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艦船関係
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850 伊勢、日向の噴進砲の射撃指揮装置の装備された場所はどこですか?
まさか最初から砲が各個で動いてはいませんよね?
ダイキ

  1. >まさか最初から砲が各個で動いてはいませんよね?
    YES。
    機銃をはじめとする近接対空火器は、基本的に防空指揮所から方位に関する指示を受けるだけで旋回そのほかの指揮は各砲座のトップが各々行うものです。おそらく噴進砲もそれに準じていたと考えます。
    のけ


  2. ありがとうございます。
    それで肝心の伊勢日向の噴進砲の射撃装置の位置はどこなのでしょうか?
    ダイキ


  3. >どこなのでしょうか?
    そもそも指揮装置なんてない、というニュアンスで答えたつもりだったのですが。
    のけ


  4. どうも自分の見識不足だったようで、『模型の缶詰BLOG』というサイトに隼鷹の対空火器に関する記事がありました。
    これによると噴進砲が置かれた砲座に隣接する位置にありますので、ほぼ同様の配置になっていたのではないかと考えます。
    のけ


  5. できれば確証のある回答をお願いします。
    ダイキ



849 フォレスタル級航空母艦は装甲を持っているのでしょうか?
持っているとすればどの部分にどのくらいの範囲で厚さは何mmなのですか?
Mk.63 GFCS

  1.  格納庫、飛行甲板等が装甲されていますが、範囲、装甲厚等は公表されていません。
     
    hush


  2. そうなのですね。
    ありがとうございました。
    Mk.63 GFCS



848 大和の砲撃訓練の際、陸奥が標的を曳航していったというのを本で読みました。
この標的とはどういう物だったのでしょうか?
読んだ本には大きさな構造など全く書かれていなかったので知りたいです。
また、同時期の世界の海軍はどういう物を使用していたのですか?
Mk.63 GFCS

  1.  船上に帆布等で作った標的を載せたものです。
     石橋孝夫著「超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展」(光人社NF文庫)に若干の解説がありますので、こちらを御覧戴くのがよろしいかと思います。
     もっとも、陸奥に曳航された標的がこれであるという記述はないのですが、大体のところは掴める思われます。
     書架から捜しだせなかったので、昼休みに書店で見てきましたが、出て、あまり日が経っていないので、普通に置いてあると思います。
     
    hush


  2. 恐らく、標的筏の事だと思われます。
    下記のブログに記述が有りますが、
    「2016年05月 - 徒然なる戰藻錄 - FC2」
    内容は殆ど「軍艦メカ開発物語」深田正雄(光人社)62〜69頁からの引用のようです(この本を未読でしたら、同じ著者の「造艦テクノロジー開発物語」と一緒に、是非読んでみて下さい)。
    また、「国立公文書館アジア歴史資料センター」のウェッブページで“標的筏”で検索すれば、色々と発見できるかと思います。
    米海軍の写真は、
    「NavSource Naval History」
    http://www.navsource.org/archives/01/00.htm
    等で閲覧できます。
    Luna


  3. すみません、ブログ、徒然なる〜の名前が文字化けしてしまいました。
    お手数ですが、“標的筏”でGoogle検索してみて下さい。
    Luna


  4. お二方ともありがとうございます。
    やはりただの標的なだけあって簡素な構造なんですね。
    「超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展」も「軍艦メカ開発物語」も持っていないのですぐには読めませんがいずれ購入したいと思います。

    もうひとつお聞きしたいのですがこれは電探に映り、電探を使用した射撃の訓練にも使用できるのですか?
    Mk.63 GFCS


  5.  レーダーに映るかどうかは存じませんが、もし、レーダー射撃に使用したいのなら、写るように加工すればよいのではと愚考致しております。
     昔の知人で、戦時中、熱探知の誘導型爆弾の開発をしていた人がおりまして、筏の上で火を焚いて標的としたと言っておりましたが、それと同じです。もっとも、絶縁体が手に入らなかったので、電線を紙で被覆したものを使用しており、すぐにショートしてしまって、誘導どころではなかったようですが。
     
    hush


  6. 此方(*)も、どの様な物を曳航したかは書かれていませんが、昭和17年10月28日、伊予灘において戦艦扶桑を標的曳航艦とした砲戦訓練が行われたそうです。そこで、だだ一隻の電探装備艦として参加した戦艦武蔵による電探を利用した射撃(測距儀との同時測距)が行われています。この時に使用したのは、本来このような使用には不向きなメートル波の見張用21号電探を小改造した物でした。

    (*)雑誌「丸」別冊「太平洋戦争証言シリーズ 遥かなる戦場  陸海空/戦域総集編III」(潮書房)230〜236頁
    Luna


  7. なるほど、ありがとうございます。
    最後なのですが米海軍等もこんな感じのものを使っていたのでしょうか?
    Mk.63 GFCS


  8. >7
     2でLuna様が御紹介になられているものではだめなのでしょうか?
     
