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2630 はじめまして。大和型の主砲についての質問なんですが、3番艦信濃は建造途中で空母に改造されていますが、弾火薬庫が既に出来ていたということは既にそれに搭載される主砲塔は完成していたのでしょうか。出来ていたとすると建造中止になった時点でどんな処置を受けたのでしょうか。八八艦隊で建造中止になった戦艦の主砲は陸軍に譲り渡されて海岸砲に転用されていますが、そのような転用計画はなかったのでしょうか?
河童

  1.  砲塔は一応完成もしくは完成寸前でありました。
     そのまま死蔵され、防盾は米軍の射撃テストに用いられたとされています(ただ、米軍が撃ったのは別の試作品という話もあり、はっきりしてません)
     転用計画は聞いた事がありません。同様に余っていた伊勢・日向の主砲も転用されておらず、また八八艦隊艦及び退役戦艦の主砲据付に多大な時間と手間がかかった事を思えば、信濃の砲は大和・武蔵の予備部品として扱われる方が自然であったのではないかと思われます(ていうか樫野がないと運ぶのも大変だし・・・)
    SUDO

  2. 便乗になってしまいますが、樫野が沈没した時点で信濃の砲塔の搭載(輸送)は絶望的だったのでしょうか?

    樫野を沈没してもいいような輸送任務につかせる=信濃の竣工は戦時下ではありえない、
    と判断されたのでしょうか
    星芋

  3. >主砲塔がどうなったかはわかりませんが、信濃に使われる予定であった主砲の砲 身は戦後横須賀海軍工廠で亜米利加軍に接収されたようです
    >軍部が信濃の竣工を開戦時から諦めていたかはわかりませんが、少なくとも半年 ほどで戦艦として完成するのは諦めていたのは各書籍で語られています。無論空 母になる船に主砲は要りませんから樫野の重要性が薄まったというのは大いにあ るでしょう
    麗樹

  4. >3
    ’41 12/8時点で「戦艦としての建造中止」の訓令が出ていると思います。
    ミッドウェイ海戦までは「ドックを開けるためにとりあえず海上に出せるまで作っとけ。あとでどうするか考える」でしたよね。戦局の推移によっては,戦艦「信濃」として完成したのかなあ・・・?(やっぱり無理か。)

    あと「信濃」が戦艦として完成しなくなっても「樫野」は重要だったと思います。「樫野」なしでは他の工廠に主砲塔・砲身を届けられないため「大和」「武蔵」が主砲塔・砲身関係の修理の出来る所が呉工廠だけになってしまうからです。

    しかし実際は「樫野」は昭和17年には撃沈されてしまっています。この点当時はどう解決するつもりだったのでしょうね?
    Ranchan

  5. >4.〜この点当時はどう解決するつもりだったのでしょうね?

     ご自身が触れられている、「'41 12/8時点で「戦艦としての建造中止」の訓令」がキモではないでしょうか?
     この訓令が、建造の一時休止を指すものではなく、戦艦戦力の拡充・整備の放棄(極論すれば、現有戦力の使い捨て)を意味するとすれば、「戦艦」にぶら下がっている船が他用途に転用されるのは問題ないと思われます。
    能登

  6. ありがとうございました。あの後自分なりに資料を集めたら確かに米軍が接収して射撃の的になっていました。見事に貫かれていました。アメリカではそれを勝利の証として記念撮影したようですが・・・。何だかもったいないような気がします。
    河童

  7. >5
    いくらなんでも’41 12/8時点で「新戦艦の建造放棄」ならともかく,「全戦艦の整備(修理含む?)の放棄」はないと思いますが。終戦直前のように全部第4予備艦になっちゃった訳ではないんですから。

    Ranchan

  8. >’41 12/8時点で「戦艦としての建造中止」の訓令が出ていると思います。

    出ているんでしょうか?
    開戦にあたり放棄されたのはマル五計画の戦艦と超甲巡等であってマル四計画戦艦二隻についての空母改造、建造中止の決定が為されたのは昭和17年6月30日付の「昭和十七年度戦時航空兵力増勢及艦船建造補充ニ関スル件商議」を受けてのことではないかと思います。それまでの基本姿勢は開戦直前に決定されたマル四計画艦=建造促進 マル五計画艦=航空兵力と空母等を除き中止の方針を反映したものであるはずです。
    BUN

  9. 海軍軍戦備(1)より、昭和16年11月6日に出された軍令部総長発海軍大臣宛商議より

    一、方針
    イ)戦争遂行上当面必要なる艦船建造並びに航空兵力拡充を急速実施すると共に戦争長期にわたる場合を考慮し
     数年間にわたる建艦計画並びに航空兵力増勢計画を樹て当面の戦備に支承を来たさざる限度において
    極力之を実施す。
    ロ)兵力整備の緩急順序を概ね以下の通りとす
     1.航空機、2.潜水艦、3.航空母艦・防備艦艇(海防艦を含む)、4.駆逐艦、
     5.飛行艇母艦・運送艦、6.巡洋艦、7.戦艦・大型巡洋艦、8.その他の艦艇

