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艦船関係
Ans.Q

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860 世界の艦船の2017年9月号増刊米戦艦「アイオワ」級で米海軍最後の戦艦であるアイオワ級は20%過負荷出力で設計されたという記述を見ました。
なら、米海軍最後の重巡であるデ・モイン級はどれぐらいの過負荷出力で設計されていたのでしょうか?
Mk.63 GFCS

誰か答えて下さい。

859  WW2を生き延びたUボート艦長の自伝に、大戦末期信用できる艦長仲間と乗組員数人だけ集めてUボートで南米に亡命を計画したことが書いてあります。
敵から身を隠し大西洋を横断するだけなら数人で可能だったようです。

 また現代の巨大タンカーなどは10人前後で地球を半周します。
WW2当時の戦艦や空母は現代のタンカーのように移動するだけなら何人くらい必要なのでしょうか
トロッター

  1.  長門、酒匂のビキニ回航時のアメリカ人乗員は前者が180名、後者が165名となっております。これに日本人乗員が加わっていたかどうかは前者については不明ですが、後者については2名の日本人乗員の添乗が求められたが、断られたためにアメリカ人のみで回航されたそうです。
     もっとも、長門は、損傷のために10ノット程度しか速度が出ない状態であり、修理のためにエニウェトックに寄港せざるを得なかったとあります。したがって、多少の余剰乗員を乗せていたとは思いますので、これが最低限必要な人数とは思えませんが、参考までに提示させて戴きます。
     なお、御存知かとは思いますが、現在の船舶は自動化が進んでおりますのでそのような少人数の運航も可能になっておりますが、当時の艦船は保守管理も含めて多数の乗員を要したはずです。
     
    hush


  2.  あと「盗まれた空母」というアメリカの小説があり、空母イントレピッドを盗み出す話が載っています。そして、私の記憶が正しければ、その中に空母を動かすのに最小限必要な人数が記されていたと思います。ただ、何十年も前に読んだ小説で、手許にもありませんので、それがどのていどの人数だったかは定かではありません。また、イントレピッドは太平洋戦争時の空母ではありますが、ヴェトナム戦争まで使用されておりますので、ある程度のメインテナンス・フリー化が行われていた可能性も否定はできません。
     海外建造の艦艇の回航には武器関係の乗員も乗っておりますし(八雲、吾妻、千歳や笠置はどうだったか知りませんが)、解体の場合は曳航が普通かと思いますので、そのようにミニマムの乗員でというケースはほとんどないかと思います。したがいまして、ちょっと隔靴掻痒の感はありますが、このような回答ぐらいしか思いつきませんでした。
     
    hush



858 イタリアの未成超弩級戦艦フランチェスコ・カラッチョロ級ですが、1番主砲塔と2番主砲塔、3番主砲塔と4番主砲塔の間が妙に開いているのですが、何故なのでしょうか?
3番主砲塔と4番主砲塔の間には機関が収まっているのかと思いきや、3番主砲塔の両脇に外舷機関が並列配置されているようですし、もっと間隔を詰めて配置することも出来るように思うのですが。
主砲塔の間隔を詰めて完全な背負い配置とする場合、同時期の英戦艦では爆風問題で上段主砲塔の首尾線方向への発砲が制限されていたはずですので、あえて間隔を広く取ってその問題を回避しようとしたのでしょうか?
きっど

  1. まず3番4番砲塔の離間は内軸主機が両砲塔間に収められてる所為で翼軸主機の3番砲塔両舷配置ともども独巡戦デルフリンゲル級と同様です
    1番2番砲塔の離間については不詳ですが完全な背負式とするには2番砲塔の高さが不足してます(1番砲塔が砲口よか前方なので首尾線方向の爆風の影響はむしろ大)
    思うに
    ・巡戦として計画され艦幅が広くないため復原性に配慮した結果2番砲塔が低目となった
    ・艦首幅不足のため水雷防御がらみで前部弾火薬庫が細長くなった
    ・被弾1発で2砲塔が沈黙せぬようあえて離間させた
    等の複合要因と考えられます
    駄レス国務長官


