ちょっと気になると夜も眠れない。 武器、装備全般 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
995 |
機銃の発射レートについて質問します。 一概には言えないのかもしれませんが、リコイルスプリングがヘタって来た時、発射レートは一般に低下するのでしょうか? それとも早くなるのでしょうか? リコイルスプリングの反力が弱くなることでボルトの後退速度は早まりそうですが、ボルトの前進速度は遅くなりそうなので発射レートは高くなるのか、それとも低くなるのかが気になります。 おうる |
誰か答えて下さい。
994 |
ドイツ軍が開発した燃料容器“通称:ジェリカン”は非常に優れた製品で、第二次大戦初期のドイツ軍の勝利に貢献しましたが、簡単に製造できるので、じきに敵側の米英軍やソ連軍が模倣しています。 ところが、同盟国だった日本軍はジェリカンを採用せず、運搬しにくいドラム缶と使い勝手の悪い一斗缶を使い続けたのですが、その理由は何でしょうか? GoogleのAIモードで検索すると、「物資の不足と兵站に対する思想の違い」としていろいろ書いてあるのですが、ピンときません。 PIAT |
しかし、私の頭もあまり変わらず、あれってドイツの発明だったのかと思っているぐらいです。その頭が考えたことですので、あまり信用せずに読んでもらいたいのですが、当時の日本でプレスってほとんど使われていないのではないでしょうか。
もちろん、明治時代にはプレスが入ってきて、自転車の製造に使われたそうですが、自動車の部品に採用され出したのは1930年代です。
そして、このジェリー缶はプレスされたものを溶接して作るのですが、一斗缶のほうはそんな高度のものではありません。
人件費の安い日本では運搬しにくいとか、使い勝手の悪いというのはどうでもよいので、貴重なプレス機はもっと高級なものに使われたのではないかと思うのです。
それに、ヨーロッパや北アフリカと違って、日本はドイツ軍の燃料容器を見る機会というのは限られていたと思いますので、存在自体がほとんど知られていなかったかもしれません。
hush
私は山村育ちで工場というものをあまり見たことがないせいか、プレス加工機は町工場にある平凡な機械だと思っていましたが、戦前の日本では貴重だったのかも知れませんね。
また、「ステンガンやMG42は切削部品を減らしてプレス加工を多用した」との記事をよく見るので、プレス加工は低コストだと思い込んでいましたが、プレス機をただの燃料容器製造に使えるドイツやイギリスに比べて日本の工業は遅れていたのでしょうね。
PIAT
イギリス軍でも模倣品を作るまでには紆余曲折があったようです。
アラン・ムーアヘッド『砂漠の戦争』、又はデズモンド・ヤング『ロンメル将軍』に書いてあったと思いますが、前線では頑丈なジェリカンの支給を要請したのに、べこべこしたブリキ缶ばかり届いたとのことで、官僚主義を嘆いていました。
肝心の本が手元にないのですが、軍という組織の体質を表しているように思いました。
PIAT
ですから、酸素魚雷の気室が金属塊を削りだして作っていたとか、エンジンに合いそうなネジを探し出してヤスリで削ってという話を聞いて、よく戦争をしたものだと思ったわけです。
自動車免許があったので特殊技能として兵役に取られなかったとか、電話機がなかったので使い方が分かる人がいない、名古屋で作った零戦を各務原の飛行場に持っていくのに、振動防止のために牛車を使わないといけなかった時代ですので、工業化はアジアの中ではましなほうの程度でしょう。
プレス機も輸入品しかなかったので、作りたくてもできなかったと思います。
hush
戦前から小松製作所(現:コマツ産機)がプレス機を製作していました。
沿革によりますと1924年に初めて450tプレス機を製造。
終戦までに5000tプレス機まで開発したとのこと。
超音速
たしかに、市販プレス第1号、450t成形プレス製作とありますね。
御教示多謝。
hush
一斗缶とジェリ缶の違いを考えると納得できる部分があるやもしれません。
一斗缶
・既存設備で製造が容易(数十年製造)
・入れる物が液体にとどまらず汎用性がある
(缶切りで大きく切り取れて使い勝手が良い 製造時製品封入にも〇)
・積み付けや輸送方法等は国内国外問わず
物流網は完成している時期
ジェリ缶
・ドイツ生まれで実績があやふや
・燃料輸送用ということだが戦時の機械化自動車化は
まだ途上で既存の補給方法で問題がない
・千キロ単位での侵攻戦等は考えられておらずジェリ缶導入の
メリットが見当たらない
・既存生産ラインが使えず改造か新規で生産ラインを1から
立ち上げないといけないが兵器製造に影響なく立ち上げるのは難しい時期
(金さえつめば何でも買える時代なら一考されたかも?)