    hush


  9. 見逃してました。
    すいません。
    Mk.63 GFCS


  10. 「桜と錨の気ままなブログ」さんに、件の標的の事が紹介されておりますので、是非御覧になってみて下さい。
    「標的筏」 というような言葉では、検索できないという事でしたので、
    国会図書館のウェブページ
    http://www.ndl.go.jp/index.html
    で「海軍制度沿革 標的」と検索しましたら、
    「海軍制度沿革. 巻13」
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886738
    の艦砲射撃訓練規則(コマ番号24〜111)にブログと同様の図が載っておりました。
    一度、「海軍制度沿革 標的筏」、「海軍制度沿革 標的船」と試して、巻8しかヒットしませんでした(*)ので、諦めておりましたが、迂闊でした。
    なかなか検索に骨が折れますが、日本海軍で何か分からない事があれば、この「海軍制度沿革」で一度調べてみる事をお勧めします。

    (*)巻8でヒットした内容は、明治44年に第三種標的筏を標的船に改称の通達のみです。
    Luna



847 訂正です。
×カタパルト発進アレスティングワイヤ着艦
○STOL発進垂直着艦
satoski

誰か答えて下さい。

846 STOBAR は、そもそもカタパルト発進アレスティングワイヤ着艦がコンベンショナルで、それに対するイレギュラーな形態であるから、「でもさ、こっちではさ」というニュアンスで BUT が入っているのは分かるのですが、CATOBAR はどうして BUT が入っているのでしょうか?
STOBAR が先にあって単にそれを使い回した表現だからでしょうか。
(英語版ウィキペディアでは、B が BARRIER の意味であることも紹介されていますが、数年前までは BUT のみ見かけていたので質問です)
satoski

  1.  質問者様から847に上記の書き込みがありました。
     管理人様が御多忙なようで、このまま書き込みますと修訂がややこしくなりそうですので、勝手に、こちらに書き写しておきます。
     
    hush


  2.  ×カタパルト発進アレスティングワイヤ着艦
     ○STOL発進垂直着艦

     質問者様から847に上記の書き込みがありました。
     管理人様が御多忙なようで、このまま書き込みますと修訂がややこしくなりそうですので、勝手に、こちらに書き写しておきます。
     
     すみません、肝腎のところを忘れました。
     
    hush


  3.  そういうことはあり得ませんが、もし、カタパルト着艦というものがあれば、andでつなげられると思いますが、そうでないからbutなのではないでしょうか。たとえば、VTOLはVertical Take-Off and Landingの略ですが、この場合、離着艦とともに垂直方向へのジェットもしくはプロペラの気流によるのですからandです。しかし、射出機で発艦するが、着艦はアレスティング・ギアですよというのは、andにはならないと思うのです。
     もちろん、質問者様が仰られるようなことは大いにありそうですが、書き込まれる方がおられませんので、とりあえず、呼び水程度に…。
     
    hush



845 「日本海軍における”高速戦艦”」とは一体どんな軍艦を指しているのでしょうか

定義付けがされていたり、何ノット以上みたいな基準があったのでしょうか
また任務や役割の違いだとしたら、”戦艦”と”高速戦艦”と”巡洋戦艦(類別上廃止されましたが)”ではどのような違いがあったのでしょうか

出来れば、第一次世界大戦〜八八艦隊より、戦間期〜第二次世界大戦の話でお願いします
天ヶ崎

  1. 大きく2種類あるようです。出典は、初期の世界の艦船等における堀氏、福井氏等の記事。
    1.我国のみならず多くの海軍関係者が、ジェットランドの経験から理想として考えた戦艦の防御と巡洋戦艦の高速を兼ね備えた主力艦。4万トン、16インチ主砲、30ノットが一つの目安です。八八艦隊の加賀や土佐が該当します。
    2.戦艦に改装後の金剛級等(そのほか、米国のアイオワ級等)。
    UK


  2. 加賀、土佐は速度が少し足りないが、実質高速戦艦です。
    UK


  3. 1の2の追加です。同時代の戦艦より優速の戦艦を言う場合もあります。ジェットエランド前に建造された英国のQE級戦艦もそうです。なお、金剛級やアイオワ級は、対応防御という面からは防御は不十分です。
    UK


  4. UK様ありがとうとうございます

    つまり日本海軍においては、
    リシュリューやヴィットリオヴェネトなどは30ノットは満たしても3万5千トン、15インチ主砲だから高速戦艦ではない
    ということになっていたのでしょうか
    その場合、リシュリューやヴェネトは日本海軍においては高速戦艦に該当せず戦艦に該当されていたということなのでしょうか

    それとも、速度が少し足り無い加賀や土佐が実施高速戦艦と日本海軍でされていたように、
    リシュリューやヴェネトは目安に少し満たないが実質高速戦艦
    加賀とほぼ同速の大和も目安に少し満たないが実質高速戦艦
    と日本海軍ではされていたという事なのでしょうか
    天ヶ崎


  5. 質問者様
    旧海軍の元造船官や市井の研究者ではなく当時の帝国海軍がどう考えていたかをお知りになりたいのでしたらアジ歴で「高速戦艦」「重高戦」で検索すれば昭和9〜13年当時の部内文書が数点ヒットしますからご覧になられては如何でしょうか

    >1.
    >3.
    “Jutland”を「ジ ェ ットランド」と表記するのはそろそろお止めになられては如何でしょうか
    駄レス国務長官


  6. 戦間期〜第二次世界大戦時の日本海軍において
    「『戦艦』(具体的には扶桑型〜大和型)に期待された任務は何か」
    それに対して
    「『高速戦艦』と呼ばれた元・巡洋戦艦の金剛型戦艦に期待された任務・役割は何か」
    を考えられればいいのではと思います。

