ちょっと気になると夜も眠れない。 艦船関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
1365 |
架空艦のことで思い出したことがあるのですが、昔にWarBirdsか、その分館に15.5cm四連装砲三基を24p連装砲に換装する条約型巡洋艦の架空艦があったと思うのですが、見つけることができません。どなたかご存じではないでしょうか? ナマケモノ |
みいつ
間違えました、こちらです
みいつ
ナマケモノ
三脚しょうは無いほうが好かったんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
1364 |
ワシントン軍縮条約で廃案になった扶桑型の41p砲換装案ですが、ワシントン会議中に新型戦艦の保有数に制限がかけられたが、既存戦艦の改造には制限がかけられていなかった頃の案だとは思うのですが、これは誰がどこまで本気にしていた案なのでしょうか? 少なくとも設計主任の平賀譲は本気だったのでしょうが、上部構造丸ごとと、外殻のほとんどと、装甲と弾薬庫と機関部を総取り換えしなければ実現不可能な案に思えるのですが、これはいったい元の扶桑のどの部分が残るというのでしょうか? こんな案がまかり通れば、割り当てられた合計排水量が許す限り実質新型41p砲搭載艦が作れてしまうから、ワシントン軍縮条約で戦艦の主砲換装や舷側装甲の増加などが禁じられたのではないのでしょうか? ナマケモノ |
なお当該案の前提条件として「米国ニテ十四吋ヲ十六吋ニ変更スル事アレバ」とありますので対抗案を用意しておくコトは計画主任の職責じゃないでしょうか
駄レス国務長官
思い出してみれば、コロラド級戦艦はテネシー級の主砲を14インチ三連装砲から16インチ連装砲に換装したようなものですから、既存戦艦の16インチ砲への換装は、むしろアメリカのほうがやりやすかったのでしょう。ですから、それに対抗するために日本側でも既存戦艦の16インチ砲換装案を考えておくのは当然のことになると思いました。
ナマケモノ
金剛型から長門型の「大改装」って、まさにこれだったのでは・・・という気が。
Ranchan
1363 |
41cm四連装砲についての質問なのですが、战舰少女Rの中国語版のwikiの41cm四連装砲の資料の下の方にある、砲が田の字状に配置されている”single”の装填がどのようにして行われるのかが気になります。だれかご存じの方はいませんでしょうか? ついでに”triple”と”twin”にどのような違いがあるのかも気になります。 ナマケモノ |
ナマケモノ
あとtripleは三連装、twinは連装でしょう
駄レス国務長官
昔「架空艦の館」でありましたね。その主砲塔装備の架空のドイツ新型巡洋戦艦。
あの架空艦シリーズや架空艦コンペ面白くて好きだったので、もう一回是非拝見したいものです。
Ranchan
× 大口径の四連装砲で
〇 大口径の田の字配置の四連装砲で
駄レス国務長官
ナマケモノ
米戦艦キアサージ型(BB-5、BB-6)、ヴァージニア型(BB-13〜BB-17)がありました。
もっとも、下段が主砲で上段が副砲なので「四連装砲塔」とは言えませんが。
Ranchan
連装並列だと左砲二門・右砲二門の交互斉射となり発砲時に砲塔に回転モーメントが生ずるのに対して単装・連装・単装の並びだと外砲二門・内砲二門の交互斉射となり回転モーメントが生じないからじゃないでしょうか
駄レス国務長官
あと、キアサージ級の砲塔の図面を見た限り、”single”の装填は2回に分けて行う方が賢明に思えてきますね…。しかし、2回に分ける方式だと急いで打ちたいときに4門すべてに装填するのを待てずに、砲塔に4門あるのに2門だけに装填して打ってしまうみたいな、テゲトフ級戦艦の中砲みたいになってしまわないのでしょうか?
そもそもこの41cm四連装砲が計画されていた時期は交互斉射が日本海軍の基本だった時代だと思うのですが、この”single”はどのような打ち方をする予定で計画されていたのでしょうか?
ナマケモノ
(図面はtwin砲架のモノが現存)
あと四門同時発射については実戦で有り得るケースとしつつも砲塔構造などについてなお研究を要すのようなコトを仰ってますのでお尋ねの田の字配置についてはアイデアのみで具体的な構造や用法までは考えられてなかったんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
架空期の館 第16回競争試作:艦船 ドイツ海軍・巡洋戦艦
人気第一位 「フォン・デア・タン ハァハァ(;´Д`)級」(VON DER TANN haha (;´Д`)CLASS )
https://web.archive.org/web/20090804074550/http://www.warbirds.jp/kakuki/kyosaku/16kan/tann.htm
みいつ
これは田の字配置の”single”とは異なり、垂直ニ連砲を左右二連装にしたものですが、砲塔をコンパクトにできるという点では同じようなものですね。
ロシアのコアリツィヤSVのプロトタイプが垂直ニ連砲だったので、垂直ニ連砲に装填できる仕組み自体は実在することになりますね。
ただし、船体下部にある弾薬庫から砲弾を運んでくる戦艦の主砲と異なり、コアリツィヤSVは砲弾が最初からすべて砲塔内に収められているので、装填の仕方が全く異なる可能性がありますが…。
そういえばドイツの28p砲の砲弾って軽かったはずだから大経口砲用の揚弾機なら2つ同時に運べるのではないかと思って調べてみたら、約300sしかありませんでした。九一式徹甲弾の重量が、46p砲のもので1,460kg、41p砲のもので1,020kg、35.6cm砲のもので673.5kgだったので、大和型の揚弾機では長門方の砲弾はともかく、理論上は金剛型の砲弾を2つ同時に運べることになりますから、砲の経口を妥協すればコンパクトな四連装砲は実現不可能ではなさそうですね。
ナマケモノ
おお、これこれ!これでございます!
