ちょっと気になると夜も眠れない。 艦船関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
1375 |
軍艦の進水式について質問させて下さい。 進水式が行われるより前に艤装員長、艤装員等が発令されてる場合、これ等の方々は進水式に参列されるのでしょうか? また、参列する場合、式の時や奉迎、奉送の時はどこに立たれるのでしょうか?(アジ歴等で図等を見ましたがいまいちよくわかりませんでした) 2199! |
実際、 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08020923100 の文書を見ると「浜風午前十時無事進水せり」と、浜風艤装員長(竹内正少佐)名で飽の浦電信局から10時20分に発信されています。
そこから考えると、艤装員長は進水が見られる位置にいたわけですが、民間造船所が発注者である海軍の軍人を式典に招待しないわけがありません。したがって、艤装員長は式場の貴賓席にいて、伝令を電信局に送ったのだろうと思います。
海上自衛隊は進水前に艤装員を発令していますが、やはり貴賓席に並ぶのではないでしょうか。
hush
アジ歴で調べた範囲では招かれた方々もある程度立ち位置が決まっていた様ですが(招待券の種類や身分等で分かれている感じでした)、艤装員等がどこに分類されるのかいまいちよくわかりませんでした。
この点について何かご存じでしょうか?
2199!
艤装員がいるとしても、それほどの数ではないと思いますが、将校ですので、皇族がいる場合はそうなるのではと思っています。
hush
2199!
2199!
長門の時を見る限り、同じ桟橋を使ってるので名前を変えて書いてるだけで同じ桟橋なんでしょうか?
長門の場合では立ち位置はニですかね?
2199!
あとはお任せします。
hush
1374 |
船舶での弾薬運搬について質問します。 火薬/爆薬、弾薬などは高温になると自然発火による事故が起こりやすくなるため、近代以降の艦船の弾薬庫には冷却システムが組み込まれています。 現在の海上コンテナの中には冷却システムがついてるものもあったりしますし、弾薬運搬を想定した輸送船には船倉の冷却システムが装備されてもいるでしょうけど、WW2の頃に各国に出回ったような戦時標準船や一般的な民間商船などで弾薬等を輸送する場合はどのようにしていたのでしょうか? おうる |
https://en.wikipedia.org/wiki/Ammunition_ship
超音速
米海軍の弾薬輸送船マウントフッド(USS Mount Hood AE-11)は1944年11月10日、アドミラリティ諸島で入港中に大爆発を起こしました。
船体は粉砕され、乗員350名は「消滅」、横付け中だった他船の乗員82名死亡、周囲の舟艇や港湾要員371名負傷という大惨事でした。
同じく弾薬輸送船サーペンス(USS Serpens AK-97)は1945年1月29日、ルンガ・ビーチで停泊中に大爆発。
乗員は2名を残し196名、港湾要員59名が死亡しました。
戦時中これらの事故は士気を考慮し隠蔽されたそうです。
日本海軍の陸奥の事故がよく話題になりますが、当時の弾薬庫には事故がつきものということですね。
超音速
>2
もっと大きな事故として https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%A4%A7%E7%88%86%E7%99%BA が挙げられます。
あと英文ですが https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/b/beans-bullets-black-oil.html は興味深いのですが、長すぎてちゃんと読んでいません。
ただ、アメリカは専用船を建造してそれなりの対策を講じているようです。
日本の貨物船などは搭載しただけかもしれませんが、よく分かりませんでした。
hush
Q:第二次世界大戦の弾薬輸送船にはエアコンがありましたか?
A:一般的には、いいえ。第二次世界大戦時代のほとんどの弾薬船には、今日私たちが知っているような近代的な空調 (A/C)システムはありませんでした。
しかし:
・特に弾薬庫(弾薬保管場所)の内部を涼しく通気性のある状態に保つために換気システムが設置されました。
・これらのシステムでは通常、強制空気換気が使用され、外気を貨物室に循環させて危険な熱の蓄積を防止します。
・熱帯気候では温度管理が重要であったため、船舶では弾薬室の温度上昇を最小限に抑えるために冷却水の循環や断熱隔壁を使用することがありました。
*エアコンの代わりに使用される冷却方法
1.強制換気
大型送風機がダクトを通じて弾薬庫に空気を送り込み、温度を下げました。
2.自然換気
カウル、通気口、風取り入れ口を使用して、より冷たい外気を取り入れます。
3.冷蔵ユニット(選択的)
一部の船舶、特に温度に敏感な爆発物(海軍の魚雷や化学兵器など)を積載する船舶には冷蔵室がありましたが、これはまれで特殊なものでした。
4.水噴霧冷却(緊急時使用)
非常に高温の状況では、デッキや船体に海水を噴霧して、区画を間接的に冷却することがありました。
**エアコンが普及しなかった理由
電力制約: 第二次世界大戦時代の船舶では電力が限られており、推進力、無線、武器システムに優先的に使用されていました。
技術: 初期のエアコンはかさばり、高価で、軍の物流船では広く利用できませんでした。
乗組員の快適性は優先事項ではなかった: 状況は質素で、冷却は乗組員ではなく貨物の保護に重点が置かれていた。
超音速
>2
マウントフッドの事故はたしか爆発の瞬間の映像が残ってるやつですよね。
原爆実験の映像と勘違いする人がたまにいる大規模爆発の映像で印象に残っています。
改造専門船以外は実質的にほぼ何もしてなかったんですかね?
