44 遅くなりましたが、再会おめでとうございます。
皆様のお知恵をお借りしたいと思います。
三式戦について、I型でのハ40のアンダーパワー→上昇力、運動性能の
低下ということがよく言われますが、
エンジンパワーアップの代わりあるいは同時に、
設計あるいは改設計の際に機体構造ベースでの重量軽減といった発想、
あるいは方向性はなかったのでしょうか。
機体の軽量化では隼、あるいは零戦の例もあり、
またハ40のパワーアップにも苦心しているところから
軽戦の系譜である三式戦でも設計ベースでその様な発想が
あっても良いと思ったのですが。
よろしくお願いします。
初心者

  1.  以前、五式戦の話の中で「川崎はあまり軽量化を重視しない社風であるようだ」という話がありました。
     そのときに三式戦の主翼は外板やフレーム数が零戦と変わらないくせに強度が高いのは、主桁が頑丈(複雑かつ重い構造なのだとか)という指摘があり、二式複戦のフレームの実物を見た方からも同様の傾向があったという話もありました。
     とすると、川崎で開発する限り「機体構造ベースでの重量軽減といった発想」は出て来づらい様に思いますし、一般的に高速化や武装強化には重量増を伴うことが多い構造強化がつきもので、零戦や一式戦でも性能向上型で重量軽減を行ったことはありません(P-51ではありますが)ので、やはり軽量化というのは発想しづらく、発動機の出力強化の方に目がいきやすいのではないかと思います。
    T216

  2. 『軍用機メカシリーズ 飛燕&五式戦』(光人社)記載の
    ・三式戦/五式戦の設計と開発 土井武夫
    より一部抜粋

    >(キ61の)主翼の設計強度は総重量の2950kgに対して設計荷重倍数n=12である。
    >荷重試験においてn=15まで負荷をしたが破壊までには至らなかったので試験を中止した。
    >荷重試験の結果から一時主翼の重量を軽減することも考えたが、審査飛行で
    >予想外の高性能を発揮したので見送りとなった。
    元山田

  3. 三式戦の主桁の構造図は意外と少ないのですが、「丸メカニック.37」のP18に詳細に掲載されています。また、表紙と見開きの解剖図(P6〜7)でも概略が判ります。
    飛燕の主桁は、コの字型のフランジを上下に向かい合わせ、この間を両側からフランジと補強材をリベット付した「箱型桁」です。非常に頑丈なつくりで、零戦などに多用された、T型フランジの間にウェブを張った「I型桁」とは違って、桁そのものが捻じれに強い構造で、そのうえ、翼根〜主脚取付・機銃格納部までは1〜1.2mmと比較的厚い外板で構成されています。
    7.7o機銃からいきなりMG151/20砲を積んでも対応できたのも納得できる構造です。
    1.T216さんの言われるように、機体の頑丈さを優先した設計だった、ということと思います。また、川崎(特に土井デザイン)は、同一構造設計を踏襲しつつシリーズ化することが考えられていたようなので、2.元山田さんの言われたような、一見オーバースペックとも思える強度余裕があったとも思えます(私見)。
    例:キ-61⇒キ-64⇒キ-88(⇒キ-100)、キ48⇒キ45改⇒キ96⇒キ102⇒キ108、など。
    TOSHI!!

  4. 皆様御回答ありがとうございました。おかげさまで得心がいきました。
    初心者

  5. この同時期、他社ではESD製フランジを用いた桁を採用し軽量化をはかっているのですが、川崎だけは大正時代にフォークト氏から伝授された第一次大戦中のツェッペリン・シュターケンの桁構造を守り続けています。実際、この意味は少しはかりかねるところがあります。強度的に頑丈だったというのもそれを狙ってのことではなく、結果的に(あるいは怪我の巧妙的に)そうだっただけなのではないかと思えるのが、>2で紹介されている川崎・土井技師の回想からも伺えることだったりしてしまいます。

    キ64は層流翼と冷却機構のためキ61とはサイズも形状も異なる主翼であり、特に構造を共通化する利点はなかったはずです。また、本来キ61の37ミリ砲搭載タイプとして出発したキ88も、土井技師が「これならキ61IIの主翼をそのままつけておけばよかった」と書いているように別設計のものです。従って、発展型を前もって見越して強度余裕を設けていたわけでもありません。


  6. 前回のお礼から少し間が空いてしまいましたが、
    追加のレスまで頂きありがとうございました。
    またよろしくお願いいたします。
    初心者


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