この馬鹿馬鹿しくも大真面目な設定や物語をもう一度読みたかったのです。
何が「フォン・デア・タン ハァハァ(;´Д`)級 VON DER TANN haha (;´Д`)CLASS」なんだか・・・。だがそれが素晴らしい。
H.M.S.「フューリアス」の写真を加工して「フォン・デア・タン ハァハァ(;´Д`)」として掲載し、「垂直ニ連砲が艦幅にほとんど影響を与えない事がわかる。またその低い乾舷にも注目。」と解説しているところとか、もうたまりません。
ご紹介下さいまして有り難うございます。
Ranchan
1362 |
航空母艦の甲板上に航空機を注記する場合、揺れや風で機体が動いたり揺れたりして他の機体と接触したりすることのないよう、固縛する必要があると思います。 木甲板時代の航空母艦の場合、どうやっていたのですか? 現在のカーフェリーみたいにアンカー用フックみたいなものが埋め込まれてたりしたんですか? だとしたらそれはどれくらいの耐荷重能力があったのですか? おうる |
耐荷重能力は分かりませんでした。
hush
Ranchan
1361 |
WW1時のドイツ艦の塗装についてお伺いします。 Wikipediaに掲載されている巡洋戦艦「デアフリンガー」「リュッツオウ」のイラストでは煙突を赤で塗装していますが、何のためにこのような塗装をしているのでしょうか? (同型艦識別でしょうか?だとすると他のドイツ戦艦や巡洋艦も同様に同型艦同士で煙突を塗り分けていたのでしょうか・・・?) 「デアフリンガー」:ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a1/Derfflinger1916.png/960px-Derfflinger1916.png 「リュッツオウ」:ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/L%C3%BCtzow1916.png/960px-L%C3%BCtzow1916.png 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
最後尾の煙突を赤や黄色に塗ったそうですが、作戦によって色を変えており、しかも、出港後に行っていたそうです。
hush
煙突は巨大ですから全面塗装してしまえば、日本艦の舷側や煙突の識別線より分かりやすいですね。
でもWW2時には煙突ではなく砲塔上面を赤やら青やらで塗装していたので、やっぱり派手すぎたんだろうな・・・。
ついしん
私個人は前掲の1916年のデアフリンガー型大巡洋艦の例しか存じないのですが、どなたか他艦の煙突全面塗装の事例をご存知ないでしょうか?
Ranchan
https://forum-marinearchiv.de/smf/index.php?topic=25314.0 には、このような記述があります。
スカゲラク海戦に関するシェーアの作戦命令を参照する必要がある。参加するすべての船舶は船尾の煙突を赤く塗らなければならないと明確に命令した。
機械翻訳が正しいかどうか分かりませんが、それが遵守されたかどうかを巡って議論がされていて興味深いです。
hush
敵味方の識別用だったんですね・・・。
ただ、「(スカゲラック海戦時)参加するすべての船舶は船尾の煙突を赤く塗らなければならないと明確に命令した」というお話は初めて伺いましたがどうだったんでしょうね?
大破し何とか帰投した「ザイドリッツ」の写真を見ても、第二煙突を赤く塗装しているようには見えないような気が。
Ranchan
ええ、ですから、そのフォーラムで議論になっているわけです。
翻訳サイトで読みながら、私もどっちなのとなっています。
hush
(独艦の煙突の数え方は艦尾より1.2・・・)
思うに作戦中にわざわざ目立たせるコトは無いので実施時期については疑問有り
駄レス国務長官
はい、長官閣下の仰る通りです。
その本についてもフォーラムの中で言及があります。
ただ、1914年に海軍に入り17年には少尉になった詩人で画家のJoachim Ringelnatzの「戦争中の船乗りとして」 https://www.projekt-gutenberg.org/ringelnz/mariner/chap003.html に、”Alle Kriegsschiffe hatten ihren hintersten Schornstein rot gestrichen(すべての軍艦の後部煙突は赤く塗られていました)”とあるのも事実なのです。
hush
Ranchan
Joachim Ringelnatzのは1914-5年頃の話のようです。
>8
フォーラムでは、逆に出撃後に塗装したとなっています。
ただ、Ringelnatzの書いているのは停泊時のように思えますね。
彼は戦闘に参加したことがないようですし。
hush
(一時的に一部の艦(デアフリンガー型大巡洋艦だけ?)が実施しただけで、ドイツ海軍としては規定されていない?)