・プレス製造に明るい企業が当時は希少と思われるのと
資金投入を考えても金欠の陸軍がOKを出さないと思われ
ももんが
大きく取り入れられていたのは間違いないので
既存の設備から派生派(用途特化型)を
新たに導入する必要性は余り感じないという点で
導入は見送られたのではないかと思います。
戦時の写真でも鹵獲品の再利用等してるは見られない?
写真があればどのような用途で用いてたのか興味深々だったりします。
ももんが
993 |
現在、核兵器はミサイルあるいは爆弾の内部に収容されていると思います。通常の爆弾や砲弾がこれら核兵器の極近傍で爆発した場合でも、核爆発は絶対に起こらないようになっているのでしょうか。ウラン型の場合は誘爆するような気がするのですが。 電気戦艦 |
広島型でも爆発させるのは難しいですが、一点に同時に収束させるタイミング設定がシビアで、核ミサイルを迎撃しても核爆発は起きません(放射能被害は生じると思います)。
水爆の場合は起爆に原爆が必要ですので、こちらもあり得ません。
https://togetter.com/li/1139352
hush
安全機能の設計の違いの方がよほど危険度に影響すると思いますよ。
【構造に爆縮型を採用した場合】
・核物質にはウラン、プルトニウムのどちらも採用可能です。絶対ということはありませんが、砲身型に比べて安全であり、さらなる安全機構も採用しやすい。
【構造に砲身型を採用した場合】
・核物質にはウランが用いられる。プルトニウムも原理的には採用可能ですが、プルトニウムはPu-240の割合を桁違いに少なくする必要があり、これがネックとなって、実用化に至らなかったハズ。
太助
爆縮レンズは非常にデリケートでシビアで、正常に爆発しないと核爆発を引き起こせません。
ただ、核爆発は一定以上の圧力が加わって密度が一定以上に高まれば核爆発を引き起こすので、極近傍で核爆発があってその条件が満たされれば核爆発を引き起こす可能性はゼロではないと思います。
また水爆の場合は核爆弾の爆発エネルギーを用いて重水素に核融合を引き起こさせるものです。極近傍で核爆発が発生し、そのエネルギーが核融合を引き起こすのに十分なものであれば重水素が核融合爆発を起こす可能性はあるでしょう。
ただ、そうした条件が偶然でも発生する可能性はかなり低いと思います。
おうる
電気戦艦
992 |
日本海軍が使用していた99式20mmについての質問です。 日本海軍が99式20mmの運用を始めた際には1号銃を用いていましたが、太平洋戦争中盤から1号銃を2号銃へ置き換えようとしています。なぜこのような置き換えが行われたのでしょうか。 2号銃は1号銃より高初速ですが、発射速度は遅く重量もあります。重量が嵩むのは戦闘機にとって運動性能の低下につながります。軽量化を意識して作られた零戦などは尚更でしょう。投射量の減少はそのまま火力の減少に繋がりますし、対戦闘機戦では射撃時間も限られると思います。高初速化は偏差射撃がやりやすくなるなどのメリットもありますがわざわざ置き換えるにはうまみが少ないような気がします。 豆戦車マン |
「九九式二号」でwarbirdsサイト内検索をかけると、↓が出てきました。
http://www.warbirds.jp/ansq/1/A2001473.html
-----以下抜粋(7レス目)-----
九九式20mmは遅延信管を備えた徹甲弾を撃ち出す立派な大砲ですから長銃身の採用はあくまでも敵機、それも爆撃機に対しての装甲貫徹力の増大を目的としたものです。これは九九式二号機銃の導入を巡る記録に明言されています。
-----終わり-----
この↑記録の内容を小生は確認していないのですが、これが正解かと思います。
※疑義ある場合は「九九式二号機銃の導入を巡る記録」を探されるのがよろしいかと。当時の海軍が感じていた旨みが記載されているはず。