    最高速度が何ノット以上だったら・・・とかはあまり関係ないと思います。
    仮に「大和」「武蔵」が30ノット以上出せたとして、「高速戦艦」金剛型戦艦と同じ任務を与えられたでしょうか?
    Ranchan


  7. 4>>
    1、4万トン、30ノット、16インチ主砲は、ポストジュットランド型として第1時世界大戦後に考えられていた高速戦艦の目安です。
    2、第2次世界大戦開始前後に完成した独、伊、仏の公称35000トン型戦艦は、戦艦の防御力と巡洋戦艦なみの速度(従来タイプの戦艦より有速)を有するという面からは、ポストジュットランド型の高速戦艦に該当します。但し、要求される対応防御(同じ口径の大砲でも威力が増大し、航空機の発達と砲戦距離の延伸の下で、特に水平防御が)と必要とされる速度の増加の下で、主砲口径は16インチになっています。4万トン程度では16インチ砲の採用は困難です(福井氏)。
    3.若しこれらが日本籍であれば、従来タイプの戦艦より有速という面から高速戦艦と呼ばれたでしょう。
    4.大和型は、当時の新造戦艦や金剛型に比較して有速ではないため、高速戦艦とは呼ばれていないようです。
    UK


  8. >6.
    > 仮に「大和」「武蔵」が30ノット以上出せたとして、「高速戦艦」金剛型戦艦と同じ任務を与えられたでしょうか?

    >4.で見られる文書中に「新高戦」「重高戦」として書かれた2隻は6万5千トン、30ノット、18インチ砲8門以上、つまり「大和」「武蔵」の原案で、第二艦隊第三戦隊を編成し、金剛型高速戦艦4隻の同第四戦隊を率いて、「長門」「陸奥」の第一艦隊第一戦隊および伊勢・扶桑両型4隻の同第二戦隊とは別働するという基本構想が見て取れると存じます
    駄レス国務長官


  9. 皆様、ありがとうございます
    昭和10年頃の金剛型は第二艦隊、つまり前進部隊に編入され主力部隊の前方で活動する役割が考えられだしているらしいとは聞き及んでいます。
    大和の重高速戦艦案も第一艦隊ではなく第二艦隊としての活動を期待されているものだとは知っています。

    つまり日本海軍における高速戦艦とは、
    1.主力部隊(第一艦隊)から離れ、前進部隊(第二艦隊)として前方で重巡洋艦部隊と共に活動する能力があると見なされている戦艦ということ
    2.金剛が改装で30ノットと増速された理由は第二艦隊編入の構想から
    という事なのでしょうか

    それとも、
    30ノット出る戦艦→第二艦隊用の戦艦。第一艦隊戦艦部隊とは別働する戦艦
    と言い切ってしまうのは早計だったりするのでしょうか
    天ヶ崎


  10. 第二艦隊の基本任務に「来寇する敵艦隊の捕捉および勢力減殺」があり、とうぜん最初に接触するのはカウンターパートの敵前進部隊ですので高速および相応の火力は不可欠です(金剛型高速化の主目的)
    また第一艦隊主体の決戦に際しては予めこれに合同し敵主力部隊に対して適宜機動する必要がありますので徹頭徹尾別働というワケではありません
    大和型の中速化容認は第二艦隊向け甲巡の充実と第一艦隊の体質改善要求が背景に有るのではないでしょうか
    駄レス国務長官


  11. 7>> 主砲口径は16インチになっています。これは、15インチに訂正します。
    UK


  12.  日本海軍の運用法から行けば、艦隊決戦時の主力部隊の戦列を構成する主力艦が「戦艦」であり、戦列を構成する「戦艦」としての能力を完備していて、艦隊決戦の前哨戦で、軽快艦艇と共に前方に出る等の任務を持つ「巡洋戦艦」としての任務を兼務できるのが「高速戦艦」です。速力は仮想敵国及び自国の戦艦隊に対して、完全な戦術的機動性優位を持つことが出来る+4ノットの発揮が目処になります(敵が23ノットでも、味方が25ノットなら、29ノット以上が望ましい)。

     故に「巡洋戦艦」としての運用を考慮していない「土佐」「加賀」は、日本海軍的には「高速戦艦」に含まれません。日本の八八艦隊における「加賀」型以降の戦艦整備が、「加賀」型ベースでは無く、「天城」型ベースになるのは、米のサウスダコタ級(BB-49:日英式公試なら24ノットを発揮可能)に対して、+4ノットの速力発揮を念頭に置いたことも大きな影響を及ぼしていると見られています。

     「大和」型の中速化は、第一艦隊と第二艦隊の兵力バランスを考慮して、長官殿が言われるように第一艦隊の戦力改善優先が、大きな影響を与えています(「扶桑」型がそろそろ戦力的に限界、と言うのもありますしね)。
    大塚好古


  13.  追記。重高戦や金剛型の第二次改装で30ノットの発揮が要求されるのは、良く言われるように「高速艦艇との共同作戦」を考慮しての物です。これが「高速戦艦」の「戦艦」に対する+4ノットの要求をも包括する内容であることに、留意して頂ければと思います。
    大塚好古


  14. 一点疑問に思ったのですが

    大和型戦艦は当初の構想では30ノット以上を出せる戦艦ですが、その構想中では「高速戦艦」(金剛型)の立ち位置となり、史実のような「艦隊決戦時に中核となる主力戦艦」ではなかった(基本的には扶桑型〜長門型が担当、手が空けば新戦艦も主力戦艦部隊に合流)・・・ということなのでしょうか?