Ranchan
同じ本にルッツオーの浮ドック内の写真が載ってますね(特に解説無し)
この本は大巡だけなので他の艦種については不明
駄レス国務長官
更なるご紹介有り難うございます。
でも本当に「煙突塗装(赤・黄他)の実例」って少数ですね。
証拠の写真はあるので、実施はしていたようですが・・・。
デアフリンガー型がたまたま一時期誰か(「所属戦隊の司令官」など)の意向で実施していただけで、ドイツ海軍の正式な塗装規定ではなかった・・・と考えるのがいいような気がしました。
Ranchan
1360 |
ドイツ戦艦ポーゼンのA砲塔天蓋に十字が描かれている航空写真を見ました。 同じ写真で並走しているヴェスファーレンのA、C砲塔には通常の識別用の円環が描かれています。 https://www.sms-navy.com/paint/sms_paint-overview.htm によると、プリンツレゲント・ルイトポルトのA砲塔前面、側面と後方には黒の、カイザーには赤の十字が描かれていたそうですが、天蓋という記載はありません。 円環以外の図形を描いた艦というのは他にあるのでしょうか。 hush |
https://bsky.app/profile/ssonh.bsky.social/post/3logufws2lk25 ですが、ブルースカイに入らないと見られないかもしれません。
hush
1359 |
いつもご教授頂きまして有り難うございます。 スレ1357を読んでいて思ったのですが、八九式12.7cm高角砲(弾丸重量23.0kg、仰俯角-8〜90°)は「Mk 12 5インチ砲(弾丸重量25.0kg、仰俯角-15〜85°)」(米)や「QF 5.25-inch Mark I gun(弾丸重量36.29 kg、仰俯角-8〜70°)」(英)などと異なり「両用砲」(Dual-purpose gun)と言われていません。 単なる日本海軍と米英海軍の用語の違いでしょうか? またQF 5.25-inch Mark I gunは対艦に比重を置きすぎて人力装填なのに砲弾が重く、最大仰角も70度と低く(日本駆逐艦の三年式12.7cm連装砲D型の75度より低い!)、その実態は両用砲ではなく「対空射撃も可能な平射砲」と評価すべきとも言われています。 丁型駆逐艦からは「対艦も対空もこなせ、威力も射程も十分にある」と高く評価されていますが、八九式12.7cm高角砲は「両用砲」と呼ばれるためには対艦能力が足りないのでしょうか? 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
単純に日本海軍が「高角砲」に分類していて「両用砲」としていない(というか日本海軍に分類としての両用砲はない)からじゃないでしょうか。
実戦で事実上両用砲として使われたとしても制式名称は「四十口径八九式十二糎七高角砲」なわけですし、アメリカ海軍のMk12 5インチ砲のように最初から平射砲と高角砲の統合を図ったものとは違うという事では。
元自
八九式12.7cm高角砲や長10cm高角砲が「両用砲」扱いされないのは、単なる名称の違い(日本海軍には「両用砲」という分類枠や概念がないから)ならそれで結構なのです。
しかし、あまり優秀な砲と名高い八九式12.7cm高角砲や長10cm高角砲の対艦能力を扱ったお話(例えば「艦隊型」駆逐艦の搭載していた三年式12.7cm砲と対艦能力を比較)を聞かないので「高角砲には対艦能力は期待できないものなのか?」と思いましたので質問させて頂きました。
Ranchan
極論すれば平射砲/高角砲の違いは要求仕様の差であって、実戦ではどちらも対空対艦共に必要があれば使用する、というだけのことだと思いますが……。
元自
ただ、お伺いしておりますのは「八九式12.7cm高角砲の対艦砲としての能力・評価」であって、運用ではないのですが・・・。
スレ1357でも記述させて頂きましたが、サマール沖海戦で「大和」が米駆逐艦を12.7cm高角砲で砲撃しておりますので、射程内に目標があれば高角砲でも関係なく対艦砲として使用するのは承知しております。
Ranchan
> 「八九式12.7cm高角砲の対艦砲としての能力・評価」
三年式12.7cm砲と比べてみましょう
・三年式 弾量23s 初速910m/s 射程18,400m 発射速度20rpm
・八九式 弾量23s 初速720m/s 射程13,200m 発射速度14rpm
※初速と射程の差は装薬量による
つまり射程内でも運動エネルギーで720×720/910×910=0.626、発射速度で14/20=0.700、総合して0.626/0.700=0.438と半分以下ですからお話にならないレベルではないでしょうか
駄レス国務長官
× 総合して0.626/0.700=0.438
〇 総合して0.626×0.700=0.438
駄レス国務長官
発射速度あってますか?