備考)
防衛研究所にある
E技術-兵器-74から76 兵器の研究経過概要表(戦史−航空射撃兵器)
E技術-兵器-81 実験研究経過概要並に主要航空兵器の変遷 弾薬包関係
あたりに記載があるのかと想像しています、ハズレかもしれませんが。。
(「E技術」を電子化してほしいなあ。。。)
太助
特に発達史も9章、10章辺りで、太助殿が引用された件についての具体的な話、また2号銃採用の理由と採用後の評価についての詳しい説明が書かれています。
タンジェント
豆戦車マン
991 |
アーチェリーもそうですが、矢を射った後弓を回すのはどうしてでしょうか? まさのり |
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1191538091
がヒットしました。
hush
まさのり
990 |
V1ミサイルの高度が3000mぐらいなのは何でですか? 欧州大陸とロンドンの間に3000m飛ばないと越せないような山など無かったような気がしますし、阻塞気球を避ける高度としても高すぎます。 おうる |
英語版Wikipediaに以下内容がありました。これを逆に読むと、高度1500m程度以下ではV1に届く対空砲が多く、これを避けるためにより高めの運用高度が有利と考えられたのではないでしょうか。
-----翻訳引用-----
当初、作戦高度は2,750mに設定されていたが、気圧燃料圧力調整器の度重なる故障により、1944年5月に作戦高度は半分に下げられ、V-1は連合軍のAAユニットで一般的に使用されている40mmボフォース軽対空砲の射程内に入った[1]。
-----
それでは運用高度は高ければ高いほどよいかというとそうでもないようで、レーダに見つかりやすくなるとか、パルスジェットエンジンをやめて高価な機材に変える必要があるかもとか、考えられますね。
備考)パルスジェットエンジン。軍事分野ではもう使われない技術かと思っていたら、ウクライナでドローン用に用いられているようです。かなり騒音が大きいらしい。
太助
回答ありがとうございます。
納得しました。
おうる
現在のウクライナ戦争では
・ロシアの用いた攻撃ドローン(シャヘド系列)は当初、レーダを避けるために低高度で侵入していた。ウクライナ側の迎撃率は95%以上あった模様。
↓
・シャヘドは高度3000mかそれ以上という対空火器の届かない高度を飛んできて、目標付近の上空まで到達してから急降下するようになった。ウクライナ側の迎撃率は86%まで低下。
つまり、シャヘドは運用高度を3000m以上に変えることなどで、突破率約3倍になったとの記事ありました。
(forbesjapanの記事参照しました。)
以下は小生の所感です。
対空機関砲に対峙するという意味では、80年を経ても、くしくも高度3000mがひとつの目安になっているようで面白く感じました。
80年前のドイツでは理屈上で対空機関砲は届かないという安心高度3000mが選定された(実際は>>1引用のようにその半分の高度で運用)。現在の鈍足ドローンは被迎撃率が高すぎて、ロシアは対空機関砲が届かない高度3000m以上に引き上げた。対空機関砲に対する考慮だけを見ると、WW2のドイツは理屈上で高度3000mを決めたであろうに対し、ウクライナ戦争のロシアは被迎撃率に追い上げられて高度3000m以上になった訳で、アプローチの仕方がまるで違います。情勢が理屈に近づいたような感じですが、ロシアを理屈上の高度3000mに追いやった一端がドイツのゲパルトであろうと考えると、皮肉というか愉快な気分になります。
(同じ高度3000mでも、WW2のドイツは保守的な値だとの小生の感想です。)
太助
聞いた話ですが、飛行速度により三千から四千辺りの高度には、対空砲火の穴が出来るらしいです。
