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2993 ボクの親戚の故人が、第1次大戦で、駆逐艦「朝風」に乗って地中海まで出撃したのを自慢にしていました。 「朝風」の地中海における行動の記録をご存知の方がいらっしゃったらお教え下さい。
ken

  1. http://hush.gooside.com/name/a/Asakaze/Asakaze.html#anchor332628
    夏ですな・・・

  2. >御紹介多謝。
     上記ページにもありますように朝風は地中海に派遣されておりません。
     いぎし ちじ様のホーム・ページ、HSC江戸屋敷
     http://homepage3.nifty.com/hscedoyashiki/index.htm
     の方に地中海に派遣された日本艦艇についての詳しい記述がありますので、ぜひそちらを御覧下さい。
     なお、この朝風は初代の方で、駆逐艦と言っても日露戦争後に竣工した小型のものです。
     思うに、その方は別の艦に乗って地中海に派遣された。
     そして、その後に駆逐艦朝風に乗られたのをお聞きになられた方か、御本人が混同されたように思います。

     なお、二代目朝風は第1次世界大戦後の1923年に第3駆逐艦として竣工、28年に朝風と改名されております。
     

    hush

  3. hush様 早速のご回答、感謝。
    いまその息子に聞き直したところ、「朝風」はボクの間違いで、彼の父、川嶋1等兵曹は「春風」に乗って地中海へ行ったと聞いているそうです。息子はWW2のとき海軍に居て、教官で軍艦に詳しい上官から「春風」はスラバヤで撃沈されたと聞いた、といっていますが、おそらくそれは1923年進水の第二の「春風」であったようです。いずれにしろ、一緒に行った僚艦と共に、地中海から丘を囲んで艦砲射撃し、山頂を吹き飛ばしたという話を、その息子もボクも何度かきかされました。「春風」艦上で撮った写真もあるそうです。 本人が三十年も前に亡くなっているので、真偽のほどは分かりません。有難うございました。
    ken

  4. >2
    ご紹介ありがとうございます。いずれは地中海の作戦全体の概略を載せたいとは思っておりますが、まだまだ…

    >kenさま
    WW1にて地中海に行ったのは第二特務艦隊で、大正六年(1917)2月7日に編成。当初の編成は、巡洋艦明石、第10駆逐隊(桂、楓、楠、梅)、第11駆逐隊(松、榊、杉、柏)で軍艦1に駆逐艦8隻。
    後に追加の駆逐隊と交代の巡洋艦が送られ、17年6月に巡洋艦出雲と第15駆逐隊(樫、桃、檜、柳)が参加しています。また現地に到着したのは終戦後になりますが、巡洋艦日進、またイギリスから貸与された駆逐艦H級2隻(Minstrel、Nemesis)を「栴檀」「橄欖」として、また武装トローラー2隻(Tokio、Miningsfi)を「東京」「西京」として運用しています。
    従って「春風」も「朝風」も参加していません。

    詳しくは調べないと判らないのですが(あぁ目黒に行きたい)
    もし「朝風」でWW1当時だとすると、もしかすると青島とかシンガポール方面に派遣されたのかもしれませんが、可能性は低いと思います。
    地中海から丘を囲んで艦砲射撃し、山頂を吹き飛ばしたという話は…そんな面白い話は残念ながら、私が第二特務艦隊を調べている範囲では、見たことがありません。
    まだまだ精進が足りないなぁ

    いぎし ちじ

  5. >3
     いえいえですが、春風はスラバヤでは沈んでおりません。
     それどころか、雷撃を受けて艦尾を失った状態ではありますが敗戦時に残存しております。
     戦後、京都府竹野郡丹後町の竹野(たかの)港の防波堤として船体を流用されております。
     この艦は船団護衛に非常に活躍しており、その栄誉を顕彰して海上自衛隊(当時は海上警備隊ですが)の国産初の護衛艦(同警備艦)はるかぜに艦名を引き継いでおります(姉妹艦はゆきかぜ)。
     一方、朝風はフィリピン、ルソン島北部で雷撃を受けて沈没しており、これもスラバヤからは離れております
     (なお、この艦名もアメリカから引き渡された駆逐艦と国産ミサイル護衛艦の艦名として海上自衛隊に引き継がれております)。
     これらは二代目ですが、初代の方は、春風、朝風ともに1924年に掃海艇となり29年に廃船となっています。
     なお、その付近では狭霧(さぎり)、東雲(しののめ)、夏潮等の駆逐艦が沈められていますが、スラバヤで沈んだ駆逐艦と言うのは記憶にありません。
     また、いぎし ちじ様もおっしゃっておられますが、地中海で陸上を砲撃したと言う話は僕も知りません。
     演習等で実施されたのかも知れません。
     ただ、当時海外に行った日本人と言うのは非常に珍しく、大いに自慢してしかるべきことかと存じます。
     何度も申されていたと言うのは当然の事でしょう。
     ですので、艦名等多少の混乱はあるかとは思いますが、話の大筋そのものは事実であろうと思っています。
     当時の新聞等でお名前を探してみると言う方法もあるとは思いますが、残念ながらそこまで手が回りません。
     お役に立てなくて申し訳なく思うとともに、
    故人の御冥福をお祈り申し上げます。
    >4
     準備でお忙しい所、わざわざありがとうございます。
     いや、専門家と言うのは得がたいものです。
     また、助けて下さいね。

