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2872 私の祖父は大正12年9月の関東大震災の際に東京にいたのですが、海軍の軍艦に乗って避難したと父に生前話していたそうです。父の記憶は定かではないのですが上陸地点は静岡県か愛知県のどちらかと聞いたように記憶しているそうです。
質問ですが、この海軍の軍艦名が特定できないでしょうか?あるいは当時の日本海軍の艦船が従事した避難民の輸送活動の記録(何月何日、どこ発、どこ着、避難民何名乗船といった)はないでしょうか?
宜しくお願いします。
都落ち

  1. http://www.tanken.com/sinsainikki.html
    ここに、被災して9月9日に巡洋艦天竜に乗って清水港に上陸した人の記録があります。他に神威という艦も一緒だったと。多分ピストン輸送したろうし、他にも参加した軍艦があったかもしれません。
    Yp

  2. 関東大震災における海軍の活動に関する報告は防衛庁に相当数が所蔵されています。
    大正12年の公文備考にまとまっているそうですが、私自身は詳細は見たことがないので詳しい内容は分かりません。

    連合艦隊は9月8日に艦艇を用いた海上輸送を命令、東京、横浜方面の罹災者で関西方面への避難を希望する者を清水まで運び始めています。
    この活動は22日まで行われ、延30隻が参加とあります。
    例えば横浜〜清水間の輸送に天龍、筑摩、韓崎の他、支援に来た米国アジア艦隊所属の駆逐艦が従事、13094名を運んだなどの報告が存在するようです。
    他にも当時の練習艦隊の浅間、磐手、八雲が品川〜清水間輸送に従事していることが確認できます。
    ショーシャ606

  3.  阿川弘之著「軍艦長門の生涯」第十章に若干の記載があります。
    新潮文庫版ですと上巻の204ページ以降ですが、長文ですので関連ありそうな事項をまとめて紹介させて戴きます。

     当日、連合艦隊は旅順の東北約100kmの裏長山列島にあった。
     翌9月2日夕刻、連合艦隊はようやく状況を把握して救援に向かった。
     先発隊は第1、第2水雷戦隊、第3戦隊軽巡洋艦球磨、多摩、大井、第5戦隊軽巡洋艦名取、長良、鬼怒等で、午後5時前後の出港であった。
     長門、陸奥が出港したのは午後6時半であった。
     各艦単独航海であったため、満州、若宮等は後方に取り残され、復興資材の電線を取りに釜山に向かった艦もあったりで、行動は系統だったものではなかった。
     長門は陸奥、伊勢、日向から食料、医薬品等を内之浦湾で受け取り、呉で補給後横須賀に向かった。
     途中、イギリス巡洋艦が同航してきたが、長門は速力を緩めなかったので最高速力が公称の23ノット以上であることがばれた可能性があった。
     長門は9月5日午後2時半、横須賀に入港、東京芝浦沖に回航した。
     同日夜半、巡航を取り止めた練習艦隊の浅間、磐手、八雲も入港した。
     この時、特務艦富士と第14駆逐隊は既に警備、救難任務に就いていた。
     6日朝、第2艦隊旗艦金剛が品川に入港。
     横浜港に救援物資を搭載したアメリカ駆逐艦が入港。
     9日朝、日向、比叡、霧島が入港。
     同日正午、食料品を満載した陸奥が呉から回航。
     海軍は陸奥、伊勢、山城、迅鯨、浅間、磐手、平戸他、計70隻以上を使用して京浜地区と阪神または清水港との間の避難民輸送に従事。
     9月18日、海軍は避難民輸送を打ち切ったが、輸送人員は3万4431名に及んだ。
     翌朝、品川沖に停泊していた艦船は長門、陸奥、扶桑、金剛、比叡、霧島、富士、浅間、千歳、出雲、北上の他、特務艦、駆逐艦、商船をあわせて80隻を越えていた。

     以上であります。

     なお、アメリカ、アジア艦隊(アンダーソン司令長官)は旗艦の装甲巡洋艦ヒューロン等の艦船を横須賀に派遣し救援品を輸送しており、その他各国も多数の艦船を使用して救援作業に従事していたようです。

    hush

  4. 早速回答をお寄せ下さった方々ありがとうございました。そうですか揚陸は清水港でしたか。祖父は結局東京へは戻らず、静岡県在の知人の紹介で就職しました。もしも清水港ではなくて他の港だったら...今日の私は生れていなかったかも。
    私事で失礼致しました。
    都落ち

  5.  いえいえでありますが、一つだけミスに気づきました。
     アメリカ、アジア艦隊は横須賀ではなく横浜に来ております。

     末筆ではありますが、御祖父様の御冥福をお祈りいたします。
     
    hush


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