  2. 回答有難うございます。
    近代世界艦船事典さんの所の小さい画像では1番2番煙突の間に内舷主機っぽい白四角が有ったので、機関はシフト配置で内舷は長大な推進軸を持つのかと思いましたが、デアフリンガー級同様の機関と砲塔の配置でしたか。
    砲塔の高さは微妙に低そうだなとは思いましたが、やはり完全な背負い配置には不足していましたか。
    艦影図を見る度に、特に1番2番主砲塔の間が妙に広い特徴的な姿をしている割にはその事実に触れた説明なども無く、しかし明らかにバイタルパートの圧縮や防御重量に不利ではと思っていたのですが、特別何かが間に挟まっている等の決定的な理由は無さそうなのですね。
    きっど


  3. >1.は古い“Le Navi di Linea Italiane”(1969)中の伊文を英文と日文に機械翻訳したのですが、言われてみれば小職の読み違えかも知れません
    同書P290の3番砲塔中心における船体横断面図には砲塔基部左右に接して長方形の中に小丸が描かれており、これが内軸の軸路および推進軸のようですので>1.の冒頭1行は撤回します
    なお同書の防御の項では二重壁の水雷防禦縦通隔壁が船体中央左右に在るように読めますので前後部弾火薬庫(および内軸主機)がこの内側に収められてるのではないかと愚考します
    駄レス国務長官


  4. 機関はシフト配置だったのですね。
    ということは、高速力の為に極力船首船尾を細くしつつ水雷防御を施し、また復元性確保の為に砲塔の高さも抑えた結果、不完全な背負い配置となって砲塔間隔が広くなったと。

    >二重壁の水雷防禦縦通隔壁が船体中央左右に在る
    >前後部弾火薬庫(および内軸主機)がこの内側に収められてる
    外側のボイラーと外軸主機は、完全な無防備というわけでは無いのでしょうが半分水雷防御の外と言うことでしょうか。
    内側は充分な空間が有るので当時の水雷には安全でしょうが、けっこう割り切った設計のようですね。
    きっど


  5. 翼軸主機は前掲書の解説によれば水雷防禦縦通隔壁の外側とのことです
    主缶配置は詳細不明ですが半数以上が同様と考えられます
    前掲書でも「かなり斬新な計画」と評しています
    (船体横断面図によれば水雷防禦区画は船体最大幅の1/3未満ですから弾火薬庫もかなり細長いはず)
    駄レス国務長官



857 潜水艦の排水量(予備浮力?)について教えてください。
先日進水したしょうりゅうなど、最近の通常動力型潜水艦は浮上時の排水量が潜航時の7割くらいと公表されています。
原潜であるシーウルフ級でも8割、つまり水上に2割位持ち上げられます。

ところがUボートVIICは9割近くで、予備浮力(?)が1割そこそこしかありません。
Uボートは、甲板上に砲や機銃、見張り員のための広いセール、モノによっては予備魚雷まで積んでいる訳で、これらを除くと艦体を持ち上げている割合はもっと小さくなるでしょう。
水上航行・水上戦の為には現代の潜水艦より艦体を持ち上げる必要があるのではないでしょうか。

逆にそうりゅう型は出航したら帰投まで浮上航行する必要は無いし、浮上しての戦闘は考えられていません。 極端に言えば水上ではハッチが水面上に出れば良い程度に思えます。

潜水艦の予備浮力など注水でどの様にもなるでしょうが、なぜ新しい艦の方が水上でより艦体を持ち上げる設計なのでしょうか?
わんける

  1. Uボート以外の大戦中の潜水艦の予備浮力は大きいですよ。

    Uボートを無視すれば、新しい艦の方が水上でより艦体を持ち上げる設計ということはないと思います。

    夜間水上襲撃には水上シルエットは小さく低い方が有利ですが、潜航襲撃にはそこまで関係有りませんから、浮上して戦うつもりが無ければ重視されないでしょう。

    氷を割って浮上するには浮力が必要ですし、外殻を広げることには魚雷の爆圧を内殻に届かなくする意味も有ったと思います。
    しゃるほ


  2. なるほど、巡潜は航空機用サイロがあるので例外と思っていましたが、他も結構予備浮力大きいですね。
    Uボートがシルエットを小さくする思想だったのかもしれませんね。