ミサイルでも短距離用の三千以下用と中距離用に別れています。
砲ですと、五百キロくらい迄は三十五ミリ以上辺りで穴を塞ぐ可能性があるそうで、七百に近く成るそれ以上とと成る四十では足りず五十七ミリクラスの機銃が必要らしい。
昔聞いた話なので、間違いもあるかも知れないので御容赦下さい。
青江
989 |
この動画に登場する赤く大きい弾道はなんのものなのでしょうか? https://www.youtube.com/watch?v=BJDiIrrm8Os 1:20〜 6:00〜 あたりに頻繁に出てきます 墳信報 |
元自
たしかに動画の説明に書いてありました。
よく確認せずすみませんでした。
墳信報
988 |
質問987でふと思ったのですが、水冷式の速射砲や榴弾砲は存在したのでしょうか? (しばしば砲身が焼ける程撃ちまくるという描写があるので) 安井 賢一 |
ちょうど https://trafficnews.jp/post/570326 で、水と水蒸気が排出されるシーンが紹介されています。
他にあったかどうかは存じません。
hush
フランス海軍の100ミリ速射砲は砲身の下にホースのようなものが確認出来ますが、これが水冷関係なのかどうかは判りませんでした(発射速度60発/分↑なので可能性はありそうですが……)。
元自
現在の速射砲なら発射レートが機関砲並みになってますから水冷式もあり得ますね。
水蒸気が出てるって事は相当な高温になるんですね。
安井 賢一
というより、現在の艦載砲は英米のものを除くと、たいていが水冷式でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E8%89%A6%E7%A0%B2
水冷式の速射砲や榴弾砲は、調べた限りでは存在しませんでした。
ミサイルの対抗するのには発射速度と俊敏性が砲に求められると思いますが、水冷式は後者の面で重量的に大きな問題を抱えていますので、陸上の砲としては発展しなかったのでしょう。
なお、水は簡単に蒸発しますので、水蒸気もすぐに出ると思います。
問題は、その蒸発した水の補給なわけで、第1次大戦では困って排尿を使用したという話もあります。
hush
自衛隊の動画では水蒸気は出てないんじゃないかなあとコメント入れたく。水蒸気に見えるのは火薬の煙じゃありませんか?もしくは100℃未満の湯気とか。
冷却水が沸騰していると仮定すると、あまりよろしくないような感じがしましたので。
以下は艦砲の砲身を流水で冷却していると仮定してのお話です。
砲および冷却管を輪切りにした極端なイメージ図(砲身と4本の水冷管)ですが、●を液体の水、○を水蒸気とみて下さい。砲身は横を向いているとしています。
砲先←中間←砲尾
B A @
@の砲尾付近では、砲身の上下左右とも液体の水でアンバランスはありません。(O.K.)
A途中で冷却水が沸騰した状態です。比重の差から、液体が下寄りで気体が上寄りのイメージです。砲の周りで熱の伝わりにアンバランスが生じるかもしれません。(多分N.G.)
B液体の水が少なくなった状態です。砲身の周りの伝熱アンバランスはほぼ解消。(O.K.)
@砲尾
●● ●●
●● ●●
砲
●● ●●
●● ●●
↓
A砲中間
○○ ○○
●● ●●
砲
○○ ○○
●● ●●
↓
B砲先
○○ ○○
○○ ○○
砲
○○ ○○
○● ○●
この状態Aを回避する方法として、以下水冷で沸騰を避ける場合(@の状態のまま砲尾から砲先までいく場合)a,bと、水冷をやめる場合cを考えました。
※a)砲身本体の冷却媒体沸点以上の過熱を避ける。
・連発出来る弾数の制限を厳しくする。
・砲身の熱容量を増やす。
※b)冷却媒体の流量を増やす。(冷却媒体は低温高圧高沸点が望ましいのかな?)