ありがとうございました。
おうる
1373 |
初歩的な質問かも知れませんが。 帆船で帆の角度を変える時、ヤードだけを回して変えるのでしょうか? それともマスト丸ごと回して変えるのでしょうか? 安井 賢一 |
hush
流石にマストは回せませんか。
安井 賢一
和船も http://todo23.g1.xrea.com/diy/diy032.html の図にあるように帆柱は固定されており、うち廻しと呼ばれる回転部で帆桁を回しています。
hush
ヤードとマストの接続部の構造が良く分かりますね。
安井 賢一
1372 |
ヨークタウン(CV-5)型米空母についてお伺いします。 艦橋構造物に三脚檣がありますが、なぜ必要なのでしょう? レキシントン(CV-2)型や英空母「ハーミズ」「イーグル」なら水上戦用の火砲を持っていますので分かるのですが、ヨークタウン型には水上戦用の火砲はありません。 また高所に重量物を装備することになりますし、利点を感じないのですが。 宜しくお願い致します。 Ranchan |
特にWW2中期以降、対空捜索レーダー(例:SC, SK型)が檣の頂部に設置されており、早期警戒のためにはできるだけ高所が望まれました。
三脚檣は構造的に剛性が高く、当時の技術で重量のあるレーダー機器や見張所を安全に支えるのに適していたのです。
エセックス級ではより軽量なラティスマストに移行しましたが、やはり最も高い位置に対空捜索レーダーを配置する設計思想は共通しています。
とChatGPTは申しております。
より高い場所に見張所やレーダを設置するためにマストが入用だったんですね。
太助
もちろん、将来の配備や見張り所を想定してという可能性は大きいと思っています。
hush
しかし「ヨークタウン」(CV-5)の設計完了・承認は1934年、就役は1937年で、米海軍最初のレーダーCXAMは1940年より実艦搭載です。
レーダー搭載を考慮していたと言うには、ちょっと間が開きすぎではないでしょうか。
>2
>アメリカの大型艦にレーダーが配備されたのが、ヨークタウンの就役前
揚げ足を取るようで恐縮ですが、「ヨークタウンの就役後」ではないでしょうか?
Ranchan
最近、とみに老人力が増したようです。
失礼しました。
hush
その問いかけはhushさんに対するものですか?それとも小生ですか?
(読解力不足ですみません。)
太助
太助様です。
当方はhush様の>2は書き間違いで
>ChatGPTはアメリカの大型艦にレーダーが配備されたのが、ヨークタウンの就役後だということを失念しているようです。
>もちろん、将来の配備や見張り所を想定してという可能性は大きいと思っています。
が正しく、hush様ご本人は当方の>3前半部に同意して頂けると思っております。
Ranchan
Ranchanさんも>>1を「レーダー搭載を考慮して三脚檣は設計された」と読まれましたか。意外でしたが2人が2人そのように理解されたのならば小生の日本語がいまいちだったのでしょう。
CV-5建造当初の三脚檣は、見張り、通信・信号用途でしょう。
建造時からレーダの設置を想定していたかというと何ともいえない、というのが正直なところです。なので>>1で「レーダー搭載を考慮していた」と書いたつもりはなく「見張所やレーダを搭載するにはマストが必要」と記述しました。
「高所に重量物を装備することになり利点を感じない」との意が質問文にありますので、それに対して「建造当初は見張所などにマストが必要で、加えてレーダ配備後はレーダ設置のためにもマストが必要になる」とコメントしたかったのが>>1になります。
(日本語不自由ですみません。)
(360度くるくるまわるレーダを高所に置かず、例えば飛行甲板に置いてみると、艦橋構造物や艦載機が影になりレーダが意味をなさないのではないかと。じゃあ何処が一番好ましいかというと、マストの上だと思うんですよね。)
(確かCXAM radarはシステム全体で2300kg、アンテナ部は500kgしかありません。)
太助
将来の配備というのは、対空射撃の管制システムを念頭にしたものだったのですが、レーダーの可能性がないわけでもないのです。
というのは、戦艦(BB34)にXAFレーダーが装備されたのが1938年だからです。
https://www.ibiblio.org/hyperwar/OnlineLibrary/photos/weap-sen/radar/us/xaf.htm
もちろん、実験用ですが、このタイム・スケジュールですと、将来配備の可能性を考えてもいいように思うのです。
hush
これには同意ですが、証拠もないので、>>7では「何ともいえない」という表現にしております。
まあ「何ともいえない」≒「何とでもいえる」と読みかえて、思いの丈を以下言語化すると、
「レーダ搭載を考慮していた可能性あり」の判断材料としては、>>8で言及されたXAFの件(試作型は1937年に完成済)や、1936年頃には少なくとも米国陸軍ではレーダが防衛秘密になっていたらしき記憶があります(小生の記憶でして、radarという用語が使われていたか?や、防衛秘密が英語で何だったかは忘れました)。
駆逐艦程度なら仕方ないにしても、米国主力艦が3年5年先の拡張性もなくてどうするという感想もよくわかります。
もちろん「レーダ搭載を考慮していていなかった」ことも考えられます。XAF(量産型がCXAM)は>>8で言及されたように戦艦(BB34)に搭載されましたが、1914年就役のBB34が「レーダ搭載を考慮していなかった」ことは流石に明白といってもよいですから。つまり、CXAMは「レーダ搭載を考慮していなかった」大型船にも積めるように出来ています。
備考)1922年にレーダの概念らしき話がでましたが、これはBB34の就役よりもずっと後の話です。CXAMを搭載したBB44にしても、この話の影響は受けていないはず。
https://ja.wikipedia.org/wiki/グリエルモ・マルコーニ
1922年6月20日、渡米したマルコーニがニューヨーク[71]で開かれたアメリカ電気学会(AIEE)と無線学会(IRE)が共催する講演会において、
---省略---
レーダーの原理にも言及した。
という訳で、CV-5が将来のレーダ搭載を考慮していたかは「何ともいえない」と依然として思っております。
また「高所に重量物を装備することになり利点を感じない」との意が質問文にありますが、これはちょっと違うなとの考えも依然として変わりません。(三脚檣やCXAMレーダを装備したからといって、戦艦や航空母艦がトップヘビーで横転する心配でもされているのでしょうかね?)