    hush

  6. ゴミですが、
    地中海マルタ島グランド・ハーバ−の対岸、カルカラの丘には「大日本帝国第ニ特務艦隊戦没者之墓」というものがあります。
    WW1当時、マルタ島ラザレット・クリークを基地として行動した第二特務艦隊の戦死者(Uボートの雷撃による駆逐艦「榊」戦死者など)の方々が葬られているそうです。
    いつか行きたいです。
    第八六七艦隊

  7. >教官で軍艦に詳しい上官から「春風」はスラバヤで撃沈されたと聞いた、

    情報自体は戦時中に、又聞きで聞かれたということですね。
    春風が敗戦時大破予備艦状態で残存していた事は、先のhushさまの仰せの通りですが
    同艦は南方占領後暫く、第一南遣艦隊所属で南方水域の警備哨戒に当たっていた期間中に
    一度、スラバヤ入港時に蝕雷して船体前部を切断大破する損傷を蒙っています(17.11.6)。
    実際の詳しい話は「艦長たちの太平洋戦争(続)」に森本義久氏の回顧としてありますが、
    恐らく先の「スラバヤで撃沈された」という話の出元はコレではないかと愚考します。
    烈風天駆

  8. 誤(17.11.6)→正(17.11.16)。日付の10の桁を誤って消してしまいました(謝
    烈風天駆

  9. [春風]の地中海に関する、皆様からの情報、感謝いたします。 ボクの縁者川嶋1等兵曹は、戦争中は村役場で「兵事係」、のち村助役を勤めた、頭脳明晰、真面目な物知りでしたから、彼の言う「地中海からの包囲艦砲射撃で山頂を吹き飛ばした」というのは嘘ではないでしょう。

    別の話ですが、近年物故した、ボクの親友樋口治氏は船舶デザイナーで、橘丸から新さくら丸まで、戦前戦後にかけて多くの船舶デザインを担当してしています。戦後の再出発は舞鶴湾座礁沈没した「帝立丸」こと、フランス「コンテ・ディ・リルス号」の改修返還でした。 
    令嬢山中千佳子さん(c-yama@wonder.ocn.ne.jp)が、「デザインの年輪 樋口治作品集」(非売品)と言うのを出版されました。 内容の約半分は氏が手がけた船舶の写真とそのいきさつの説明などです。 興味がおありの方は、山中夫人にメールされれば送ってくれると思います。たしかまだ残部があるハズです。
    ken

  10. >9
    Leconte de Lisle
     この船ですね。
     http://www.es-conseil.fr/pramona/leconte.htm
     http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450728teiritu/teiritu.htm
     けっこうフランスがあれをつけろこれをつけろと文句を言った船だったように記憶しております。
     装甲巡洋艦吾妻の調度類が使われたのはこの船だったかな。
     どちらにしろ大変なお仕事をされたものですね。
     1948年浮揚50年返還56解役ですからあまり長く使われなかったようですが、1922年の竣工ですから仕方がないかも知れません。

    烈風天駆さま
     フォロー多謝
     それ、http://hush.gooside.com/name/h/Ha/Harukaze/Harukaze.html#anchor90669に自分で書いているじゃない!
     いかんなぁ

    hush

  11. hush 様 
    そうです、その LeConte de Lisle です。「もとの18にして返せ」といったフランス政府代表ドーレ造船中将の夫人がエコールド・ボザール出身のインテリアデザイナーで、この人が「高島屋」「内外」宮崎」「神戸船舶」の四社が競争提出したデザイン案に一貫性がないとして「ノン」をつけ、結局、樋口先生の意見が通り、四社合同で造船所の来賓館に1ヵ月缶詰され、共同作業したそうです。強行作業だったが、食事だけはふんだんに美味い物を食わせてくれ、完成デザインに夫人がOKを呉れたときはホッとした、と先生は言います。一昨年、樋口先生は亡くなり、ボクと、京工繊大の山内教授が弔辞を読みました。
    ken