※c)水冷をやめる。
・連発出来る数の制限を厳しくする。
・砲身の熱容量を増やす。
・砲身材質のグレードを上げる。
Oto Melaraの127mm砲は海水の掛流し冷却みたい。常温・大気圧なので冷却効果は限定されるだろう。上では※a,bになるのかな。使用後に真水で清掃が必要らしい。
砲身が極端に熱くなり冷却水が膜沸騰を起こすようだと、冷却水の流量を増やしても効果が薄いんじゃないかと改めて思いました。
やはりOto Melaraの127mm砲の冷却水は沸騰していないのではないかと提起させて頂きたく。(ただし、撃ちすぎると途中で沸騰もするでしょう。その前に射撃を中止するか、弾切れになるだろうという話です。)
その他。
・冷却水が沸騰しても、上述のAの状態を避ける方法も理屈上はあります。砲身の周りを多数の水冷管で囲み、かつ水冷管をライフル管にして、液体のある限りは砲身→液体の熱移動をさせる手法があり得ます。
例)遠心力と気液の比重差により、液体が管面に張り付きます。(膜沸騰の抑制)
A-α 砲中間
●●● ●●●
●○● ●○●
●●● ●●●
砲
●●● ●●●
●○● ●○●
●●● ●●●
しかし冷却水に海水の掛流しを用いると、たとえ使用後に真水で清掃しても(ライフル管故に)腐食の防止は難しいだろうと懸念もします。
・砲を真上方向に向ける。→熱のアンバランスは解消しても運用として疑問。誘導砲弾なら可かも。
・Phalanx CIWSの砲身は空冷。冷却ユーティリティは必要だが、砲身以外の機器冷却用らしい。
https://apps.dtic.mil/sti/tr/pdf/AD0025050.pdf
太助
987 |
水冷式の機銃および火砲について質問します。 水冷式の銃砲身を持つ火器は継続的な連続射撃を前提としていると思います。 水冷式の銃砲身は連続射撃時に温度がどれくらいでサチレートするように開発されているんでしょうか? ウォータージャケットの水が沸騰することを考えると100℃を下回りそうな気はしますが、銃砲身の寿命や精度維持するために理論上理想的な温度みたいな基準値はありますか? おうる |
1915年頃のヴィッカーズ式の場合、200発ぐらいでタンク内の冷却水が沸騰するそうですが、水さえあれば、中隊全体で計100万発を発射したそうです。
もちろん、冷却水がなければあっという間に駄目になります。
基準値があるかどうかは存じませんが、すぐに沸騰するのなら必要ないように思います。
hush
986 |
第二次大戦時のドイツ軍の科学技術についてです。レーダーはドイツ本土空防空戦ものの本を見ると米英に劣るとはいえ日本よりも遥かに進んだレベルだったことがわかりますが、ソナーはどれくらいの技術レベルだったのでしょう?イギリスの潜水艦も地中海などで独伊の対潜艦艇のピンガーにしつこく追い回されて・・というような事が多くあったのでしょうか。 かめ |
パッシヴのほうはかなり進んでいて、Gruppenhorchgerat(GHG グループ聴音装置)は、戦後、アメリカがプリンツ・オイゲンから取り外して潜水艦フライングフィッシュに装備して実験を行っていますが、ライン演習の際にはフッドとPofWのスクリュー音を真っ先に探知していたようです。
日本語だと https://www.uboataces.com/hydrophones.shtml がまとまっているようです。
hush
hush
かめ
より詳しくは「イタリア艦艇のドイツ対潜水艦装備Part I-III」 https://rommelsriposte.com/2009/07/15/german-antisubmarine-equipment-on-italian-vessels/ を御覧いただければと思いますが、SAFAR 600というソナーを1939年に開発しながら、潜水艦用ソナーに傾注したため、水上艦用は無に等しかったようです。
1941年にイギリス潜水艦の跳梁によりドイツからソナーを導入し、沈めています。
hush
985 |
https://www.youtube.com/watch?v=Ntz_Jg7DmhU この動画の中で 全て(?)の射手が射撃時に親指を手の甲側に避けてグリップしていますが(つまりピストルグリップをしっかり握っていないのかと) この握り方のメリット・デメリットは何があるのでしょうか? バッハシュテルツェ |
ttps://www.youtube.com/watch?v=tV7435bHOig&t=144s
アメリカ海兵隊スナイパーの遠距離狙撃の説明でも1分20秒のあたりで、”on pistol grip with a relaxed thumb”と解説しています。