    二、艦船建造
    イ)期間
    1)既定計画に基づく艦船
     現計画を極力促進す
    2)昭和16年度戦時追加建造艦船
     昭和16年度より着手し、概ね昭和18年度末までに完成す
    3)昭和17年度艦船建造補充航空兵力増勢計画第一期に属する艦船(一部を除く)
     昭和17年度より着手し、概ね昭和22年度末までに完成す

    ロ)建造艦船
    1)既定計画に基づく艦船
     ただし第137号艦(注 仁淀)及び第237号艦(注 橿原)の建造はこれを延期または中止す
    2)新たに建造すべき艦船
     ・昭和16年度戦時追加建造艦船
      艦種隻数及びその主要要目別紙の通り(注 略)
     ・軍令部機密第471号商議昭和17年度艦船建造補充航空兵力増勢計画第一期に属する艦船
      ただし戦艦、巡洋艦(超甲)、潜水母艦、水上機母艦、敷設艦及び砲艦の建造は一時見合わせ、之が着手の時期に関しては情勢に応じ別途協議す。

    三、航空兵力増勢
    (後略)

    この次はBUN師匠の挙げた17年6月30日付商議で建艦方針の改定に至っていますので、
    それまでは上記方針に従った建艦政策が行われていたことになります。

    勝井

  10. 「開戦と同時に戦艦として建造中止」云々ですが、
    一応海軍軍戦備(2)に記述はありますね。

    第110号艦(信濃)
    本艦は、大和型戦艦の第3番艦として、横須賀海軍工廠の造船船渠内において昭和15年5月4日起工し、
    昭和20年3月末竣工予定をもって工事が進められたが、途中艦底防御の計画変更等により工事の進行が遅れ、
    大東亜戦争開戦の昭和16年12月8日現在、船体工事は前後部が弾薬庫床部分まで、中央部は下甲板付近まで、
    全体としておおむね下部構造の工事までが進んでいた。

    開戦と同時に戦艦としての工事を中止し、なるべく早期に浮揚出渠させるに決しその工事が進められたが
    前述の、ミッドウェー海戦の結果による航空母艦の緊急増勢中にも含められて航空母艦に改装することが決定したのである。
    (後略)

    29頁より抜粋
    勝井

  11. >8
    >>’41 12/8時点で「戦艦としての建造中止」の訓令が出ていると思います。

    >出ているんでしょうか?

    上記の書込みをさせて頂いた根拠を記述させて頂きます。

    1.「だが,昭和十六年(1941)十二月八日,この日をもって,本艦(注:「信濃」)の戦艦としての工事は終わったのである。」(光人社「福井静夫著作集 日本空母物語」)
    2.「果たしてこの十二月,『信濃は戦艦としての工事を中止せよ。・・・早く六号ドックから出せるように努めよ』との命令が来た。」(学習研究社「空母大鳳・信濃」)
    3.「昭和16年12月8日の開戦に伴い戦艦としての工事中止」(学習研究社「日本の航空母艦パーフェクトガイド P109「信濃」)
    4・「『信濃』は開戦当日の十二月八日に『戦艦としての工事を中止し,さっさとドックを空けるように』という意味の身も蓋もない訓令を受けているのだ。」(学習研究社「帝国陸海軍補助艦艇 給兵艦「樫野」)

    まあ,「それらは問題の訓令そのものではないから信用できない」といわれると,何も言えませんので「と思います」が付いてしまったのですが・・・。
    Ranchan

  12. 上に挙がっている16年11月の方針はマル五計画戦艦と超甲巡の中止、但し空母は継続、そしてマル六計画は将来の参考程度のものとして放棄、を定めていますが、110号艦、111号艦は継続とされ建造中止を明確化していないのです。
    であるからこそ、ミッドウェー後に両艦の処遇を決定しなければならなかったと考えるべきではないかと私は思っています。
    BUN

  13. 信濃の主砲は、学研 大和型戦艦2に出ていますが、亀ケ首射場に置いて
    ありました、終戦時、信濃用砲身(46p)7門と試験用2門があり。
    砲鞍や装填機、横搬送装置、給弾装置などなど・・・・・・・・・・・
    色々おいてありました
    p

  14. しばらく前に読んだので、記憶が曖昧ですが、確か、海軍島に配備してあり、米軍の爆撃で、破壊されたとか(砲搭に、「シナノ」と書かれていたという)
    NF


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