    ありがとうございました。
    わんける



856 母艦龍驤の模型を製作中なのですが、13mm四連装機銃を全て25mm機銃に換装した作例を考えております。
アリューシャン出撃前とミッドウェー作戦終了後に呉で入渠整備しているようなのですが、
その辺りの時期に25mmを新しく搭載するとしたら、連装と三連装のどちらが適当に思えるでしょうか?

また、九六式25mmはかなり重量があるようなのですが、13mm機銃の搭載部にそのまま機銃だけ乗せ換えることは
流石に無理でしょうか?自分でも推定しようとは思ったのですが、どこを調べても九三式13mmは単装・連装の
データしか見当たらず、四連装機銃の重量が不明でお手上げです。
野猫

  1. 93式十三粍四連装機銃・銃架重量:1,163s
    96式二十五粍連装機銃・銃架重量:1,100s
    同 三連装・銃架重量:1,800s
    Ranchan



855 イタリア海軍のカイオ・ドゥイリオ級戦艦はなぜ連装砲と3連装砲の混載になったのでしょうか?

同じ主砲配置である前級のコンテ・ディ・カブール級戦艦については、オーストリア=ハンガリー帝国海軍のテゲトフ級戦艦より多い主砲を搭載しようとしたが、トップヘビーになりそうなので2番・4番砲塔を縮小したのであのような配置になった、ということらしいので納得できます。

しかし、その改良型であるカイオ・ドゥイリオ級戦艦でも同じ主砲配置であるというのは疑問に思います。なぜ船体を大型にして主砲5基ををすべて3連装法にするということをしなかったのでしょうか?

予算の関係で出来なかったとしても、中部砲塔を廃止してテゲトフ級戦艦と同じような3連装4基の主砲配置にすれば、主砲は1門減りますが、砲塔も1基減らすことが出来て重量削減になりますし、主砲の射界が改善されるので、1門程度の火力減少も問題にならないと思うのですが、なぜそうしなかったのでしょうか?
ナマケモノ

  1. 同じイタリアの戦艦カヴールのウィキペディアフリー百科事典にて、『高所に3連装砲塔を置くと重心の上昇を招き、荒天時の凌波性の悪化、左右主砲斉射時のショックによる動揺悪化に繋がる為、連装、3連装の複合配置になったと言われる。』と有りました。
    デスコン


  2. すいません。もう書いてましたね。
    デスコン


  3.  カイオ・デュイリオ級は、オーストリアのだけでなく、フランスのブルターニュ級戦艦に対抗して計画されたと理解しています。そして、ブルターニュ級は340mm砲連装5基10門ですから、当然、305mm砲ではなく、更なる大口径の砲が欲しいとなるのでしょうが、イギリスの援助で305mm砲の製造が可能になったばかりであり、新しい343mm砲の輸入もできなかったのでしょう。そうなると、砲数の増加で対応するしかないわけですが、御指摘のように前級と同じ門数しか搭載しておりません。その理由として考えられるのは、大型化したくなかったか、できなかったです。
     当時のイタリアの産業は未発達であり、財政基盤が強固であったとは思えません。そのような中で、多大な予算が必要な海軍の整備にどれだけ回せたかです。また、海軍の大増強時代でありますが、まずは数が必要であったとも考えられます。そして、艦船の大型化には、船渠や港湾の改良が必要なわけですが、このあたりの制限がどうだったかです。
     前者はともかくとして、後者については、かなりの制限があったのではと考えております。というのは、カイオ・デュイリオ級の全幅は、前級と同じ28mですが、次の381mm搭載艦フランチェスコ・カラッチオーロ級でも29.6mなのです。もし、フランチェスコ・カラッチオーロ級のために整備を進めても、この程度が当時の限界であったとするのなら、カイオ・デュイリオ級において3連装5基が実現しなかったのはしかたのないことではないかと思うのです。
     なお、3連装4基12門の搭載については、せっかく、ヴィリブス・ウニーティス(テゲトフ)級より1門増えたのに、それを減らすのは理解が得られなかっただろうと思っております。
     もっとも、当時のイタリアの船渠や港湾に関しての基礎的な数値すら存じませんので、以上は推定でしかありませんが。
     