太助
同意します。
あと、ヨークタウンは平甲板型で計画されていたが、英国のフューリアスの排煙問題を見てアイランド型に変更していますので、当初計画の見直しの中で三脚檣が出てきたというのはいえると思っています。
BB34はニュー・ヨークです。書き洩らしていたので追記しておきます。
hush
当該空母設計時はグラマンFF、マーティンBM-2が現役です、開発中のカーチスSBC、建造開始直後に開発発注されたダグラスTBDを考慮しても
設計時の搭載機の戦闘行動半径や巡航速度では、攻撃隊収容後に敵水上艦艇の追撃に捕捉される可能性はそれなりにあると考えていてもおかしくないと思われます。
ならば自艦の砲戦能力や将来の対空レーダー設置の有無をおいても、敵水上艦艇への警戒に高所の見張所は必要と考えても不思議ではないと思います。
根性の無い履帯
1371 |
過去の質問で、リシュリュー級(後でリヨン級だったと訂正されましたが)に垂直二連式の四連装砲塔の試案があったという文献があるそうなのですが、具体的にはどのような文献なのかご存じの方はいませんでしょうか?また、どのように給弾するのかも知りたいです。というか、こちらが本題です。 大和型の46p三連装砲のメカニズムに関する動画を見ていると、あのような大掛かりな固定角装填装置を上下に並べるのはどう考えても無理に思えますし、イギリスの15インチ砲のような自由角装填装置なら、砲弾と弾薬を2セット同時に運べるかと思いましたが、15インチ砲の装填に関する動画を見ていると、固定角装填装置よりかはいけそうな気がしなくもないですが、ただでさえ自由角が固定角より装填時間と防炎対策が劣っているのに、さらに装填に手間がかかるようになり防火対策も更に不利になってしまうように思います。 ナマケモノ |
誰か答えて下さい。
1370 |
wowsをプレイしていた時に駆逐艦若竹の艦尾に搭載されている単装砲が何か分からず質問させていた次第です。 この時代の艦船によく搭載されていた7.62p単装砲かその高角砲版かと考えたのですが形が全く異なっており、 自分なりに調べていたのですが分かりませんでした。 あくまでもゲームなのでこんな砲は存在していない可能性もありますが協力していただけると嬉しいです。 --下記に画像のリンク-- https://i.imgur.com/o1b3Si7.png https://i.imgur.com/kxDbWQw.png クロロ |
-----
・九三式投射機⇒若竹には搭載せず。
・他の投射機⇒形状が違うと思う。
・何かの砲⇒可能性はあるが資料がない。
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ゲーム中で爆雷を投射した結果、なにか変化があれば投射機だということになりますが、にしても型式違いでしょう。それかゲームオリジナルか。
太助
太助
駄レス国務長官
wiki内では81式かも知れないというコメントも有りましたが似ても似つかぬ型だったため装填演習砲と考えるのが無難ですね。
まさか艦に載っていない砲の装填演習砲を載せているとは思えないので、ゲーム内の3式12センチ砲と見比べてみようと思ます。
»3艦後端に缶室があるわけが無いのであの本数は確かにあり得ないと思ます。
あるとすれば船室1部屋ずつに給気目的で配管を通していたとかでしょうか?駆逐艦に居住性もへったくれも無いとは思いますが…
クロロ
クロロ
公式図では、ここには装填演習砲が置かれています。
三年式十二糎砲G型装填演習砲の公式図もありますが、形状はあまり似ていません。
もっと簡易な造りとなっています。
通風筒は兵員室用のもので、当然戦闘時には使用しません。
兵員室は艦首にもあり、こちらにも通風筒が使用できます。
この形状の通風筒は性能改善工事前の特型まであり、それ以降はきのこ型になっているようです。
老猿
詳細な解説有難う御座います。
あの通風筒は兵員室用のものだったのですね。
因みに公式図が何に掲載されていたのかお教えくださいませんでしょうか?