  12. >ken様
    書き忘れていましたが、この本は面白いかと思います
    「日本海軍地中海遠征記 若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦 」
    http://www.esbooks.co.jp/books/detail?accd=30848533
    艦砲射撃の件は今後の研究課題とさせていただきます。
    ありがとうございます。


    >第八六七艦隊 様
    グランドハーバー周辺地図をアップしておきました。
    http://homepage3.nifty.com/hscedoyashiki/edoyashiki/edo_map/edo02_malta_map.htm

    ご参考にしてください。
    私も行きたい…

    なお、第二特務艦隊の死者は、全て荼毘に付され、主要なお骨は日本に持ち帰られています。この慰霊碑にも骨の一部が入ってますが、それは荼毘に付し、お骨を箱に入れたた際に残った細かい骨や灰となります。
    なお、波にさらわれて行方不明になった方の遺品が入っているかどうかは不明です。
    いぎし ちじ

  13. いぎしさんありがとうございます。

    いくのはいつになることやら・・・

    第八六七艦隊

  14. いぎし知事様
    ボクも、マルタへ行ってみようと思います。
    しかしそのマルタ島の山頂が、わが海軍が集中砲火でフッ飛ばした山頂かどうかは疑問ですね。 調べてみると、マルタはWW1のとき既に英領で、日本海軍の根拠地になっていたといいますから・・・。
    それともマルタが大戦時、イタリアに占拠されていて、それをやっつけるために集中砲火を浴びせたのでしょうか。 どう思われます?
    ken

  15. >14
     マルタはイタリアに占領されておりません。

    hush

  16. hush様の書いておられるように、当時マルタはずっと英国領でした。ちなみにイタリアは連合国として日英の味方となっています。(WW2でも最後は連合国でしたが…)
    マルタ島は周囲が崖ですが、崖の上は比較的なだらかな地形で、住んでいる場所が多く、山頂を吹き飛ばすなどとはとてもできません。
    また敵地に対する艦砲射撃(まぁ駆逐艦ですから大したものではありませんが)といったような作戦は行っておりません。これは戦闘詳報は全て閲覧していますので間違いありませんから、もしあったとするならば訓練であったと思われます。
    …とすると当時第二特務艦隊は実戦部隊で、訓練で根拠地マルタから1日以上かかるところに行ったとは思えません、どこかマルタ周辺の小島でのエピソードでは
    ないかと思います。
    弾薬消費には必ず書類が必要であり、WW1の第二特務艦隊の記録は比較的良く残っていますので、防衛庁目黒の資料を丹念にあたればKen様のエピソードも見つける事が可能かと考えております。

    ちなみにマルタに行くならば、ローマ経由が便利です。
    この秋知人が行くので、花を供えるお願いをしておきましたが、いつかは自分で行きたいと思います。

    ちなみに参考まで
    外務省ホームページhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malta/
    個人的に行った方のHP http://www.midmed-news.com/mlt_mltrj_z13c.html



    いぎし ちじ

  17. いぎしちじ様 hush様 ご示唆下さった他のホームページなども読んでみました。 なるほど地中海における第二特務艦隊に「春風」は含まれていませんね。 こうなると「はて面妖な・・。さてはわが川嶋1等兵曹殿、ウソをついたか」ということになります。が、ウソをつくような人柄では無し、一生を村役場で過ごし、助役のときに町村合併で市長にはなれなかったものの、村の指導者として生涯尊敬された彼が、得にもならぬウソをつくとは思えません。「歴史はその日から誤認がある」というのを地でいくようなものです。故人に口は無し、今となれば致し方ありません。
    もう一人、ボクの親戚で「203高地攻めで、大隊長以下ほとんどが戦死。軍曹で大隊長の代りをした」というのが自慢の、元村長が居ました。これも、今となれば真偽の程が分かりません。
    あのころは、軍隊で下士官にでもなれば、除隊後村役場へ入り、最後は「名村長」と言われたものです。上等兵で除隊しても、村の青訓の指導員としてサーベル佩げられたものです。 よき時代でした。 いろいろ教えて頂いて感謝します。
    ken


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