    hush


  4. すいません。もう書いてましたね。
    デスコン


  5. 305mm砲は調達が遅れていたようです。カヴールはデゥイリオに用意されていたものを使って、間に合わせたようです。
    デスコン


  6.  回答ありがとうございます

     船体を大型化できなかった理由については、まあ、そうだろうなと思っていました。よくある話なので。

     主砲配置については、より大口径の砲が欲しいのに、それが出来ないとなれば、門数を減らそうとは思えませんね。
    ナマケモノ


  7. あまり関係ないかも知れませんが、
    カヴールは連装にしても、トップヘビーだったので、ドゥイリオはバーベットの装甲を薄くすることにより改善したとのことです。
    デスコン



854 ペンサコーラ級や金剛代艦平賀案などの船は、連装砲2基と3連装砲2基の計4基の砲塔を持っていますが、これらの船はなぜ3連装3基として設計しなかったのでしょうか?

砲塔が多いほうが砲の残存性が上がるからという理由も考えられたのですが、主砲を1門多くするために砲塔が一基増えるというのは割に合うものなのでしょうか?
ナマケモノ

  1. ペンサコラ型重巡は当初8インチ砲×12門艦として計画開始されていますが、設計途中でそれでは充分な防御力が確保できないことが明確になり搭載砲数を減らしています。
    また、連装・三連装混載としたのは、高速力発揮を狙い船体を細くした結果、1番・4番三連装砲塔だと幅に入りきらなくなったためです。

    以上より、ペンサコラ型重巡洋艦の場合は「主砲を1門増やしたかった」のではなく、逆に「主砲数を減らさざるを得なかった」のであの主砲塔配置になったのだと思います。

    ただし、この配置はトップヘビーの一因となり復元性能・航洋性能ともに悪影響をもたらし、また船体を細くしたので艦の動揺が大きく主砲散布界が劣悪であるなど不評でした。

    その改善として、次のノサンプトン型重巡は三連装砲塔×3の配置となりました。
    Ranchan


  2.  金剛代艦平賀案については、長門型を除く八八艦隊時期の戦艦・巡洋戦艦同様に、距離20q以遠の砲戦を有効に実施する場合、射撃速度を考慮して砲5門かそれ以上での交互射撃実施が必要、という砲術側の意向を汲んでの10門搭載と推察されます。

    大塚好古


  3. 回答ありがとうございます

    なるほど、ペンサコーラ級の場合、元は3連装4基で、1番・4番砲塔を縮小した結果あのような形になったわけですか。

    平賀案は加賀・赤城型よりも少ない砲塔数で主砲を10門確保しようとすれば、あのような形になるのも納得です。
    ナマケモノ



853 戦艦大和の司令塔はどこからはいるのでしょうか?

また、一つ目とは関係ないですが拝艦というのがあると聞きました。
どこまで見せていたのでしょうか?