クロロ
その他第一号哨戒艇の十二糎砲装填演習砲装備図があり、こちらに十二糎砲装填演習砲の二面図があります。
一般販売物では「海軍艦艇公式図面集」(今日の話題社)に芙蓉が「栄光の日本海軍パーフェクトファイル」(ディアゴスティーニ社)に呉竹が掲載されています。
ただし、前者はかなり白飛びしていますし、後者は小さめで文字の読み取りは難しいと思います。
ついでに追加情報として、若竹型は艦尾に掃海具装備の前期型と機雷投下軌条装備の後期型があり、装填演習砲の位置も違っています。
若竹は掃海具装備ですので、モデリングされた後期型とは違っています。
また前方に機銃のようなものがモデリングされていますが、これは本来は縦舵機調整所です。
老猿
>>若竹型は艦尾に掃海具装備の前期型と機雷投下軌条装備の後期型があり
老猿さん、お世話になります。
「掃海型」と「敷設型」にはそれぞれどの艦が含まれているのかご教示頂けませんか?
(不明な艦は不明と示して頂くと助かります。)
以下雑感ですが、二等駆逐艦前級「樅型」は「敷設型」が多いのかなあとの感想(根拠薄弱)や、時期は若干ずれますが「睦月型」Wikipediaに
https://ja.wikipedia.org/wiki/睦月型駆逐艦
---引用---
睦月から長月までの8隻は一号機雷投下軌道2条を設置、機雷は16個搭載とされた[4][22]。 菊月以降の4隻は機雷投下軌道に代わり大型ウィンチ、パラベーンなど掃海装備1式を備えた[22]。
---終わり---
などの記述があります。この感じでいくと若竹型も「敷設型」が多いのかなという予想をしますが、
若竹型においては「前期型=掃海型」と「後期型=敷設型」が実際どのような配分なのか?や、
「前期型」と「後期型」は旧設計・改設計の関係なのか?それともオプションが違うという対等な関係なのか?
などの疑問点があります。
分かる範囲で結構ですので、よろしくお願いします。
太助
ただ、起工及び竣工は艦名どおりではなくかなり前後しており、装備違いが並行して建造されているようです。
前期・後期という区分は妥当では無いようです。すみません。
艦名がこのような順番になったのは、同じ装備で駆逐隊を編成したかったのかもしれません。
8隻揃ったときは、掃海型が第13駆逐隊、敷設型が第16駆逐隊でした。
老猿
ありがとうございます。
図書館で、ご紹介にあったデアゴスティーニ 栄光の日本海軍パーフェクトファイル 43号(二等駆逐艦・・若竹型)9頁の呉竹の公式図面(図面提供:大和ミュージアム)を見てきました。
確かに船外側面及び上面図には投下軌条はないですね。
一方で、米国から返還された図面が電子化されて公開されています。
Captured Japanese Ships‘ Plans and Design Data,1932-1945 R08
付属の各艦船艤装図より
266コマ:F37C 若竹型(若竹、呉竹、早苗、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱)一般艤装大体(昭和12年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/14054474/1/266
---兵装---
主砲
機銃
発射管
探照灯
※大掃海具三号・・・・・1組(若竹、呉竹、早苗)
※大掃海具二号二型・・・1組(朝顔、芙蓉、刈萱)
------
※投下軌条らしきものがあります。
これは新造時の掃海タイプには投下軌条はなかったが、昭和12年までに投下軌条を装備したということでしょうか?それとも一般艤装大体図なんで、だいたいな図面(適当な図面)なんでしょうか?機雷用か爆雷用かよくわかりませんが、悩みが尽きません。
という感じで、
>>8では「若竹は掃海具装備ですので、モデリングされた後期型とは違っています。」とされましたが、モデリング元は米国接収図面(昭和12年版)の可能性もありかと思いました。
備考)アジア歴史資料センターのデータでも昭和一桁台に第16駆逐隊も掃海具関連のファイルがちらほらあります。
p.s. 若竹型が計画通りにあと4,5隻作られていたら、これらは掃海型/敷設型のどちらだったんでしょうね。
太助
1369 |
太平洋戦争中のアメリカ海軍のカタパルトに関する質問です。サウスダコタ級戦艦、ノースカロライナ級戦艦、そして巡洋艦のカタパルトは油圧式だったのでしょうか。検索していたら、AIが「戦艦サウスダコタに搭載されていたカタパルトは、油圧式ではなく、蒸気式でした」と回答してくれたのですが、その説明を補強するような記述を他に見つけることができませんでした。ちなみにAIは「アイオワ級は油圧式カタパルト」と説明していました。 駆逐艦ユキカベ |
https://wwiiafterwwii.wordpress.com/2017/05/07/twilight-of-catapult-aviation-after-wwii-pt-1
---以下抜粋---
US Navy catapults were designated by a letter denoting how they worked: A for compressed air, H for hydraulics, F for flywheel, and P for gunpowder.
The A (compressed air) type worked well, but the main issue was that the space-consuming flasks had to be recharged by a compressor after each launch. The P type was determined to be optimal for battleships.