単装と二連装がごっちゃになってる感じがします。
太助
太助
適宜訂正願います
駄レス国務長官
どう評価していようと実戦では必要があれば使用する、それ以上でも以下でもないと思いますが……。
極端な例ですと九六式25o機銃ですら第三次ソロモン海戦で至近距離を反航する敵艦に対し射撃してますよね。
元自
曖昧なコメント失礼しました。代案だします。
・三年式 弾量23s 初速910m/s 射程18,400m 発射速度10rpm目標
・八九式 弾量23s 初速720m/s 射程13,200m 発射速度14rpm目標
砲弾1発あたりの威力は弾量からみて同じくらいかと見積もりました。(本来なら炸薬量などを調べるべき。)
【八九式が有利な点(対艦射撃)】
●単位時間あたりの投射威力は、射程内であれば八九式は三年式の4割増し。
(単純に発射速度の比率)
✕でも疲れるよね。
【三年式が有利な点(対艦射撃)】
●射程:三年式が4割増しで有利。
●命中精度:砲弾は三年式が高初速・高速回転のため、命中率も三年式が勝ると予想。
所感ですが、
対艦射撃においては、短期集中型の八九式に対して、長期平均型の三年式といえるかと。ハマれば八九式は強いと思いますが、対艦射撃のみを考えると平射砲が有利になる状況が多いかと。
備考)
@砲身命数は、
・高初速に依存する磨耗ダメージ
・連射数に依存する熱ダメージ
が考えられるが、まあ設計次第か。通常は数撃つ必要がある高角砲の砲身命数を長くするだろうとは思う。
A高角砲弾が高速回転を避けるのは、対空射撃において、破片の拡散分布にへんな偏りが出るのを嫌うからか。
B平射砲も高角砲も弾を命中させる点では高初速(短飛翔時間)は望ましい。しかし高初速は砲身の短命数につながる。
C徹甲弾などでは同じ装薬エネルギーを使うなら「軽い砲弾×高初速」よりも「重い砲弾×低初速」の方が着弾時の残威力が高くなるし、飛翔時の横風の影響も小さくなる=砲弾が素直に飛ぶ利点があるのではないか。
・BCの理由で高初速追求には一定の歯止めがかかる。
(現在では「軽い砲弾×高初速」のレールガンなんてのもあるが、これは別の話題だろう。)
太助
1358 |
写真 https://www.militaryfactory.com/ships/imgs/lrg/ijn-kongo.jpg は竣工時の巡洋戦艦金剛を英国で撮影したものですが、後部主砲塔間の舷側部に仮設と思われる構造物が見られます。別の写真では反対側にありますが、これは何でしょうか。 hush |
https://www.militaryfactory.com/ships/detail.php?ship_id=IJN-Kongo
冒頭の艦影です。
hush
hush
(どこかに書かなかったかな)
駄レス国務長官
さすがです。ありがとうございます。
hush
1357 |
戦艦「大和」は昭和19年に被雷修理の折に第2・第3副砲塔を撤去し八九式連装高角砲左右各3基と換装しています。 もちろん対空能力は強化されたのですが、対艦能力はどうだったのでしょうか? 15.5cm砲×3 :55.9s(砲弾重量)×5発/分×3門=838.5s/分 最大射程27,400m 徹甲弾あり ↓ 12.7cm高角砲×6:23.0s(砲弾重量)×12発/分×6門=1656.0s/分 最大射程14,622m 徹甲弾なし あくまでカタログデータなのですが、射程内でありさえすれば対艦戦力も強化されているようです。 その代わり最大射程が約半分になり徹甲弾がなくなってしまっていますが、 相手が巡洋艦や駆逐艦なら徹甲弾でなくても十分でしょうし、戦艦相手では改装前の15.5cm砲でも致命傷を与えることはできず「嫌がらせ」にしかならないので気にしなくていいのでは・・・と思えます。 改装後の「大和」は対艦能力も向上しているとの認識でよいのでしょうか? 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
改装の前後で駆逐艦等に対する射撃可能時間を考慮すると明らかかと。
仮に10,000mで敵駆逐艦が雷撃してくると予想すると、
・改装後射撃時間÷改装前射撃時間
= 改装後射撃距離÷改装前射撃距離 = (14622-10000)÷(27400-10000) = 0.27倍
まで射撃可能時間が減少します。
まあ大和で敵駆逐艦と刺し違えるつもりなら、別の計算もありだと思いますが。
太助
駄レス国務長官
仮定1:15.5×3と12.7×6で比較するのが間違い。改装前の15.5×9+12.7×6 と 改装後の15.5×6+12.7×12で比較すると攻撃力の受け取り方が違う。
仮定2:12.7はそもそも対艦を想定してない。襲ってくる駆逐艦や水雷艇の相手をするのは護衛艦の仕事で、護衛艦では止められない相手を仕留めるのが副砲の仕事だから 一発の威力が倍で射程も長い15.5を装備するのが当然。
仮定3:最上型から外した15.5が余ってたからそれを使っただけ。
かめ
射程の長短は少々の投弾量の差ではカバーできないのですね。
大和型系統の戦艦は後期艦になると15.5cm副砲を減らし、本来の4基から
改装後の「大和」「武蔵」同様に2基と(場合によっては副砲全廃説も)しているようなので、
高角砲の射撃速度と門数の増加で15.5cm副砲を失っても対艦をカバーできる目処が立ったのかと思いましたので質問させて頂きました。
>3
仮定2で仰られている「八九式12.7cm高角砲が対艦を想定していない」というのはおかしいです。
だとしたら丁型駆逐艦や、更に小口径主砲の秋月型駆逐艦は魚雷4本しか有効な対艦兵器がないことになってしまいます。
Ranchan
失礼しました。
Ranchan
> 改装前の15.5×9+12.7×6 と 改装後の15.5×6+12.7×12で比較すると
改装前後の優劣比較として差分を取れば15.5×3減の12.7×6増となって質問と同一結果になりませんかね
駄レス国務長官
・5,000m ⇒ 0.43倍
・3,000m ⇒ 0.48倍
ところで少々気になったのですが、駆逐艦は戦艦のどの方位から雷撃するのを良しとする、というのはあったのでしょうか?
