45 インメルマンターンについて教えください。
「A:上昇倒転降下」的な機動と、「B:半宙返り半横転」的な機動が
ともにこう呼ばれることがあるようですが、各国において、いつごろ、
どんな経緯で変わったのでしょうか。裏は取れておらず書名も
失念しましたが、「日本海軍航空隊ではAをインメルマンと呼んでいた」
旨を読んだ記憶があります。他方、例えば加藤寛一郎氏やロック岩崎氏の
著作では(スプリットSと対比的に)Bとなっています。
では、大戦中の他国ではどうだったのか、朝鮮戦争やベトナム戦争、
中東戦争などではどうだったのか・・・を判断するてかがりを頂ければ
さいわいです。
はたの

  1.  インストラクションの図を見る限り、米軍はWWII時点でBです。

     国別・時期別に調べるなら、各国の該当時期の飛行教範を入手して確認するしか無いと思います。
    大塚好古

  2. ありがとうごさいます。ご回答くださった後段からして大塚さまに食い下がるつもりはないのですが、広汎なご教示いただけるのに繋がるよう補足します。
    「インメルマンターンはインメルマンの必殺技さ」という記述に昔から接し、だが長じると、「インメルマンターンは180度方向転換の1タイプ」になっていてアレレ、と思ったのがきっかけです。
    進路が食い違う角度から一撃し、敵機が「かわした、入れ違った」と思うとあにはからんや、高度を上げ抵抗少なき速度で180度旋回したイ機はふたたび高度を速度に変えて今度は敵機の後尾に追いすがり・・・が元な気がいたしまして、WW2時点で教官連はこうした実例ないし体験談に接した世代と思うのですが、なぜ、入れ替わっていったのでしょうか?
    「A」ができない機体を訓練に使ううちに・・・というネット上の解説も目にしておりますが、いささか得心がいかないでおります。
    はたの

  3. 私はレシプロ機関連の書籍でB以外見たことはないですが、Aと記述をしている書籍を思い出してここに具体的に転記してみてはいかがでしょうか。
    「インメルマンターンは180度方向転換の1タイプ」とBは全く矛盾しませんが、なぜアレレなのでしょう?
    とおり

  4. とおりさま、コメントありがとうございます。何かの本の註にあった
    のでなかなか思い出せませんが、らしきものは見つけました。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Immelmann_turn
    まずBがあり、次いでAがあります。
    Bは、180度旋回に際してどうコーナー速度に近づけるかの話であり、
    Aは、空戦におけるエネルギー保存則の嚆矢であって、
    かなりの飛躍を感じています。Aであるからこそ攻撃的な機動たりえた
    のでしょうし・・・

    はたの

  5. 私見ですが、ご提示のWikiもそうですが、
    Aは一次大戦時の機動解説に主に見る気がします。
    Bは主に2次大戦以降ですね。
    戦間期のエンジン推力の向上で、余剰推力で宙返り後の姿勢変更が可能になり、わざわざラダーを蹴って失速させなくても180度進路変更が可能になったからではないか、もしくはスロットルを絞るなり何なりしてかなり狙ってやらないとこのような機動が難しくなったからではないかと想像致します。
    P-kun

  6. なるほど、たしかにアレレですね。そのwikiによるとインメルマン氏がやっていたのがAってことですね。
    とおり

  7. P-kunさま、ありがとうございます。やる必要がなくなったからなのかできなくなったからなのか、がすっきりしないの第一点です。
    第二点としては、アメリカの飛行機乗りはインメルマンの死に間に合ってはいませんが、WW1とWW2はそんなに遠いわけでなく、どこかで呼称の変更を意図的に、かなり強烈に末端にまで浸透させないと教官世代と練習生世代とで齟齬を生じそうな気がいたします。他の国の空軍においても同様に。
    その変遷についての詳細がしりたいわけなのです。
    大塚さまのいわれるのが正攻法なのでしょうが、広汎な飛行教範の入手はいささか難儀ですし、発行後すぐに浸透したかも確かめがたくあります。
    「インメルマンターン、その変遷」みたいな本があればなあと・・・
    はたの

  8. 7>
    ご提示のWikiにも書いてありますが、一次大戦時のインメルマンターンは、今日ではウィングオーバーもしくはハンマーヘッドと呼称が変わっておりますので、(どちらかというとハンマーヘッドの方が近いでしょう。)できなくなった訳ではないのです。
    急上昇をかければ勝手に失速する程度の推力しかない一次大戦時の飛行機では簡単にできても、推力の増した戦間期以降の飛行機では意図的にスロットルを絞るなどしないとやり難くなっております。