    30ノット以上出るから・・・といって、「『腰の軽い』高速戦艦」として新戦艦が運用されるんだろうか?・・・と思いましたもので。
    Ranchan


  15. >14.
    優勢な米戦艦隊との決戦にはとうぜんわが第一・第二艦隊が合同して参加せねばなりませんので「手が空けば」などと悠長に構えるコトは許されません
    日本海軍の構想では決戦前夜の夜戦までは高速戦艦を含む第二艦隊が主体として「敵艦隊の捕捉および減殺」に当たり、決戦当日には「決戦」を主任務とする第一艦隊に合流し(第二艦隊の基本任務にもとうぜん「決戦」が明記)、優速を利して長門以下の第一戦隊の前方に占位し、米戦艦隊の先頭数艦に火力を集中して早期に敵陣を混乱させ、敵がひるんで退却に移れば即刻追撃に転じ、その後尾に火力を集中して戦果を拡大するなどして味方に有利な状況を生み出すことが求められたワケです
    このへんはかのヂャットランド海戦のビーチー隊を第二艦隊、ヂェリコー本隊を第一艦隊、独艦隊(ヒッパー+シェーア)を米艦隊に置き換えてみればスムースにご理解いただけるのではないでしょうか
    駄レス国務長官


  16. 追記
    さらに細かく申せば重高戦はさしずめトーマス隊のQE級、金剛型はビーチー座乗のライオン以下巡洋戦艦ちゅうコトになりましょうか
    駄レス国務長官


  17. 追記2
    >15.の「ビーチー隊」はビーチー、トーマス両隊を一くくりとしたモノです
    駄レス国務長官


  18. ありがとうございます

    >速力は仮想敵国及び自国の戦艦隊に対して、完全な戦術的機動性優位を持つことが出来る+4ノットの発揮が目処になります(敵が23ノットでも、味方が25ノットなら、29ノット以上が望ましい
    長門が29ノット改装案があったのもこういう理由だったのですね


    >戦列を構成する「戦艦」としての能力を完備していて、艦隊決戦の前哨戦で、軽快艦艇と共に前方に出る等の任務を持つ「巡洋戦艦」としての任務を兼務できるのが「高速戦艦」です。
    なるほど、それが高速戦艦とされていたのですね
    漠然と30ノットというキリの良い数字ではなく、+4ノットの発揮が目処となっていたのですね
    天ヶ崎


  19. >>駄レス国務長官様

    ご回答有り難うございます。
    初期の「重高戦」は史実の大和型戦艦のような「艦隊決戦用秘密兵器」扱いではなかった訳ですね。
    それなら納得です。

    大切な「重高戦」が戦艦決戦の前哨戦で沈没または損傷する可能性のある運用をされるのだろうか・・・?と思いましたのでお伺いいたしました。
    Ranchan


  20. >19.
    >大切な「重高戦」が戦艦決戦の前哨戦で沈没または損傷する可能性のある運用をされるのだろうか・・・?

    そのようなリスクもとうぜん皆無ではありません
    ヂャットランド海戦では英の大切な最新鋭のQE級4隻も相応の被害を生じ、1隻は途中で戦線離脱してますからね
    しかし同級がもしビーチーの巡洋戦艦隊に加わってなかったら同隊は決戦の前哨戦で独艦隊に壊滅させられたかも知れません
    戦争なのだから多少の被害は甘受しつつ戦術目的を達成するほうが重要ではないでしょうか
    駄レス国務長官



844 WWII当時の日本海軍潜水艦が、砲撃をする際の質問です。数年前にTVの終戦記念特集で、潜水艦の乗員だった方の話を紹介していました(番組名等は忘失)。
浮上すると、砲術長の「番号」の号令に、「しゃく」「せん」「しゃ」「1」「2」「3」・・・と答える、と言うような内容でした。これは、「尺」「旋」「射」で、それぞれ「測距」担当、「方位や迎角」担当、「射撃(トリガー)担当」であり、1・2・3・・は砲弾を運ぶ担当、と解釈しましたが、これで良いでしょうか。
読みにくい文章ですが、よろしく 御願いします。
1215

  1. 質問者です。
    標的までの距離と方位は艦橋から指示する、且つ一人が一つの動作を担当する、と考えた場合、「尺」は「迎角」、「旋」は「砲の旋回(方位)」を操作する、とも考えられます。如何なものでしょうか?
    言葉足らずで申し訳ありません。
    1215


  2. 砲には旋回手輪と照尺手輪と俯仰手輪が付いていて、これを回すのは、それぞれ、旋回手と照尺手と射手(兼俯仰手)です。
    海大型の伊17潜の写真(「カリフォルニア沿岸を砲撃」と称した宣伝写真)が分かり易いかと思います。
    Luna