水雷戦隊単独でとか、他種協同でとか、シチュエーションは色々あるとは思いますが。直近のスレッド1352では”極力前方”から等の記載がありましたが、艦船ゲームのサイトでは”横から”が望ましいなどの記載も。
本スレッドに関係しては、前方水平に高角砲を全て指向できるのかも気になります。
太助
魚雷戦−射法計画 でぐぐると>駆逐艦は戦艦のどの方位から雷撃するのを良しとする の答えがあると思います
ももんが
> 駆逐艦は戦艦のどの方位から雷撃するのを良しとする、というのはあったのでしょうか?
見晴らしの良い昼戦で水雷戦隊が敵主力艦隊を襲撃する場合は敵針路の斜め前方寄りからってのが実戦の例に有ります(ヂャットランドの南下戦)
理由は相対速度が大となり回避時間が短くなるためと思われ
夜戦や乱戦の場合はこの例に沿わず見つけ次第手当たり次第かと
駄レス国務長官
ありがとうございます。
日本海軍が夜戦をする場合、横からの雷撃が望ましいというお話でしょうか。解釈が違いましたら補足をお願いします。
照準距離2,000mと至近かつ夜戦ですので、的の幅が大きい方が当たりやすい感じもしますが。そんなのが理由になるのかな。的が単艦ではなくて戦隊だとしたら理想方位は変わるのかな。ははは、戦隊を的にってのも我ながらよく判らないこと書いてますが。
>>9
ありがとうございます。
昼戦での実例ですね。なるほどです。
ということは、やはり状況によって変わってくるんでしょうかね、雷撃位置。それとも理想形はあるが、実現は難しいだけかな。
p.s.”四方から囲んで雷撃”はひとつの理想形かもしれませんが、その状況は難しそうなので、今回のお話からは除外の方向で。
太助
>だとしたら丁型駆逐艦や、更に小口径主砲の秋月型駆逐艦は魚雷4本しか有効な対艦兵器がないことになってしまいます。
大和型にとっての12.7p高角砲と、丁型や秋月型にとっての12.7p砲10p砲は 存在価値が違う・・ような気がするのです。
駄レス国務長官様
>>改装前後の優劣比較として差分を取れば15.5×3減の12.7×6増となって質問と同一結果になりませんかね
うまく言葉にできないのですが、差分で取るのとトータルで取るのとでは必ずしも結果が一緒ではないような気がするのです。
ただ、どちらも「私はそういう気がする」程度の話です。お耳汚しで申し訳ありません。
かめ
>大和型にとっての12.7p高角砲と、丁型や秋月型にとっての12.7p砲10p砲は 存在価値が違う
仰られている意味がよく分かりませんが、「戦艦にとって、高角砲は対艦では主砲・副砲より威力が劣るので対空戦に専任」ということでしょうか?
Ranchan
>>「戦艦にとって、高角砲は対艦では主砲・副砲より威力が劣るので対空戦に専任」ということでしょうか?
いや、そうじゃなくて・・・ 「戦艦にとって高角砲は」じゃなくて、「大和にとって12.7p砲は」なんですけど・・ 語彙力不足で言いたい事が上手く言葉にできません。 すみません、重複になりますけど お耳汚しで申し訳ありませんでした。
かめ
あまりこの件でお話したくないご様子と思いますので最後に申し述べておきますと、サマール沖海戦で「大和」は米駆逐艦を高角砲で射撃しています。「大和」にとって12.7cm高角砲は決して対空専用兵器ではありません。
Ranchan
話したくないどころか 微に入り細に渡り教えていただきたいくらいなのですが、ここでやると文面のニュアンスもあり冗長になってしまいそうなので控えようと思った次第です。素人の単純な思い付きに丁寧にご教示いただきましてありがとうございます。
かめ
1356 |
1353の質問にレスが頂けませんでしたので、少々変更して質問させて頂きます。 英戦艦「キング・ジョージ5世」(2代)は艦尾両舷に各6個の四角い舷窓を持っており、そこの艦内には司令官公室などが設けられていました。 これは「キング・ジョージ5世」のみの特徴であり、他の4隻の姉妹艦は全艦普通の丸い舷窓でした。 「キング・ジョージ5世」以外の4隻の姉妹艦も、この部分の艦内は全艦「キング・ジョージ5世」と同一(司令官公室などが配置)だったのでしょうか? 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
駄レス国務長官
・HMS King George V
だけではなく、
・HMS Prince of Wales
・HMS Duke of York
も、艦尾両舷に各6個の四角い舷窓を持っていることは考えられませんか?