Mk.63 GFCS

  1.  拝艦よりも、軍艦見学、軍艦見物のほうが検索ヒット数は多いようですが、見せるだけならば、海上自衛隊の護衛艦とほぼ同程度には見せていたと思います。京都一中の配属将校が、新聞で連合艦隊が神戸に入港し一般公開を行うと書いてあったので、授業を止めて全生徒と見に行ったとか、修学旅行で北上を見物したというような記事がありましたので、結構よくあることだったようです。
     もっとも、この「拝艦」が、いかなる国で、いかなる時代に、いかなる身分の人が見に来るかで、大きく異なると思います。たとえば、現在でも、橋や空港の写真を撮ったら軍事機密に触れるという国も多いわけですが、そのような国の場合、乗艦もできないのかもしれません。もし、これが旧日本海軍を念頭に置かれたものだったとしても、戦時色が濃くなってきた時代と、軍縮時代では全然違うでしょう。また、皇族が来たとか、海軍希望者が見に来たとなると、上から下まで見せたと思いますが、後は艦長等の考え方次第でしょう。
     たまたま、過日、四日市港に護衛艦いせを「拝艦」してきたわけですが、二日とも艦長自らが甲板におられて、非常に驚きました。何回も、機会あるごとにいろいろな艦を見てきましたが、そのようなことはあまりなかったように思います(違っていたら御免なさい)。おそらく、公報ということに非常に理解のある艦長であったと思うわけですが、艦によっては上甲板を素通りして終わり、かと思うと士官室まで案内して戴いたてんりゅうのような例もあります。
     ところで、どこまでというのが、艦のどこまでか、あるいは兵器類をどこまで見せたということかは分かりませんが、それは軍事機密に触れなければどこでもという場合もあるでしょうし、ちょっと乗せて終わりという場合もあるはずです。
     多分、それだけでは満足されないと思いますので、アジア歴史資料センターで拝艦を検索してみたら、比叡の外人拝艦者案内参考事項の件という興味深いものを見つけました。リファレンス・コードC05034134200で御覧戴ければ、この当時の「拝艦」がどの程度のものか御参考になろうかと思います。
     
    hush


  2. 成程、有難う御座います。
    アジ歴の方ももう少し当たって見る事にします。
    Mk.63 GFCS


  3. この様な質問が将来されるとは予測していなかったので、出典は捜し出せませんが、確か水平防御装甲部の下方に出入り口があり、内部にエレベータが設置されています。また、艦橋とも装甲を施した扉を介して通行可能なはずです。
    UK


  4. 司令塔内にもエレベーターがあるのですか?
    扉は司令塔のどの面にあるのでしょうか?
    Mk.63 GFCS



852 駆逐艦の天津風なのですが、タービンに蒸気を供給するのにどの様にして温度と圧力を合わせていたのでしょう?以前、蒸気線図を見ていたときに単純に圧力を下げただけては温度は合わなかったと記憶していますどの様にしていたのでしょう?
青江

  1. 主缶より主機に至る管路の流動抵抗と自然放熱によりとうぜん圧力も温度も下がるのを見込んでいます
    駄レス国務長官


  2.  小生には、質問の意味が不明です。1.ガスタービンほどではないが、蒸気タービンは、予め定められた(設計されている)条件を外れると効率が悪くなります。2.また、圧と温度の他に蒸気の量も運転に重要な条件となります。3.タービンに供給する蒸気の量や温度は、運転に使用するボイラの個数、各ボイラあるいはタービンの弁の個数や開度により調整されます。4.その他、運転に用いるあるいは蒸気を供給するタービンや海水温度等も関係します。
     従って、蒸気線図にきちんとは合わないことも多々あり得ます。
     御質問の天津風の場合、どのような条件であり、どのように合わなかったのかが全く不明です。
    UK


  3. >2
    そんなに質問の意図を穿って推測する内容でしょうか?
    私は単純に、天津風では40kg/cm2・400℃に対応する缶から、陽炎型の30kg/cm2・350℃対応主機へはどのようにして蒸気条件を合わせたのか、と読みましたが。
    鯛茶漬け


  4. 天津風は主缶出口で40kg/cm2・400℃、主機入口で35kg/cm2・385℃と計画されてます(質問者様もこれらを把握された上での質問と思います)
    いずれも計画値ですから実際の運転では圧がこれよか下がることもあれば温度もこの通りになるとは限りません
    天津風と蒸気性状同一の島風の公試運転では主機入口で
     基準速力 18.21kt 33.1kg/cm2 321℃
     巡航全力 21.37kt 35.5kg/cm2 343℃
     過負荷全力 40.90kt 31.4kg/cm2 407℃
    と記録されてます
    過負荷全力で圧が下がってるのは蒸気消費量が著しく増大したため主缶の蒸発力がやや追いつかない(蒸気に追われる)状態と推測します
    一方で温度が計画値を超えてるのは主缶の燃焼度が増大したため過熱器周辺の缶内温度も相応に上昇したものと推測します
    駄レス国務長官