  3. 先の写真ですが、「[歴史群像]太平洋戦史シリーズ17伊号潜水艦」(学研)143頁に掲載されています。
    “伊17潜の写真”ではなく、“伊17潜と称した写真”です(紛らわしくてすみません)。
    砲の旋回手輪と照尺手輪と俯仰手輪は全て左側にあり、前から旋回手と照尺手と射手の3人が並んでいます。
    Luna


  4. 早速 ありがとう御座います。長年の疑問が解けました。
    御紹介いただいた書籍については、入手もしくは図書館等で閲覧します。
    1215



843 戦艦大和の詳細な建造日程はどうなっていたのでしょうか?
主砲塔が五月下旬に積み込み完了したとかは聞いたことが有るのですが他はよく知りません。
ネットを当たっても書いてるのは進水日や竣工日くらいだけなので詳細な物が知りたいです。
Mk.63 GFCS

  1. また、歴代の艦長が誰か、いつ着任したかを書いてる本は多いですが副長以下の幹部に付いてはあまり触れられない事が多い気がします。
    これらの方々は誰が、いつ着任したのでしょうか?

    Mk.63 GFCS


  2. >1
     アジア歴史資料センターで海軍辞令公報をお調べになれば分かるとは思いますが、大変な作業になろうかと思います。
     現在、拙サイトで官報をもとに人事情報を打ち込んでおりますが、大変なことは目に見えておりますので、戦時中の艦艇まで手が回っておりません。
     
    hush



842  日本帝国海軍艦艇の凌波性について質問です。

 第四艦隊事件を受けて艦艇に求められる凌波性や船体強度(想定する波浪)が強化されていますが、魚雷艇等の小型の舟艇については第四艦隊事件以降どの程度の凌波性(あるいは対応すべき波浪の規模)が求められるようになったのか教えてください。
おうる

  1. 自己レスですが呼び水で・・・多分、元々小さい舟艇は極端に荒れた海では行動できないので、安全基準とかは変更なかったのかなとは思いはしたのですが、自分ではそういうのを確認できなかったので質問させていただきました。
    おうる


  2.  魚雷艇の国産が始まったのは1940年、量産は翌年からですので、1935年の第4艦隊事件以降のことです。もちろん、大正時代に魚雷艇を輸入したことは存じているのですが、実験段階に留まっているようですので。
     なお、第1号級駆潜艇、第13号級掃海艇については復原性能に問題があり、性能改善工事を実施しています。これらが、御質問の小型舟艇の範疇に入るかどうかは存じませんが、凌波性や船体強度の基準は変更されたと考えられるべきでしょう。
     
    hush



841 BB-57サウス・ダコタは艦隊旗艦設備を搭載した関係で兵装の一部を搭載できなくなったとの事ですが、これはサウス・ダコタ級の船体が小さかった故でしょうか?
モンタナ級戦艦3番艦BB-69メインにも艦隊旗艦設備を載せる予定だったということですが、此方は船体が大きいからか特には兵装の削減といった話も聞かれなかったものですので…(尤もモンタナ級自体が起工もされていないというのもありますが…)
メインに設置予定だった艦隊旗艦設備というのもサウス・ダコタに設置されたものと同系統の物という認識でいいのでしょうか?
GUY

  1.  サウス・ダコタ級は、条約時代の設計であるため、前級よりも15mも船体を短縮しております。したがって、設計に余裕がなく、このために、艦隊旗艦設備の代わりに武装の一部を装備できなかったというのはありそうに思います。というのは、ロンドン条約により条約型巡洋艦となったものの、ワシントン条約時代の、つまり、巡洋艦としては無条約時代の設計であるインディアナポリスも艦隊旗艦として有名ですが、姉妹艦とあまり大きな違いは認められないからです。そして、仰られるように、モンタナ級は、無条約時代、それどころかパナマ運河の拡幅を見越しての設計ですから、兵装の削減がなくても不思議はありません。
     ただ、メインが実現したとしても、その旗艦設備がサウス・ダコタと同系統であったとは思っておりません。サウス・ダコタが計画された時代、レーダーは一般的ではありませんでしたし、当然、CICもなかったからです。また、戦争中のアメリカ艦艇の拡充ぶりを考えると、その通信量、情報処理量は膨大なものになり、コンピューターの助けをほとんど得られなかったことを考えると、抜本的な考え方の変更が必要だったと思うからです。
     実際、アメリカ海軍は、旗艦を、戦艦、巡洋艦から揚陸指揮艦に変更しております。それらの艦艇では、容積が不足していたからです。そして、その萌芽はイギリス海軍に求められるかも知れませんが、ターナーの旗艦だったロッキー・マウントあたりではないかと考えています。
     
    hush


  2. ポートランド級はワシントン条約の制限(砲口径8インチ、基準排水量1万トン)のもとに建造されておりますので、決して無条約時代に建造されたものではありません。
    また、インディアナポリスには巡洋艦戦隊旗艦としての旗艦設備が整備されておりますが、ポートランドとは艦影が異なっておりますね。

    例示として不適当だと思いましたので、重箱の隅をつつくような指摘ですがご容赦ください。
    無記名


  3. >2
     そうですね、不適切ですね。
     御教示感謝申し上げます。
     
    hush



840 何度も質問してすいません。
アイオワ級戦艦の各種兵装は何発ずつ砲弾を積んでるんですか?
また、以前見た映像でアイオワ級の主砲用銃把が三つあったように記憶してるのですがどういう風に使い分けてるのですか?
最後は全然違いますがSM-24-ZIFという対空火器はどうやって装填してるんですか?
Mk.63 GFCS