生涯全期間でとはいいませんが、以下のポスターがありました。ちなみに残りの2艦は丸窓で表現されています。
-----KGV級のポスター-----
https://naval-encyclopedia.com/POSTERS/KGV-class-poster.jpg
ご参考まで。
太助
少なくとも1949年のデュークオブヨークは丸窓ですね
駄レス国務長官
1949年のHMS Duke of York左舷の写真ですが、丸窓ですね。
https://i0.wp.com/www.destinationsjourney.com/wp-content/uploads/2022/07/HMS-Duke-of-York-at-Portsmouth-1949.jpg?ssl=1
ちなみに>>2のポスターは右舷表示。左右両舷で異なるのかもしれないし、年時の違いかもしれない。
太助
HMS「プリンス・オヴ・ウェールズ」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7c/USS_McDougal_%28DD-358%29_alongside_HMS_Prince_of_Wales_%2853%29_in_Placentia_Bay%2C_Newfoundland%2C_in_August_1941_%28NH_67195%29.jpg/1280px-USS_McDougal_%28DD-358%29_alongside_HMS_Prince_of_Wales_%2853%29_in_Placentia_Bay%2C_Newfoundland%2C_in_August_1941_%28NH_67195%29.jpg
1941年8月大西洋会談の会場となった折の艦影ですが、艦尾の舷窓は丸窓で四角窓はありません。
Ranchan
参考に挙げて頂いたキング・ジョージ5世各艦のポスターを拝見いたしましたが、
「『キング・ジョージ5世』のみ新造時〜1942年中期まで装備していた艦外式消磁電路が全艦に装備されている」
「艦首先端水面下の『出っ張り』は少なくとも『プリンス・オヴ・ウェールズ』と『アンソン』にはない」
「戦争末期の姿なのにカタパルト装着のまま」
など、おそらく各姉妹艦は「キング・ジョージ5世」の絵を流用して塗装を変更したものであり艦姿を正しく描いているとは言えないと思います。
Ranchan
いい加減なポスターだったみたいで申し訳ないです。
ところでネットを漁っていたら、以下表現にあたりました。どうやらHMS Prince of Walesの艤装時に「角型の舷窓では水密が確保できない」と判断した模様。
よってこの話が本当ならば、HMS Duke of Yorkの舷窓も左右舷とも丸窓ということになるのかな。
https://ontheslipway.com/the-launch-of-hms-prince-of-wales/
-----抜粋-----
This collection contains only one well-known image of HMS Prince of Wales during her fitting-out. HMS King George V was the only of the class to have square scuttles at the Admiral's dining and day cabin located in the stern. Although the scuttles here are clearly round, six rectangular cut-outs appear to be visible in the hull; the yard considered the square scuttles 'incapable of watertightness'.
このコレクションには、艤装中のプリンス・オブ・ウェールズを写したよく知られた写真が1枚だけ含まれています。キング・ジョージ5世は、このクラスの中で唯一、艦尾にある提督の食堂兼デイキャビンに角型小窓を備えていました。写真の小窓は明らかに円形ですが、船体には6つの長方形の切り欠きが見えます。造船所は、この角型小窓は「水密性が確保できない」と判断したのです。
-----終わり-----
小生的にはHMS King George Vの左舷側にも角型窓はあったのか、それともなかったのかも気になりますが、取り急ぎお詫びがてらに書き込みます。
太助
お気になさっているキング・ジョージ5世の左舷角型窓ですが
>7にてご紹介されたサイトにキング・ジョージ5世の左舷後部で角型窓が開口している写真が掲載されているようです。
https://ontheslipway.com/hms-king-george-v-visits-melbourne/
根性の無い履帯
掲載されてますね。連絡ありがとうございます。
>>7の通りだとするとHMS King George Vだけ角窓なのは内部の違いではなくて、元設計が角窓で、2号艦で不具合確認して丸窓に改設計、3号艦以降は2号艦に従い丸窓といったところですかね。
4号艦5号艦にAdmiral Day CabinやAdmiral Dining Roomがあったのかなかったのかは、気になるところではありますが、どちらにせよ丸窓ですね。
太助
キング・ジョージ5世型戦艦は全姉妹艦5隻皆同じ仕様で、特に「フリードリッヒ・デア・グロッセ」のような「本国艦隊旗艦用」など位置づけられた艦があったわけではないようですね。
「キング・ジョージ5世」のみ艦尾舷窓が四角窓だった理由も紹介して頂き、有り難うございます。
Ranchan
1355 |
「艦隊型駆逐艦」という単語について質問です。 護衛駆逐艦または初期の航洋性が低い小型の駆逐艦などへの対比して、この言葉が用いられることが多いと承知していますが、この呼び方は戦後に広がったものでしょうか?それとも戦前戦中においても公式または非公式にこのような呼び方をすることはあったのでしょうか? あるこん |
帝国海軍は排水量で一等二等三等と分けてましたけど大正末期以降は一等しか造らなくなりました
帝国海軍でWW2期の護衛駆逐艦に相当するのは海防艦で一部は旧式駆逐艦が任務に充てられてたと承知してます
> 初期の航洋性が低い小型の駆逐艦
「水雷艇」ですかね
駄レス国務長官
護衛駆逐艦や海防艦などの来歴については私も概略程度であれば、理解しているつもりではありますが、質問の趣旨としては、「艦隊型駆逐艦」なる語句が用いられるようになったのはいつのことか?というものになります。
>「水雷艇」ですかね
ドイツのT22型水雷艇が「Flottentorpedoboot (艦隊水雷艇)」と分類されていたらしいので、このあたりから引用されたのではないか?というのは可能性の一つとして予想しています。
あるこん
帝国海軍でWW2期の護衛駆逐艦に相当するのは海防艦で
↓
帝国海軍でWW2期の護衛駆逐艦に相当するのは丁型(松型)で
>2.
> 「艦隊型駆逐艦」なる語句が用いられるようになったのはいつのことか?