  5. 3>
    判りました。
    なお、天津風のタービンは、陽炎型と同じではなく、ボイラの条件に合わせて製造されていると思われます。当然、1で記されているような事項が考慮されている筈です。また、ボイラの容量も、要求されている馬力に合わせて島風のボイラより小型化されていると思われます。
    UK


  6. 天津風はエコノマイザーを装備したと聞いたのですが、これって何か関係がありますか?
    排熱で缶への給水を熱する装置らしいですが。
    デスコン


  7. エコノマイザー(収熱器)は燃費改善が目的で蒸気性状には直接関係ありません
    駄レス国務長官


  8. 「旧海軍蒸気タービン変遷発達の歴史的視点序論および武田の分析」赤川 浩爾 (神戸大学)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jime2001/41/1/41_1_47/_article/-char/ja/
    という論文からの情報ですが、海軍では艦艇個々に蒸気の圧力、温度が異なると建造が煩雑になり不経済である事から、蒸気条件の標準化が行われたそうです。残念ながら論文には実施された年代が記されていませんが、典拠は所謂「渋谷文庫」(神戸大学附属図書館海事科学分館)からですので、そちらに詳しい情報が有るのではないかと思います。
    標準化が陽炎の建造以前であったとすると、陽炎は缶圧力30kg 缶温度350℃ タービン圧力26 タービン温度335℃(論文「表1」の4段目)という標準値、天津風は缶圧力40kg 缶温度400℃ タービン圧力35 タービン温度385℃(論文「表1」の5段目)という標準値それぞれに応じた設計、弁・コック等の標準部品によって造られたという事になるかと思います。また、論文中には「天津風では5.2万馬力で最高圧の40at,400℃ の艦本式タービンが建造されている。」と有ります。
    Luna


  9. > 8.
    社団法人 生産技術協会が昭和28年に発行した「機関計画内規」P43に「機関計画内規0400 蒸気の圧力及び温度」として一覧表が掲載されてます
    制定は昭和8.1.5、第1回改正昭和11.10.28、第2回改正昭和16.8.15とあります
    なお> 4.で「主機入口」と書きましたが正確には「蒸気室」(高圧タービン初段に対する蒸気ノズル弁の直前)になります
    また> 4.の数値は計画全力(10/10)に対するもので後進全力や巡航全力ではやや低くなります
    駄レス国務長官


  10. どうもありがとうございました。
    天津風の場合、タービンの形式以外は缶の性能に合わせて製造されていて、しまかぜの実験にふさわしい物だったのですね。
    青江の



851 航空母艦「神鷹」はドイツ客貨船「シャルンホルスト」を買収・改造した艦ですが、条件は

・無償譲渡
・ただし終戦後船価の2倍をドイツに支払う
・日本側の好きなように改造してかまわない

だったと聞いております。

では、この対価は終戦後ドイツに支払われたのでしょうか?
それともうやむやの内に踏み倒されてしまったのでしょうか?

宜しくお願いいたします。
Ranchan

誰か答えて下さい。

850 伊勢、日向の噴進砲の射撃指揮装置の装備された場所はどこですか?
まさか最初から砲が各個で動いてはいませんよね?
ダイキ

  1. >まさか最初から砲が各個で動いてはいませんよね?
    YES。
    機銃をはじめとする近接対空火器は、基本的に防空指揮所から方位に関する指示を受けるだけで旋回そのほかの指揮は各砲座のトップが各々行うものです。おそらく噴進砲もそれに準じていたと考えます。
    のけ