  1. SM−24−ZIFは横から3弾のクリップを装填、ショートリコイルにより再装填します。
    明確な資料は得られませんでしたが、装填手は二人だと思います。
    デスコン


  2. なるほど、クリップですか。
    ボフォースとかに比べ一発少ないのは重たいからですかね?
    Mk.63 GFCS


  3. 特に考えていませんでしたが、確かにその可能性は高そうですね。
    計算してみましたが、クリップ本体の重さを除いた場合、ボフォース40mmの弾×4とSM-24-ZIFの57mm弾×3は近い重さになりますね。

    それと、私が主に調べるのに、使ったサイトはNavWeapsというもので、各国の武器の性能などが記載されていますので、利用してみると良いかもしれません。
    デスコン


  4. 利用してみます。
    アイオワ級に関する他の二つの質問もお分かりになるのでしたら教えてください。
    Mk.63 GFCS


  5.  3でお書きになられているNavWeapsというのは、非常に興味深いサイトでして、特にNaval Weapons of the Worldは世界中の艦載砲に関する情報が詰まっています。そこで、アメリカを選び、16”/50 (40.6 cm) Mark 7にありますNote 11を見ると、興味深いことが書いてありますね。
     
    hush


  6. 16インチ砲の項目は先程見て把握しました。
    5インチ砲や40mm機関砲、20mm機銃はどうなっていたのでしょうか?
    Mk.63 GFCS



839 初めまして。主に第二次世界大戦時の番艦順に関する質問です。

アメリカ海軍では艦種記号とともにハルナンバーが軍艦名の前に付けられているため、それを元に◯番艦と数えていたり、
また日本海軍でも建造番号等が判明している為、それを元に◯番艦と数えていることがあります。
ですが、英伊の場合どのような基準で番艦順をカウントしているのか分かりません。

例えばイギリス海軍のカウンティ級サブクラスであるケント級は進水・竣工日が1番目ではありませんが、何を基準としてネームシップとなっているのでしょうか。
イタリア海軍のナヴィガトーリ・ソルダティ級駆逐艦は識別コード順で数えていけば良いのでしょうか。

そもそも上記の例は番艦順を考慮していないのかもしれませんが、
ご存知であれば教えて頂けると幸いです。よろしくお願いします。
WDP

  1. 日本でも2番目の条約型重巡洋艦を「高雄級」または「愛宕級」と言ったり、アメリカでも40センチ砲装備の戦艦を「コロラド級」または「メリーランド級」と言ったりするので、ネームシップあるいは〇番艦に対する明確な基準が無いのは英伊に限ったことではなく、その事情は各国様々でしょうが、ごく一般的なことではないかと。
    備後ピート


  2.  ケントは進水、竣工日のみならず、起工も発注日も最初ではありません。にもかかわらず、ケント級と称されるのは、実はよく分かりません。おそらく、計画段階で1番艦と定められたのではないかと思うのですが、推測に過ぎません。ただ、ケントの艦番号が54、2番艦とされるサフォークが55、以下、56がコーンウォール、57がカンバーランドとなっていて、跳んで65がベリックとなっています。イギリス海軍の場合、艦番号はランダムについている場合が多いのですが、これだけ連続していると、何らかの意味はあったのではないかと思います。ただし、艦番号が付与された時期が不明なので、強弁は致しません。
     ナヴィガトーリ、ソルダティの両シリーズについては、レター・コード順に並べてあるものが多いのですが、イタリア海軍の公式ページにはClasse Camicia Neraとありますので、便宜的なものだと思っております。
     http://www.marina.difesa.it/storiacultura/storia/almanacco/Pagine/Cacciatorpediniere.aspx

    >1
     高雄が第9甲型巡洋艦で、愛宕が第10甲型巡洋艦ですので、本来は高雄クラスなのですが、愛宕のほうが2ヶ月先に竣工していますので、愛宕クラスとも呼ばれます。しかし、「艦艇類別等級表」には、高雄型:高雄、愛宕、鳥海、摩耶とあり、高雄が1番艦とされています。
     同様に、コロラドがBB45、メリーランドはBB46なのでコロラド級と呼ばれますが、メリーランドのほうが2年も早く起工され、竣工も同様ですのでメリーランド級とも呼ばれています。しかし、Naval History and Heritage Commandでの呼称はColorado Class Battleshipとなっています。
     つまり、日米ともに計画の順番でネーム・シップを定めているのであって、これをもって「明確な基準が無い」と言い切ることは難しいと愚考致しております。
     
    hush


  3. 返信して頂きありがとうございます。

    ケントがネームシップの理由は不明でしたか…。
    追加質問で申し訳ありませんが、他のカウンティ級サブクラスは起工・進水順でネームシップになっているように見えますが、
    タウン級やクラウンコロニー級、ダイドー級も同じようにネームシップの基準が不明確なのでしょうか。

    ナヴィガトーリ、ソルダティはレター・コード順(のアルファベット順かと思っていましたが偶に前後していて謎です)かと思っていましたが、
    イタリア海軍公式サイトを見ると進水日?でネームシップを名付けていたのですね。
    どちらで艦順並べるかは各自の解釈ということでしょうか。