正確な時期は判りかねますがWW2後に世界の艦艇研究界隈で使い始められたんじゃないかと
> ドイツのT22型水雷艇が「Flottentorpedoboot (艦隊水雷艇)」と分類されていたらしいので、
それらは1934年計画のZerstoerer(駆逐艦)より後の計画で排水量も6割程度の小型ですからお尋ねのものとはカテゴリーが違うんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
↓
> 帝国海軍でWW2期の護衛駆逐艦に相当するのは丁型(松型)で
(旧式艦艇の転用ではない方の)海防艦は、当初北方海域における漁業権益の保護を目的に整備されたものが後に船団護衛に用いられるようになったのに対し、丁型(松型)は、従来の二等駆逐艦に近い位置づけという認識ですので、個人的にはむしろ訂正前の例えの方が適切ではないか?と考えています。
事実、通商護衛を主任務とする第一、第二海上護衛隊には、海防艦は配備されたものの丁型駆逐艦は配備されていませんし……。
>正確な時期は判りかねますがWW2後に世界の艦艇研究界隈で使い始められたんじゃないかと
私としても、その説は有力ではないか想像してはいるのですが、何か確証に足る情報はないかと思い、こちらで質問させていただきました。
>それらは1934年計画のZerstoerer(駆逐艦)より後の計画で排水量も6割程度の小型ですからお尋ねのものとはカテゴリーが違うんじゃないでしょうか
直接的にFlottentorpedobootが艦隊型駆逐艦の語源になったというよりも、従来より大型高性能の水雷艇を艦隊水雷艇と呼んだことから“転じて”、初期の駆逐艦や護衛駆逐艦よりも大型高性能な駆逐艦を艦隊型駆逐艦と呼ぶケースが出たのではないか?という意図の発言でした。
あるこん
> 丁型(松型)は、従来の二等駆逐艦に近い位置づけという認識ですので
二等(中型)駆逐艦は大正期に昼戦部隊(本隊)用の一等(大型)駆逐艦に対して前進(夜襲)部隊用として計画されたモノでカテゴリー的にはいずれも「艦隊型〜」に属します
対して丁型(松型)はガ島方面の補給輸送作戦に対応して1943.2に改D計画の追加として42隻が要求されたモノでスペック的にも対艦戦闘よか対空・対潜戦闘に適しており世界的に見ても「護衛〜」の範疇に入ります(英独の戦後の研究家も護衛〜に分類)
何によらず建造目的と実際の用法に乖離を生ずるのはよくあるコトで評価判定には留意すべき点でしょう
>1.の繰り返しになりますが「護衛〜」の登場後に在来(普通)の駆逐艦を分類上の便宜より「艦隊型〜」と称するようになったってコトじゃないでしょうか
駄レス国務長官
1354 |
旧日本海軍の海防艦について質問です。 海防艦は御蔵型以降は砲に高角砲を採用していますが、これは砲側照準のみで対空戦闘を行い高射制御装置は搭載されていなかったのでしょうか? 松型駆逐艦は4式高射制御装置が搭載されていますが、色々な資料を見てみても海防艦に4式高射制御装置が搭載されている記述が見当たりませんでした。 高射制御装置なしでは高角砲で対空戦闘ができないのではと思うのですが 搭載されていないのならなぜ搭載しなかったのでしょうか? おでんくん |
●第二二五号海防艦
・四式射撃装置(一組)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08010928800
丁型
●第百九四号海防艦
・四式射撃装置(一組)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08010928300
太助
こんな資料が公開されていたとは
回答ありがとうございます
おでんくん
1353 |
英戦艦「キング・ジョージ5世」(2代)は艦尾両舷に各6個の四角い舷窓を持っており、そこの艦内には司令官公室などが設けられていました。 これは「キング・ジョージ5世」のみの特徴であり、他の4隻の姉妹艦は全艦普通の丸い舷窓でした。 米戦艦「サウス・ダコタ」(BB−57)や独戦艦「フリードリッヒ・デア・グロッセ」のように、「キング・ジョージ5世」は何か他の姉妹艦にはない特殊な設備か役割があったのでしょうか? 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
誰か答えて下さい。
1352 |
「大和級戦艦は、副砲砲塔のうち二基を中心軸上に配置したため、ヴァイタルパートが不必要に長くなってしまった。サウスダコタ級は努力をして短くしている。」という論評があります(「世界の艦船」1999年2月号、中川務)。この考えに基づけば、副砲砲塔を2基ずつ左右両舷に配置したほうが良かったと言うことになるでしょうか。武蔵、大和の最後を我々は知っていますので、ヴァイタルパートの長短は結果的には関係はなかったのですが、設計段階ではどちらが良かったか皆様のお考えを知りたいです。 電気戦艦 |
良し悪しと言うより戦術的な要求が大きいのでは。
元自
副砲塔下部の左右には発電機室とか水圧機室とか色々有りますから単に副砲塔を無くせばヴァイタルパートが縮まるとゆうコトはありません
駄レス国務長官
質問者の方は「設計段階」と明記してますので副砲両舷2基配置なら現実の大和型とは別の艦になる、という前提ではないでしょうか?