  2. ありがとうございます。
    それで肝心の伊勢日向の噴進砲の射撃装置の位置はどこなのでしょうか?
    ダイキ


  3. >どこなのでしょうか?
    そもそも指揮装置なんてない、というニュアンスで答えたつもりだったのですが。
    のけ


  4. どうも自分の見識不足だったようで、『模型の缶詰BLOG』というサイトに隼鷹の対空火器に関する記事がありました。
    これによると噴進砲が置かれた砲座に隣接する位置にありますので、ほぼ同様の配置になっていたのではないかと考えます。
    のけ


  5. できれば確証のある回答をお願いします。
    ダイキ


  6. 『28連装噴進砲は急造ということもあり、既存の25mm三連装機銃銃架及び95式機銃射撃指揮装置を転用していた。』他サイトからコピペ。
    増設したのか、そのまま機銃と同じく使ったのかは分からないのです。
    デスコン


  7. ありがとうございます。
    伊勢、日向については射撃指揮装置ではなく各砲ごとで射撃をしていた。
    もしくは機銃射撃指揮装置で機銃と一緒くたに管制していた。
    この認識でよろしいでしょうか?
    ダイキ


  8. > 機銃射撃指揮装置で機銃と一緒くたに管制していた。
    私もそれだと思うのですが、確証たる証拠は無いですね。
    デスコン



849 フォレスタル級航空母艦は装甲を持っているのでしょうか?
持っているとすればどの部分にどのくらいの範囲で厚さは何mmなのですか?
Mk.63 GFCS

  1.  格納庫、飛行甲板等が装甲されていますが、範囲、装甲厚等は公表されていません。
     
    hush


  2. そうなのですね。
    ありがとうございました。
    Mk.63 GFCS


  3. 飛行甲板の装甲厚は3インチと推測されています。
    超音速


  4. それはどこからの情報でしょうか?
    よければ教えてください。
    Mk.63 GFCS


  5. 世界の艦船2012年3月号増刊「空母100のトリビア」野木恵一氏の執筆記事からです。
    超音速



848 大和の砲撃訓練の際、陸奥が標的を曳航していったというのを本で読みました。
この標的とはどういう物だったのでしょうか?
読んだ本には大きさな構造など全く書かれていなかったので知りたいです。
また、同時期の世界の海軍はどういう物を使用していたのですか?
Mk.63 GFCS

  1.  船上に帆布等で作った標的を載せたものです。
     石橋孝夫著「超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展」(光人社NF文庫)に若干の解説がありますので、こちらを御覧戴くのがよろしいかと思います。
     もっとも、陸奥に曳航された標的がこれであるという記述はないのですが、大体のところは掴める思われます。
     書架から捜しだせなかったので、昼休みに書店で見てきましたが、出て、あまり日が経っていないので、普通に置いてあると思います。
     
    hush


  2. 恐らく、標的筏の事だと思われます。
    下記のブログに記述が有りますが、
    「2016年05月 - 徒然なる戰藻錄 - FC2」
    内容は殆ど「軍艦メカ開発物語」深田正雄(光人社)62〜69頁からの引用のようです(この本を未読でしたら、同じ著者の「造艦テクノロジー開発物語」と一緒に、是非読んでみて下さい)。
    また、「国立公文書館アジア歴史資料センター」のウェッブページで“標的筏”で検索すれば、色々と発見できるかと思います。
    米海軍の写真は、
    「NavSource Naval History」
    http://www.navsource.org/archives/01/00.htm
    等で閲覧できます。
    Luna


  3. すみません、ブログ、徒然なる〜の名前が文字化けしてしまいました。
    お手数ですが、“標的筏”でGoogle検索してみて下さい。
    Luna


  4. お二方ともありがとうございます。
    やはりただの標的なだけあって簡素な構造なんですね。
    「超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展」も「軍艦メカ開発物語」も持っていないのですぐには読めませんがいずれ購入したいと思います。