・・・
In 1929, the Type P Mk6 was developed. It could accelerate a 3¼-ton mass from 0 to 61 kts in a 20-yard span. This was the supreme design. As funding permitted, the Type P Mk6 replaced older types on existing warships. From USS North Carolina (BB-55) onwards all new US Navy battleships were built with it from the start.
太助
アメリカの空母で多用されたのは油圧式でしたが、水上艦艇のほうは火薬式が多かったようです(圧縮空気も使われた)。これは5インチ砲弾のカートリッジを利用するもので、カタパルトの前端部で100q/hほどまで加速させることが出来たそうです。
hush
https://www.history.uscg.mil/browse-by-topic/aviation/significant-dates/
---以下抜粋---
January 1925
LCDR Stone’s MK V ”P” type turntable catapult design is approved as the standard for battleships and cruisers.
太助
重なったようですね。
https://battleshipnc.com/launching-the-kingfisher/ に「カタパルトには2種類ありました。1つは圧縮空気で駆動するもの、もう1つは火薬入りの5インチ砲弾で駆動するもので、5インチ砲弾の方が圧縮空気よりもはるかに滑らかでした(機械翻訳)」とあったので、2のように記載しました。
hush
>>1の「米国戦艦のカタパルトは全て火薬式」を
⇒「質問文にある米国戦艦(North Carolina, South Dakota, Iowa Class Battleship)のカタパルトは全て火薬式」
に訂正でよろしいでしょうか。
経緯を記しますと、
・1922年
Tennessee, Colorado, Nevada, New Mexico, and Pennsylvania class Battleshipに、Type A Mk1カタパルトを導入。Type Aですので圧縮空気式です。
・1925年
MK V ”P” type turntable catapult design is approved as the standard for battleships and cruisers. この時点でType P(火薬式)が標準となったようです。
・1929年
The Type P Mk6 was developed.
※資金が許す限り、Type P Mk6 は既存の軍艦の古いタイプを置き換えました。
※USS North Carolina(BB-55) 以降、すべての新しいアメリカ海軍戦艦は当初からこれを使用して建造されました。
ということで、
・いわゆる旧式戦艦は、資金が許す限り、圧縮空気式から火薬式に置き換えた。
・いわゆる新式戦艦は、当初から火薬式だった。
太助
フォロー多謝。
hush
とてもわかりやすい説明と周辺情報の提供に感謝いたします。
あと、AIはまだまだ信用に足らん、ということもよくわかりました。
駆逐艦ユキカベ
1368 |
伊400型潜水艦は潜水空母ではなく、潜水輸送艦としてなら活躍できたのではないでしょうか? 格納庫内の晴嵐3機を撤去して、その場所に糧秣&弾薬を積載するのです。 伊400型には、竣工時から水上機用折り畳みクレーンが設置されてあるので それを使って物資の搬出します。 晴嵐はもう無いので、艦首のカタパルトはいらないのですが 撤去するのにも時間がかかる上に、ドックは損傷艦の修理待ちで余裕がない。 下手したら戦争に間に合わないので、もうカタパルトはそのままにしておきます。 竣工時から、物資輸送&補給任務に専念すれば、離島への輸送任務や 友軍艦艇への物資補給という形で、活躍することができたのではないでしょうか? 天手力男 |
海軍は伊号第361、波101、伊351を
輸送専用潜水艦で既に建造しており
制海権が無い状況でもそれなりに任務成功させて運用してます。
イ400は戦略兵器扱いでしたので輸送任務で使い潰す位なら
史実通り敵停泊地強襲かパナマ運河吹き飛ばすほうが
まだ理にかなってると思います
ももんが
下手をすると三式潜航輸送艇の24トンより搭載量が少なくなるのでは……?
元自
1367 |
『Shattered Sword』で、日本海軍航空母艦の九九式急降下爆撃機には250kg爆弾が格納庫ではなく飛行甲板に搭載されていたと読んだのですが、本当でしょうか?何か参考になる資料があれば教えていただけますか? Jack Hwang |
もし、御質問が飛行甲板「で」爆弾が搭載されたかどうかという意味でしたら、多分そうでしょうぐらいとしか私には回答できませんので、識者に委ねたいと思います。
hush
老人
検索しますと、たしかにそのように伝えられているようです。
ただ、赤城も加賀も揚弾筒により格納庫ならびに飛行甲板に届くように改造されているようで、この点は1に示したShattered Swordの記述通りです。
そして、当時の日本空母は航空機の露天係止を行っていたはずでので、兵器搭載のたびに格納庫に納めるというのも不思議だと思ってます。
hush
Jack Hwang
緊急時に投棄できるように甲板での装着になったのではないでしょうか。
ももんが
(そこらへんはさすがに考慮し、被弾時の敵弾侵入を阻止するための工夫をしていると思うのですが。なんか大和型戦艦の副砲防御の話を聞いているような気が・・・)
Ranchan
何の戦訓でしょうか。
Shattered Swordは赤城、加賀とあるようにミッドウェー海戦の話です。
可能性があるのは珊瑚海だけですが、赤城、加賀が揚弾筒を改造したのは戦前です。
hush
前路哨戒任務(恐らく対潜対艦兼務)もあったようなので
その時期で既に露天が常態化してたようです
その兼ね合いかと思います(某B先生の解説に書いてあった)
ももんが
アメリカと違って、日本の空母格納庫はイギリスと同じく閉鎖式ですから。
hush
1366 |
いつもご教示頂きまして有り難うございます。 米戦艦「アイオワ」(BB-61)の完成間もない頃の写真を見ておりますと、上部構造物の側面にボンベ?のような細長いものが複数格納されていますが、これは何なのでしょうか? 写真でお伝えできればよかったのですが・・・。 宜しくお願い致します。 Ranchan |
お邪魔むし
hush
あります。
ttps://web.archive.org/web/20240206165209if_/http://navsource.org/archives/01/061/016177.jpg
この「アイオワ」の写真の上段の前部両用砲と中部両用砲の間の壁に写っています。
(前に5本、後に7本でまとまっています)
Ranchan
質問とはちょっと関係ありませんが、”navsource.org”は何かあったのでしょうか?
