです。
出版物の上に現れているのは氷山の一角に過ぎないわけです。
片
- 実戦使用されたか?というご質問ですが、航空ファン誌に渡辺洋二氏が連載している「個人としての航空戦史」というシリーズがありますが、この中に2〜3年前だったと思いますが、銀河襲撃機(爆弾槽内に20ミリを斜め前下方に装備したやつ)で実戦出動した人の話を書いてましたね。
場所は確か沖縄戦でのことだったと思います。記憶モードでごめんなさい、でも、書いてあったことは確かです)。
何機かで襲撃するはずだったが故障やら何やらで1機しか出られず、それもただ1回だけだったとか。
そうそう、タイトルも「襲撃機銀河、ただ1撃」でした。
HELLDIVER
- HELLDIVERさん、気付かずに返信が遅れてしまいまして、すみません
件の機体は本当に実戦使用されていたのですね 驚きました。
何れ入手できたら、読んでみたいと思います。
情報提供、有難うございました。
めりかべ