元自
副砲両舷2基配置なら
1.片舷副砲火力が2/3
2.個々の副砲塔の射界が狭まる(120度位?)…史実首尾線副砲塔は240度位
3.主砲塔を前後一杯に回したときに副砲塔が旋回角を制限する、また主砲爆風の影響度が大(砲口附近に副砲塔が存在)
・・・なので副砲塔の配置は史実の菱型がベストだと思いますけど
駄レス国務長官
大和型戦艦の他に「艦の中心線上に副砲塔を配置した戦艦」と言うと、仏戦艦ダンケルク型・リシュリュー型くらいしか思いつきません。
伊戦艦ヴィットリオ・ヴェネト型は大和型戦艦同様の主砲配置ですが副砲塔は「両舷2基」配置です。
大和型戦艦は条約による排水量制限などなかったので理想的な副砲配置が出来たが、他国戦艦は排水量制限に収める努力の一環として艦の全長増大を避けて敢えて次善の副砲配置とした・・・となるのでしょうか?
Ranchan
大和型は船体幅が広く機関区画長が他国戦艦に比べて短いってのが効いてると思います
・・・
そもそも大和型のヴァイタルパートが長いって見方がおかしくてむしろ短か過ぎてアップデート余裕が無くまたヴァイタルパート内を固め過ぎて前後の非装甲部分が相対的に弱くなったことこそ批判さるべきじゃないでしょうか
あと舷側方向はともかくヴァイタル前後方向の傾斜装甲は考え過ぎで船体構造の連続性を阻害してるのも脆弱性の一因と思われ
駄レス国務長官
なお、蛇足ながら戦艦に対する駆逐艦等の雷撃は、回避を困難にするため極力前方、あるいは斜め前方から行うように為されます。これに対処るるためにも菱形配置は有利と思われます。
読書人
レス有り難うございます。
「大和型戦艦はあれだけの性能なのにコンパクトに出来ている。欧米艦なら1〜2万トン肥大していただろう」とよく「小ささ」を賞賛されますが、軽巡洋艦「夕張」のように「実用性を無視し、無理してコンパクトにしている」ものなのでしょうか・・・。
ただ一つ6.を拝読致しまして
>ヴァイタルパート内を固め過ぎて前後の非装甲部分が相対的に弱くなったことこそ批判さるべき
と仰られていますが、オールオアナッシング式の設計なら致し方ないのでは・・・と愚考いたしました。
Ranchan
> 無理してコンパクトにしている」ものなのでしょうか
そーゆうワケじゃありません
> オールオアナッシング式の設計なら致し方ないのでは
艦の大きさの割に防水区画が少ないとゆうイミです
駄レス国務長官
電気戦艦
> 大和級も副砲なしで、駆逐艦と同じ5インチ砲で良かったと言えないでしょうか。
大和型計画時は前進部隊に配置して敵の偵察部隊を蹴散らす構想でしたから5インチ砲では不足じゃないでしょうか
> 第3次ソロモン海戦では我が比叡は米駆逐艦からの近距離砲撃で大きな損害を受けています。
当該米艦隊は重巡3軽巡2が基幹ですから副砲は有効だったはずでまずは近接を許さないことが必要でした
> いまだから言えるのかもしれないですが、
何でもそうですが後知恵でなく当時の知見をベースに評価を下すべきじゃないでしょうか
駄レス国務長官
ただ重量やスペースの問題が大きく15.5センチ砲で我慢していたのでは。
・・・まあデ・モイン型みたいなバケモノ重巡までいってしまったら、もう主砲の出番のような気もしますが。
Ranchan
突き詰めると、私の、アメリカ海軍の127mm両用砲に対する羨望の感情があるのだとわかりました。大和の舷側にあった副砲を、後になって高角砲に置き変えたりしているので、なんだか無駄をしているなと思うわけです。
電気戦艦
「両用砲」というのは対艦では小口径なので一発の威力が弱く、かといって大口径にすると重量増加により対空に必要な動作速度が阻害される・・・という中途半端なものなのではないでしょうか。
Ranchan
国も年代も違い過ぎて参考にもならないけれど。
元自
1351 |
軽巡五十鈴は大戦中の改装で高射砲や電探、聴音機を多く搭載しましたがこれらはいずれも多くの電力を消費すると思わます。これらの装備を搭載して発電能力は足りたのでしょうか?建造時に想定された消費量を大きく上回ると思うのですが…… 電力不足に苦しんだという話は特に聞かないので建造時にかなり余裕をもって発電能力を確保していたのでしょうか。それとも撤去した砲塔の基部に発電設備を増設したりしたのでしょうか 豆戦車マン |
一般論として重量および占有容積より四半世紀後の兵装増強分を見込むというのはチト考えられません
追加装備品の消費電力も不詳ですけど八九式12.7cm連装高角砲の主電動機はDC220V10HPなので発電機を更新する必要がありますね
駄レス国務長官
艦内の発電機を高出力なものに換装とかとなると改装に時間がかかりそうですし弾薬庫などの砲塔基部に追加とかにしたのでしょうか(できるか分かりませんが)
ですが横須賀への回航から第三十一戦隊の旗艦になるまでに8ヵ月経ってますし時間をかけて改装したのでしょうか。しっかりした資料であれば改装期間も分かるのでしょうが今資料がなくてそのあたりは分からないですが。
豆戦車マン
弾薬庫と補機室では要求機能が全く異なりますので単にスペースが空いたからといって直ちに転用できるとは限りません
資料に当るのであればまず「横須賀海軍工廠史第八巻」「同外史」などは如何でしょうか
駄レス国務長官
豆戦車マン