今までは”http://www.navsource.org/archives/home.html”で閲覧できたのですが、最近「ページ読み込みエラー:サーバーが見つかりませんでした」となってしまうもので・・・。
Ranchan
彼は何千というフォロワーを持っているので、何人かから返答が来ましたが、高圧ガスのボンベであるということで一致しました。
問題は何のかという点ですが、位置的に可燃性ガスであるアセチレンや酸素のはずはないので二酸化炭素ではないかとなりました。
ただ、当時の二酸化炭素のボンベはもっと短いし、赤く塗ってあります。
困っていると、窒素と言われた方があって、試しにUS NAVY Nitrogen gas cylinderで検索をかけると似た形状のものが出てきました。
また、https://www.reddit.com/r/WorldOfWarships/comments/1izw2fi/what_is_the_purpose_of_these_tanks_onnear_the/ に、デ・モインの同様なボンベが画像も見つかりました。
そして、「The counter-recoil system on our 5 inch 54 caliber mounts when I was in the Navy was nitrogen charged.Nitrogen to slow down the recoil and hydraulics to push the gun back into battery. We had racks of these bottles with nitrogen as a result.私が海軍にいた頃、5 インチ 54 口径砲の反動防止システムには窒素が充填されていました。反動を抑える窒素と、砲を砲座に戻す油圧装置。結果として、窒素入りのボトルがラックに積み上げられました」という記述もありました。
これではないかと思います。
もっとも、他にもリポストして下さる方がいるので、別の意見が出てくるかもしれません。
>4
どうも白人至上主義の大統領が日系人の部隊の活躍を掲載してあったHPを削除させたように、訳の分からんことをやっていますので、その余波ではないかと疑っています。
>1
欧米はWW2時にはベッドになっていますので、ハンモックを使うマントレットは燃える可能性もあって使用していません。
したがいまして、サン・ナザーレ強襲に使用されたイギリス駆逐艦キャンベルタウンの艦橋付近にある https://historiasconhistoria.blogia.com/upload/externo-ba9b241712ac483c89227f251d6310c2.jpg マットレスらしいものを用いたものぐらいしかないと思います。
hush
ご回答有り難うございます。ほぼ窒素ボンベで確定ですか。
他艦の写真ではほとんど見られなかったし解説も見つけられなかったので不思議だったのです。
しかし、”navsource.org”が閲覧できないのが某大統領の影響かもしれないとは・・・。全然考えもしませんでした。
何が問題となったのやら・・・。
(給油艦「ハーベイ・ミルク」の艦名変更問題が原因か・・・?)
Ranchan
船上で使用されていた大型ガスボンベには、以下のものが含まれていた可能性があります。
溶接用アセチレン
溶接用酸素
観測気球用ヘリウム
固定火災消火用のCO2
船上で使用されていた小型のシリンダーは次のものであった可能性があります。
医療用酸素
医療用または歯科用の麻酔ガス
窒素とハロンの大きなボンベは 1980 年代には使用されていたと思いますが、それ以前には使用されていませんでした。
可燃性ガスは屋外に保管されました。その他のガスは船内に保管できました。
1940 年代のガス貯蔵の配置の詳細についてはわかりません。
屋外だから、逆に可燃性のボンベが置かれていたということで、私の推測は思いっきり外れていたことになります。
hush
「アイオワ」側に直々にお問い合わせ頂いた上のご回答まで頂きまして有り難うございます。
可燃性だからこそ屋外で保存・・・でもそれこそ危険な気もするのですが。
艦内での延焼・爆発時の危険を取るか、被弾・誘爆のし易さを取るか・・・難しいのかもしれません。
あと申し送れましたが、ご協力頂きました「オーストラリアの知人」様やそのフォロワーの方々も有り難うございました。宜しくお伝え下さいませ。
Ranchan
https://www.navsource.orgはhttps://www.navsource.netに変わっていました。
hush
1365 |
架空艦のことで思い出したことがあるのですが、昔にWarBirdsか、その分館に15.5cm四連装砲三基を24p連装砲に換装する条約型巡洋艦の架空艦があったと思うのですが、見つけることができません。どなたかご存じではないでしょうか? ナマケモノ |
みいつ
間違えました、こちらです
みいつ
ナマケモノ
三脚しょうは無いほうが好かったんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
Ranchan
1364 |