    もうひとつお聞きしたいのですがこれは電探に映り、電探を使用した射撃の訓練にも使用できるのですか?
    Mk.63 GFCS


  5.  レーダーに映るかどうかは存じませんが、もし、レーダー射撃に使用したいのなら、写るように加工すればよいのではと愚考致しております。
     昔の知人で、戦時中、熱探知の誘導型爆弾の開発をしていた人がおりまして、筏の上で火を焚いて標的としたと言っておりましたが、それと同じです。もっとも、絶縁体が手に入らなかったので、電線を紙で被覆したものを使用しており、すぐにショートしてしまって、誘導どころではなかったようですが。
     
    hush


  6. 此方(*)も、どの様な物を曳航したかは書かれていませんが、昭和17年10月28日、伊予灘において戦艦扶桑を標的曳航艦とした砲戦訓練が行われたそうです。そこで、だだ一隻の電探装備艦として参加した戦艦武蔵による電探を利用した射撃(測距儀との同時測距)が行われています。この時に使用したのは、本来このような使用には不向きなメートル波の見張用21号電探を小改造した物でした。

    (*)雑誌「丸」別冊「太平洋戦争証言シリーズ 遥かなる戦場  陸海空/戦域総集編III」(潮書房)230〜236頁
    Luna


  7. なるほど、ありがとうございます。
    最後なのですが米海軍等もこんな感じのものを使っていたのでしょうか?
    Mk.63 GFCS


  8. >7
     2でLuna様が御紹介になられているものではだめなのでしょうか?
     
    hush


  9. 見逃してました。
    すいません。
    Mk.63 GFCS


  10. 「桜と錨の気ままなブログ」さんに、件の標的の事が紹介されておりますので、是非御覧になってみて下さい。
    「標的筏」 というような言葉では、検索できないという事でしたので、
    国会図書館のウェブページ
    http://www.ndl.go.jp/index.html
    で「海軍制度沿革 標的」と検索しましたら、
    「海軍制度沿革. 巻13」
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886738
    の艦砲射撃訓練規則(コマ番号24〜111)にブログと同様の図が載っておりました。
    一度、「海軍制度沿革 標的筏」、「海軍制度沿革 標的船」と試して、巻8しかヒットしませんでした(*)ので、諦めておりましたが、迂闊でした。
    なかなか検索に骨が折れますが、日本海軍で何か分からない事があれば、この「海軍制度沿革」で一度調べてみる事をお勧めします。

    (*)巻8でヒットした内容は、明治44年に第三種標的筏を標的船に改称の通達のみです。
    Luna



847 訂正です。
×カタパルト発進アレスティングワイヤ着艦
○STOL発進垂直着艦
satoski

誰か答えて下さい。

846 STOBAR は、そもそもカタパルト発進アレスティングワイヤ着艦がコンベンショナルで、それに対するイレギュラーな形態であるから、「でもさ、こっちではさ」というニュアンスで BUT が入っているのは分かるのですが、CATOBAR はどうして BUT が入っているのでしょうか?
STOBAR が先にあって単にそれを使い回した表現だからでしょうか。
(英語版ウィキペディアでは、B が BARRIER の意味であることも紹介されていますが、数年前までは BUT のみ見かけていたので質問です)
satoski

  1.  質問者様から847に上記の書き込みがありました。
     管理人様が御多忙なようで、このまま書き込みますと修訂がややこしくなりそうですので、勝手に、こちらに書き写しておきます。
     
    hush


  2.  ×カタパルト発進アレスティングワイヤ着艦
     ○STOL発進垂直着艦

     質問者様から847に上記の書き込みがありました。
     管理人様が御多忙なようで、このまま書き込みますと修訂がややこしくなりそうですので、勝手に、こちらに書き写しておきます。
     
     すみません、肝腎のところを忘れました。
     
    hush


  3.  そういうことはあり得ませんが、もし、カタパルト着艦というものがあれば、andでつなげられると思いますが、そうでないからbutなのではないでしょうか。たとえば、VTOLはVertical Take-Off and Landingの略ですが、この場合、離着艦とともに垂直方向へのジェットもしくはプロペラの気流によるのですからandです。しかし、射出機で発艦するが、着艦はアレスティング・ギアですよというのは、andにはならないと思うのです。
     もちろん、質問者様が仰られるようなことは大いにありそうですが、書き込まれる方がおられませんので、とりあえず、呼び水程度に…。
     
    hush



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