    日本重巡は第◯甲型巡洋艦という記録がアジア歴史資料センターに残っているようですが、
    昨年発売された世界の艦船増刊ですと摩耶と鳥海が逆になっていたりしているので、
    例え明確な基準があっても解釈違いや勘違いで艦順が変わってしまうことがある、
    ということは気をつけたいと思います。
    WDP


  4.  イギリス海軍においても、計画段階で1番艦と定められた艦が、ネーム・シップ(リード・シップ)となると考えております。そして、ケントの場合も、他のクラスと同様に最初に建造されるべき艦となっていたと思います。ただ、チャタム工廠のほうで何らかの問題があって、起工どころか、発注すらも他の艦より遅れてしまったということではないかと考えております。
     その理由としては、建造間隔が開いたからではないかと考えております。というのは、同工廠の大型艦というと、ケントの前はホーキンズとなり、数年間、建造していないからです。もちろん、これはコーンウォールを建造したデヴォンポート、サフォークを建造したポーツマス両工廠においても条件は一緒なのですが、チャタムの場合、面しているメドウェイ川の堆積により水深が浅くなるという問題があります。さらに、同工廠は、潜水艦の建造に特化していた部分があり、大型艦の建造に必要な熟練工が少なかった可能性もあります。
     もちろん、上記は憶測でしかないのですが、その後、同工廠では、ケントの半分の排水量しかないアリシューザしか大型艦を建造していません。第1次世界大戦まで戦艦をはじめとして多くの大型艦を建造していた同工廠の歴史を考えると、不思議な話なのです。
     では、もし、そうならば、なぜチャタムが選ばれたかというと疑問が生じるのですが、それは、オーストラリア海軍分も含めてケント級を一挙に7隻も建造したからです。このため、チャタム工廠もとなるわけですが、問題点も分かっていたと考えれば、同工廠の建造準備には時間がかかるはずですので、発注は最後になっても、建造しますよという内示は早めにしないといけなかったとなるはずなのです。これが、チャタム発注艦が1番艦になった理由とみなすこともできます。そして、チャタムがケント州にあることから、ケントと命名されたのではないかと考えております(同工廠では巡洋艦チャタムも建造されています)。
     なお、旧日本海軍においても、竣工が先になったために1番艦が変更になったケースがありました。それは古鷹クラスで、本来は加古が1番艦になるはずだったのですが、クレーン事故により竣工が伸びたために、公式には古鷹型となっています(なお、加古の予定艦名は衣笠)。したがいまして、(2)で「計画の順番でネーム・シップを定めている」というのは、原則としてという但し書きが必要なようです。
     
    hush


  5. 返信して頂きありがとうございます。
    hushさんの考察、参考になりました。
    実際はどうだったのか分かりませんが、説得力を感じます。

    色々と教えて頂きありがとうございました。
    時間ができたらもっと踏み込んで頑張って調べてみます。
    WDP


  6. >5
     鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     そういうふうに書いて戴くと、まだ何か御答えすべきことがあるのかどうかが分かって嬉しいです。
     
    hush



838 世界の艦船増刊「第2次大戦の日本軍艦」を見ていて疑問に思ったのですが、大鷹型の説明に「艦隊戦闘時に第一線空母への航空機補給任務の補助空母とする考え」という文言がありました。
大鷹型は計画段階では通常の艦隊戦闘に使用する空母として計画されていたと思うのですが、上記内容(第一線空母への航空機補給任務)を示す一次資料は存在するのでしょうか?

また、大鳳の説明に「アウトレンジ戦法に基づき(中略)中継基地を務める艦であった」とも書かれています。
しかし当初計画で検討された事は知っていますが、戦争がなければ重防御の装甲空母を標準化するのが日本海軍の計画(改大鳳型)であったとする説と大きく矛盾しています(上記大鳳の説明には装甲空母標準化への記述なし)。

大鷹型、大鳳共に同一人物による解説ですが、これらの解説を示す資料はあるのでしょうか?
ご存知の方が居られましたら教えて頂けますと幸いです。
薩摩

  1. うーんと遡った大正13年の時点では、赤城加賀クラスのものを「航空母艦」とするのに対し、10000トン級のものは「航空補給艦」と呼ばれていたりもしましたが、すぐに「補助航空母艦」に変わります。この補助航空母艦は防空用の防御兵器です。

    昭和10年代の優秀船から改装される特空母については、本来は第一艦隊の対潜哨戒、防御を専務としていたと考えてよいと思います。


  2. 片様

    回答ありがとうございます。
    しかし第一艦隊の対潜哨戒や防御を専務とした場合、航空魚雷36本や800kg爆弾72個という兵装搭載量と矛盾すると思うのです。
    質問に出した「艦隊戦闘時に第一線空母への航空機補給任務の補助空母とする考え」も兵装搭載量とは矛盾する運用方法だと思います。
    航空機補給の為であれば搭載機を全機雷装にして2回出せるだけの魚雷を積む必要性はありませんし、対潜哨戒・防御を専務としていたのならば800kg爆弾や魚雷の必要性はやはり薄いのではないでしょうか?
    薩摩