ワシントン軍縮条約で廃案になった扶桑型の41p砲換装案ですが、ワシントン会議中に新型戦艦の保有数に制限がかけられたが、既存戦艦の改造には制限がかけられていなかった頃の案だとは思うのですが、これは誰がどこまで本気にしていた案なのでしょうか? 少なくとも設計主任の平賀譲は本気だったのでしょうが、上部構造丸ごとと、外殻のほとんどと、装甲と弾薬庫と機関部を総取り換えしなければ実現不可能な案に思えるのですが、これはいったい元の扶桑のどの部分が残るというのでしょうか? こんな案がまかり通れば、割り当てられた合計排水量が許す限り実質新型41p砲搭載艦が作れてしまうから、ワシントン軍縮条約で戦艦の主砲換装や舷側装甲の増加などが禁じられたのではないのでしょうか? ナマケモノ |
なお当該案の前提条件として「米国ニテ十四吋ヲ十六吋ニ変更スル事アレバ」とありますので対抗案を用意しておくコトは計画主任の職責じゃないでしょうか
駄レス国務長官
思い出してみれば、コロラド級戦艦はテネシー級の主砲を14インチ三連装砲から16インチ連装砲に換装したようなものですから、既存戦艦の16インチ砲への換装は、むしろアメリカのほうがやりやすかったのでしょう。ですから、それに対抗するために日本側でも既存戦艦の16インチ砲換装案を考えておくのは当然のことになると思いました。
ナマケモノ
金剛型から長門型の「大改装」って、まさにこれだったのでは・・・という気が。
Ranchan
1363 |
41cm四連装砲についての質問なのですが、战舰少女Rの中国語版のwikiの41cm四連装砲の資料の下の方にある、砲が田の字状に配置されている”single”の装填がどのようにして行われるのかが気になります。だれかご存じの方はいませんでしょうか? ついでに”triple”と”twin”にどのような違いがあるのかも気になります。 ナマケモノ |
ナマケモノ
あとtripleは三連装、twinは連装でしょう
駄レス国務長官
昔「架空艦の館」でありましたね。その主砲塔装備の架空のドイツ新型巡洋戦艦。
あの架空艦シリーズや架空艦コンペ面白くて好きだったので、もう一回是非拝見したいものです。
Ranchan
× 大口径の四連装砲で
〇 大口径の田の字配置の四連装砲で
駄レス国務長官
ナマケモノ
米戦艦キアサージ型(BB-5、BB-6)、ヴァージニア型(BB-13〜BB-17)がありました。
もっとも、下段が主砲で上段が副砲なので「四連装砲塔」とは言えませんが。
Ranchan
連装並列だと左砲二門・右砲二門の交互斉射となり発砲時に砲塔に回転モーメントが生ずるのに対して単装・連装・単装の並びだと外砲二門・内砲二門の交互斉射となり回転モーメントが生じないからじゃないでしょうか
駄レス国務長官
あと、キアサージ級の砲塔の図面を見た限り、”single”の装填は2回に分けて行う方が賢明に思えてきますね…。しかし、2回に分ける方式だと急いで打ちたいときに4門すべてに装填するのを待てずに、砲塔に4門あるのに2門だけに装填して打ってしまうみたいな、テゲトフ級戦艦の中砲みたいになってしまわないのでしょうか?
そもそもこの41cm四連装砲が計画されていた時期は交互斉射が日本海軍の基本だった時代だと思うのですが、この”single”はどのような打ち方をする予定で計画されていたのでしょうか?
ナマケモノ
(図面はtwin砲架のモノが現存)
あと四門同時発射については実戦で有り得るケースとしつつも砲塔構造などについてなお研究を要すのようなコトを仰ってますのでお尋ねの田の字配置についてはアイデアのみで具体的な構造や用法までは考えられてなかったんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
架空期の館 第16回競争試作:艦船 ドイツ海軍・巡洋戦艦
人気第一位 「フォン・デア・タン ハァハァ(;´Д`)級」(VON DER TANN haha (;´Д`)CLASS )
https://web.archive.org/web/20090804074550/http://www.warbirds.jp/kakuki/kyosaku/16kan/tann.htm
みいつ
これは田の字配置の”single”とは異なり、垂直ニ連砲を左右二連装にしたものですが、砲塔をコンパクトにできるという点では同じようなものですね。
ロシアのコアリツィヤSVのプロトタイプが垂直ニ連砲だったので、垂直ニ連砲に装填できる仕組み自体は実在することになりますね。
ただし、船体下部にある弾薬庫から砲弾を運んでくる戦艦の主砲と異なり、コアリツィヤSVは砲弾が最初からすべて砲塔内に収められているので、装填の仕方が全く異なる可能性がありますが…。
そういえばドイツの28p砲の砲弾って軽かったはずだから大経口砲用の揚弾機なら2つ同時に運べるのではないかと思って調べてみたら、約300sしかありませんでした。九一式徹甲弾の重量が、46p砲のもので1,460kg、41p砲のもので1,020kg、35.6cm砲のもので673.5kgだったので、大和型の揚弾機では長門方の砲弾はともかく、理論上は金剛型の砲弾を2つ同時に運べることになりますから、砲の経口を妥協すればコンパクトな四連装砲は実現不可能ではなさそうですね。
ナマケモノ
おお、これこれ!これでございます!