ボルトアクションスナイパーライフルで右利き親指はストックを握るのではなくストックに添えている状態でトリガーを引いて射撃しています。
〔特にこの射撃スタイルについての呼称は存在しない様です〕
目的:
トリガー操作の人差し指のみに手指神経を集中するためです。
親指をグリップにしっかり握らないことで力みや他の指への神経を使う事を取り除きます。
スナイパーライフルの射撃は銃を握って撃つのではなく、2脚(バイポット)と射手の肩での2点支持射撃という考え方が重要だと言われてます。
利き手で銃のグリップをしっかり握って銃を支えるのではない。 という事です。〔支える物が有る場合、或いは依託射撃時〕
とは言うものの、小生も古い人間です。
昔ながらの利き手でグリップをしっかり握る射撃スタイルの方が精神的に安定した射撃が出来るつもりです。
軌跡の発動機?誉
https://www.youtube.com/watch?v=Pvpv6G-q-BI
4年前の動画では (グリップの仕方が)両方いますね 新しいほど親指を使わない方にシフトしてきているんですかねえ
バッハシュテルツェ
984 |
以前航空機板で質問させていただいたのですが、回答が得られないまま荒しの巣窟になっているようなので、改めてこちらに質問させていただきます。 日本海軍において使用された99式2号長銃の供給体制についてです。 三菱の雷電は2号長銃の供給不足から末期の三三型に至るまで、機銃4丁のうち外側の2丁を1号短銃で忍んだとされています(少なくとも私はそう認識しています)。 しかるに同時期の川西の紫電では、11型甲の翼下ポッド装備時期から2号長銃4丁装備で、これは後の紫電改まで続きます。 私の考えでは三菱の方が川西より航空機生産の規模が大きく、2号長銃の調達はより容易であったのではと考えるのですが、このような差異が生じた特別な理由は何でしょうか?それとも私の認識に何か根本的な誤りがあるのでしょうか? 備後ピート |
零戦の後継が形になるか怪しい時期に(紫電)採用された経緯を
考えるとまともな(連合国の新鋭機に対抗できる)戦闘機(甲戦)を
欲していたのが理由な気がしますが
海軍は最後までまともな甲戦が欲しくてたまらなかった様子ですし
単純にあまり火力ダウンにならないハイブリット搭載の雷電と
雷電に優先し砲供給不足で紫電量産遅延
どちらを選ぶかという単純な理由な気が・・・
他の方はどうお答えしてたのか気になります。
ももんが
http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002663.html
また
http://www.warbirds.jp/truth/jack.html
http://www.warbirds.jp/truth/zeke.html
にあるとおり昭和17年、18年時の計画では雷電は陸上戦闘機として零戦の後継と期待され主力として基地航空隊に大量配備する予定であった為
同時期の計画である雷電二一型や、視界改善版の三一型では二号銃の供給が足りないと考えられ混載になったのでしょう。
そして不具合等で量産計画も主力化も、白紙になり、海軍の失望はそのまま紫電への期待に移り当然二号銃は紫電に優先供給され
雷電三三型は烈風改までのつなぎに過ぎず生産目標は少数で、最終的に三菱に雷電を生産中止させ紫電を生産させるのですから
雷電は期待されている時期に二号銃は足りず、紫電へ海軍の期待と二号銃の生産が増えるに反比例して、雷電へ海軍の期待が減っていった事が差異の主な理由でしょう。
そもそも機銃は官給品で三菱や川西でなく他社の大日本兵器株式会社や海軍工廠で生産されているのですから。
二号銃はたとえ増産が進んでいても企業の航空機生産規模などで調達が容易になるはずもなく
海軍の戦闘機生産計画の都合で供給が割り当てられたのではないでしょうか。
根性の無い履帯
983 |
九四式拳銃のWikiで「当時の日本では、遊底で銃床(フレーム)を はさむ加工技術が未熟であったため、フレームでスライドを囲むという前代未聞の機能」と書いてますが ボルトをフレームで囲うC96を元にした南部式の後継機の九四式が十四年式に似た構造になることが そんなにおかしいこととは思わないし、 二式拳銃や杉浦式拳銃等はスライドでフレームを囲ってると思うので 加工技術が未熟だったとも思えません。そもそもどっちで囲おうと技術の差はないような気がするんですけど こういった記述って正しいんですかねぇ。 jj |
シュワルツローゼM1898, M1908もフレームでスライド(遊底)を囲む方式ですし、現代においても
一時期飛ぶ鳥を落とす勢い人気であったチェコのCZ75が正にその形体です。
又、Walther TP や Browning M1900 の様に、レール方式では無く銃身とリコイルスプリング保持器が