  3. 「本来は」と書いたことにご留意いただければ。
    目的や想定される用法は時期によって変わっていきますので、固定的に考えない方がよいかと思います。

    そもそも1.で挙げた「航空補給艦」や「補助航空母艦」は民間船改造の特空母などではなく、専用の艦として構想されていた時期のものです。
    計画される中身はどんどん移り変わってゆくのです。


  4. 航空魚雷36本などの搭載量の指定は16年初頭のD計画概案によるものと思われ、この時点では優秀船改造特空母は将来的に夜戦航空部隊に配置され対主力艦攻撃任務に就くことが想定されていたからですが、これが実際の改装開始時期に比較的近かったものだったため形として残っていったのだと思います。ただし、その時点では艦攻36機搭載が想定されていました。



837 木造船の銅板被覆についての質問です。

1.戦列艦等の船体を覆っていた銅板の厚さはどれくらいですか?(幅と長さは数値を見つけることが出来ましたが、厚さは見つけられませんでした)
2.銅板を固定していた釘のサイズと本数(または間隔)は?
3.銅板の寿命はどれくらいだったのですか?
4.銅板被覆でカキ等は付着しなくなっても海藻は付着するので定期的にドック入りして除去しなければならない点は変わらなかった・・・と聞きましたが、ドック入りの間隔(年に〇回とか)やドック入りした際の期間に変化はどの程度軽減したのでしょうか?
おうる

  1. コチラ ↓ は見ましたか?
    http://shipwrecks.com/muntz-metal-hull-sheathing/
    駄レス国務長官


  2. ありがとうございます。
    そこは初見です。

    そのものズバリな厚さは記載が無いようですが、26オンス/平方フィートの真鍮板が紹介されていますね。
    1平方メートル当たりで換算すると約7.93キログラム。
    銅56:亜鉛44の真鍮なので比重は計算上8.148g/cm^3。立方メートルにすると8148キログラム。
    比重から計算すると厚さは0.97ミリメートルですか・・・難破船から回収されたシートが19.2オンス/平方フィートまで痩せていたそうなので、こちらの厚さは同様の計算から約0.72ミリメートル。

    釘のサイズは記載がありませんが間隔は2〜4インチ(ただし造船所と時期によって異なる)。

    だいぶ参考になりました。ありがとうございました。
    おうる


  3. 幅と長さは数値を見つけることが出来たが厚さは見つけられなかったと仰られているので、もしかしたら既に御覧になった事があるかもしれませんが(御存知でしたら、すみません)、

    「世界の艦船 第281集 1980/5」(海人社)の74〜77頁「帆装木造軍艦の塗装」杉浦昭典
    より引用しますと、

    1.(厚さについての記述はありませんでした)
    2.銅板1枚を取り付けるのに100本前後の銅釘が用いられた。
    3.熱帯方面への数航海で取り替えるのが常だった。
    4.銅板でも海中生物の付着は避けることはできなかったが、穿孔虫の侵入だけは確実に防ぐことができた。

    以上の様になります。

    因みに、無料ダウンロードできるpdfファイル、
    神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 学内研究成果「木船船底銅板被覆」杉浦昭典
    http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_81005878
    は、「世界の艦船」掲載の部分的ダイジェスト版のような内容になっています。
    Luna



836 CICについてです。
米軍の1940年代の艦には既に初歩的なCICがあると聞きました。
しかし、現代のCICとは違いプロッティングボードにペンで書き込む様なものだったと聞いてます。

そこで疑問なのですが当時のCICにはどういうような人が配置されていたのですか?
幹部クラスの艦長や砲術長、高射長等はここにいるのですか?
ペンで書き込むならそれ専門の人がいるでしょうし、レーダー員もいると思いますがそちらも詳しく知りたいです。
艦種ごとに違うのなら戦艦のものが知りたいです。

また、レーダー室は別で存在したとも聞いた事があるんですがCICにもレーダー員がいてそこでレーダーの様子を確認できたと聞いてます。
レーダー室とCICが別れている理由はなんなのでしょうか?

Mk.63 GFCS

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%97%98%E6%8C%87%E6%8F%AE%E6%89%80
     上記のURLにあるWikipediaの戦闘指揮所の項にある軽空母(CVL22)インディペンデンスの1940年代のCICの写真にはレーダー・スクリーンが写っておりますし、文中にも「駆逐艦フレッチャーの副長であったJ・ワイリー少佐は、艦橋に隣接した海図室で、レーダーを直接操作し」たのが、空母以外の艦艇におけるCICの最初のコンセプトであると記されております。したがって、レーダー室が別にあったかどうか存じませんが、レーダーを「見る」ことはできたようです。
     なお、本項、ならびに英語版WikipediaのOperations roomのリンク先として次のものが示されています。

     http://destroyerhistory.org/assets/pdf/430624CICHandbook.pdf (pdfですので、重たいです)
     https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/c/cic-combat-information-center-yesterday-today.html
     https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/c/cic--combat-information-center-manual-radsix.html

     現在、こういう長文の英文を読む体力も気力も余力もありませんので、申し訳ありませんが、参考文献だけ提示させて戴きますが、2番目のものは真ん中あたりに人員配置の例が載っておりますので、御参考になるのではと思っております。
     あと、大戦期の戦艦のものは見つけられませんでしたが、駆逐艦のCICの参考例としては下記があります。

     http://navsource.org/archives/05/interior.htm
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    参考になりました。
    Mk.63 GFCS



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