この馬鹿馬鹿しくも大真面目な設定や物語をもう一度読みたかったのです。
何が「フォン・デア・タン ハァハァ(;´Д`)級 VON DER TANN haha (;´Д`)CLASS」なんだか・・・。だがそれが素晴らしい。
H.M.S.「フューリアス」の写真を加工して「フォン・デア・タン ハァハァ(;´Д`)」として掲載し、「垂直ニ連砲が艦幅にほとんど影響を与えない事がわかる。またその低い乾舷にも注目。」と解説しているところとか、もうたまりません。
ご紹介下さいまして有り難うございます。
Ranchan
1362 |
航空母艦の甲板上に航空機を注記する場合、揺れや風で機体が動いたり揺れたりして他の機体と接触したりすることのないよう、固縛する必要があると思います。 木甲板時代の航空母艦の場合、どうやっていたのですか? 現在のカーフェリーみたいにアンカー用フックみたいなものが埋め込まれてたりしたんですか? だとしたらそれはどれくらいの耐荷重能力があったのですか? おうる |
耐荷重能力は分かりませんでした。
hush
Ranchan
1361 |
WW1時のドイツ艦の塗装についてお伺いします。 Wikipediaに掲載されている巡洋戦艦「デアフリンガー」「リュッツオウ」のイラストでは煙突を赤で塗装していますが、何のためにこのような塗装をしているのでしょうか? (同型艦識別でしょうか?だとすると他のドイツ戦艦や巡洋艦も同様に同型艦同士で煙突を塗り分けていたのでしょうか・・・?) 「デアフリンガー」:ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a1/Derfflinger1916.png/960px-Derfflinger1916.png 「リュッツオウ」:ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/L%C3%BCtzow1916.png/960px-L%C3%BCtzow1916.png 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
最後尾の煙突を赤や黄色に塗ったそうですが、作戦によって色を変えており、しかも、出港後に行っていたそうです。
hush
煙突は巨大ですから全面塗装してしまえば、日本艦の舷側や煙突の識別線より分かりやすいですね。
でもWW2時には煙突ではなく砲塔上面を赤やら青やらで塗装していたので、やっぱり派手すぎたんだろうな・・・。
ついしん
私個人は前掲の1916年のデアフリンガー型大巡洋艦の例しか存じないのですが、どなたか他艦の煙突全面塗装の事例をご存知ないでしょうか?
Ranchan
https://forum-marinearchiv.de/smf/index.php?topic=25314.0 には、このような記述があります。
スカゲラク海戦に関するシェーアの作戦命令を参照する必要がある。参加するすべての船舶は船尾の煙突を赤く塗らなければならないと明確に命令した。
機械翻訳が正しいかどうか分かりませんが、それが遵守されたかどうかを巡って議論がされていて興味深いです。
hush
敵味方の識別用だったんですね・・・。
ただ、「(スカゲラック海戦時)参加するすべての船舶は船尾の煙突を赤く塗らなければならないと明確に命令した」というお話は初めて伺いましたがどうだったんでしょうね?
大破し何とか帰投した「ザイドリッツ」の写真を見ても、第二煙突を赤く塗装しているようには見えないような気が。
Ranchan
ええ、ですから、そのフォーラムで議論になっているわけです。
翻訳サイトで読みながら、私もどっちなのとなっています。
hush
(独艦の煙突の数え方は艦尾より1.2・・・)
思うに作戦中にわざわざ目立たせるコトは無いので実施時期については疑問有り
駄レス国務長官
はい、長官閣下の仰る通りです。
その本についてもフォーラムの中で言及があります。
ただ、1914年に海軍に入り17年には少尉になった詩人で画家のJoachim Ringelnatzの「戦争中の船乗りとして」 https://www.projekt-gutenberg.org/ringelnz/mariner/chap003.html に、”Alle Kriegsschiffe hatten ihren hintersten Schornstein rot gestrichen(すべての軍艦の後部煙突は赤く塗られていました)”とあるのも事実なのです。
hush
Ranchan
Joachim Ringelnatzのは1914-5年頃の話のようです。
>8
フォーラムでは、逆に出撃後に塗装したとなっています。
ただ、Ringelnatzの書いているのは停泊時のように思えますね。
彼は戦闘に参加したことがないようですし。
hush
(一時的に一部の艦(デアフリンガー型大巡洋艦だけ?)が実施しただけで、ドイツ海軍としては規定されていない?)
Ranchan
同じ本にルッツオーの浮ドック内の写真が載ってますね(特に解説無し)
この本は大巡だけなので他の艦種については不明
駄レス国務長官
更なるご紹介有り難うございます。
でも本当に「煙突塗装(赤・黄他)の実例」って少数ですね。
証拠の写真はあるので、実施はしていたようですが・・・。
デアフリンガー型がたまたま一時期誰か(「所属戦隊の司令官」など)の意向で実施していただけで、ドイツ海軍の正式な塗装規定ではなかった・・・と考えるのがいいような気がしました。
Ranchan