スライドの前後往復ガイドとなる構造の拳銃も有ります。
自動拳銃黎明期に発明の南部式からの系譜である94式も含め、フレームでスライド(遊底)を囲む方式に対し
”前代未聞” ”加工技術が未熟”とは後年の人間による浅知恵・安易な発言です。
さて、94式の設計構造で下手なのはハンマー上部にローラーを付けた事ですね。試作時には存在しない部品でした。
これはフレームとボルト(遊底)の噛みあいレール長さが不足し、ボルト前後動の時にボルトが上下にガタつく傾向が大きく薬室への実包装填不良に繋がりました。
その解決策として、撃鉄上部にローラーを付けてボルト後方を常に上側に押し付けガタつきを無くすものとしました。
以上 蛇足でした。
軌跡の発動機?誉
jj
982 |
R7年5月に奈良県斑鳩町で元軍人の遺品と思われる、銃把にROYALと刻まれた自動拳銃が見つかりました。 近年では元軍人の遺品の銃が見つかる事例が、暴力団等からの押収事例よりも多いそうですが、ROYALという銃は聞いたことがありません。 ネット検索すると、スペイン製の「Zulaica Royal Model 12 Semi Auto Pistol in .32 Auto.」という銃だそうです。 外見はコルトM1903に似ていますが、12連発というのは意外でした。 どのような銃なのか、御存じの方はご教示願います。 PIAT |
言われるようにM1903をコピーしたものですが、第1次大戦で大量に必要になり、スペインで数十万挺生産されました。
最初は4社だったのですが、最終的に数十社が加わり、トラブルも多く発生したようです。
東アジアに流れたものも多く、中国でも使用されたようです。
2007年の愛知県長久手発砲立てこもり事件で使用されたのもその一つで、欧米では重慶爆撃隊員の写真 https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSShk1Hnmlv7oBExvIwHNTExkrXYofr95nsF_XI9qT6_bH_vPF4 が特攻隊員のものとして広まり、これをぶら下げていたので有名になっています。
欧米のWikipedia等で旧日本海軍が使用したという記述が散見されるのはそのせいかもしれません。
M. Zulaica y Ciaはその中の後発メーカーで、バスク州Eibarにありました。
このうち、1916年創立のVincitor S.Aを通じて中国で販売されたものなかに12発入り弾倉を使用できるようにしたRoyalと刻印されたものがあります。
したがって、これは民生用のもので、日本の士官は自分用に購入したものでしょう。
hush
当初に検索したところ、wikipediaで『ruby pistol』が表示されたのですが、ROYALよりもコンパクトだったので別の銃だと思い、よく読んでいませんでしたが、銃把と銃身を伸ばして12連発にしていたのですね。
ただ、小口径・単列弾倉・12連発のピストルが流行しなかったところを見ると、使い勝手が悪かったのでしょうか?
それにしても、20世紀初めのスペインで自動拳銃のメーカーが数十社あったとは驚きましが、町工場でも製造できるうえ高価な自動拳銃は工業が未発達だった当時のスペインにふさわしい製品だったのではないかと思います。
PIAT
981 |
日本軍の機関銃中隊を更に増強する議論はあったのでしょうか。 機関銃中隊との分担比を見直し、歩兵中隊3乃至4に対し機関銃中隊2とする様な。 (これのメリット・デメリットを語ろうというものではないですが、純粋に気になったもので。) 佐山二浪 |
基本だったと思いますので増やす意味が無い気がします。
必要に応じ「独立機関銃大隊」を増強してたと思います。
ももんが
109師団の直轄兵力は歩兵大隊に対し機関銃中隊
混成第2旅団も独立機関銃、歩兵大隊を予備兵力で拘置しつつ
各方面の歩兵大隊には機関銃大隊から
一部兵力を分派(恐らく中隊)をつけてます。
では攻勢時は?となりますがこれもマレー時にはやはり
歩兵大隊麾下歩兵中隊に機関銃1個小隊を付けることが多かったようです。
機関銃中隊を倍増させる=弾薬分隊も倍増=弾薬輸送の馬匹は
どこから捻出?という壁にぶち当たると思いますので
必要に応じて独立重機をつけてあげるほうがスマートかと思います。
ももんが
実際に機関銃中隊とは別枠で常設とする事が前提の一式重機関銃の計画もありました。
本来の(?)機関銃中隊主力を挙げての戦闘の様相は歩兵第58連隊の機関銃中隊の方のビルマ戦記本に記されておりましたが、指揮班が統制を行いキルゾーンを形成する様な戦闘であり、各中隊に分派された機関銃とは戦い方が違う様にも感じられました。
佐山2浪
佐山2浪