    問題はなぜ呼称が変わったか、確かに昔から不思議とは思っておりましたが、
    これは想像ですが、現在のそのインメルマンターンを一次大戦機でやろうとしても、ただ単純にできなかったからではないか、嫌でもウィングオーバーやハンマーヘッドになってしまったからではないかと愚考いたします。
    (降下で速度つければできそうな気はしますが、一次大戦機だと降下速度もそんなに出る訳ではありませんし・・・)
    そしてエンジンパワーが上がった結果、現在のインメルマンターンが可能となり、既存のインメルマンターンもウィングオーバーやハンマーヘッドと2種類の機動に分けれることから呼称を変えざるを得なかったのではないかと思います。
    何でインメルマンターンの呼称が現在のそれとして残ったかは謎ですが・・・
    (インメルマン氏を称えるため何かしらで残したかったとは思います・・・)

    まあ、こればっかりは海外の資料か、防研や靖国神社等で戦間期の教範類(呼称が変わった時期はわかると思います)でも漁るしかないですね・・・
    回答にならず申し訳ございません・・・
    P-kun

  9. P-kunさま なんどもありがとうございます。以下資料はともかく理屈に合うか、だけでもよいのですが、
    「現在のそのインメルマンターンを一次大戦機でやろうとしても、ただ単純にできなかったからではないか」は少し不思議な感じがいたします。宙返りがかろうしでできる、頂点では失速寸前レベルならともかく、ゆとりを持って宙返りできるのならその頂点で半横転ぐらいできるような気がするのですが・・・

    旧イ式ターンについては、J.E.ジョンソン「編隊飛行」にも「よく承知ている」機動として出ているのを見つけました。

    はたの

  10. >10

     宙返りは実施するとなると結構な速度(米軍機の推奨速度はP-40が442q/時、P-47は523q/時)が要求されますし、想定より急角度で入れると頂点付近で失速するなど、正しい手順を必要とする機動です。インメルマン(B)は宙返りより開始時の速度が必要な機動で、P-47の場合563q/時以上の速度で実施せよ、とされており、同速度で機動を開始した場合の終了時速度が225q/時以下に落ちるという壮烈にエネルギーを喰う機動でもあります。このため推力に余力のないWWI時の機体の場合、WWII時には可能な機動が出来なかった可能性は充分にあると思います。
     
     故に8でP-Kunが言うように、機体の進化によりBの機動が可能となり、A等の類似の他の機動と区別する必要から分けて説明する必要が生じた、というのは合理的な説明であると考えます。
    大塚好古

  11.  追記。上で挙げた米軍機の宙返り実施の推奨速度は「最低限これだけは維持しろ」という数値です。教範上ではこの数値で宙返りを開始した場合、頂点で失速速度付近まで速度が低下することが示されています。
    大塚好古

  12. 大塚さま。インパクトのある数字のご呈示ありがとうございます。
    宙返りに限っても、ブレゲー11bisで出来て、オーバーストランドでもできて、重量制限はあってもタイガーモスでは当然にできて、というのと、
    「P-47は523q/時)が要求され」るというのとの落差にすこし混乱しております。
     もうすこし数値を渉猟するようにいたします。
    はたの

  13. >12
    P47という高翼面荷重の機体ではそのような数値になってしまうということだということでしょう。
    P47よりは低翼面荷重な疾風については、機動Bは速度400km/hにて、機動Aについては350km/hにて行うようにと操縦法にて指示があります。
    少なくとも機動Bは1次大戦型インメルマンよりもエネルギーを食う代物のようです。
    問題はおっしゃられた「ゆとりを持って宙返りできる」であり、これがどの程度なのかというのが私も含めていまいち掴めない為かと思います。

    あやふやな事はあまり書きたくないのでここらで打ち止めにしておきますが、少なくとも当時のインメルマンターンは、現在では2種類の機動に分けられており、それによってインメルマンターンの名前が残る余地は無くなったことは確かでしょう。
    それが別機動になぜインメルマンターンの呼称が移行したか、若しくは復活したのか、このあたりがポイントなのではないかと思います。
    P-kun

  14.  こっちも最後に。

     英軍及び英連邦軍機のマニュアルを見たところ、(B)は第二次大戦当時・1950年発行のマニュアルで別呼称を与えられているのが確認出来ました(ジョンソンがインメルマンを(A)で説明するのはこのためでしょう)。

     1960年代に英軍が発行したインストラクションを見てみないと断言は出来ませんが、インメルマンが(B)で統一解釈されるようになったのは、NATO設立時に英米で異なる用語の統一が図られた際の産物かも知れません。
    大塚好古

  15. 本当にありがとうございました。
    はたの


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