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410 零戦が強かったのは太平洋戦争開戦からせいぜい半年だったといいます。零戦より古い(むしろ96艦戦や97戦と同世代)Bf109やスピットが最後まで、一線級の実力を維持したのと差はどこにあるのでしょう?

  1. 基本的にはエンジン馬力の差です。零戦は62型まで1,000 馬力級の栄でしたが、Bf109 やスピットファイヤはどんどんエンジンをパワーアップし、最後には 2,000 馬力近くにまで達していました。


  2. 質問者です。それでは零戦が2000馬力級のエンジンに換装されなかった理由はどこにあるのでしょう? そもそもそんなエンジンがなかったのか、あっても零戦の機体構造が耐えられなかったのか、あるいはそもそも日本海軍にそのような発想自体がなかったのか?


  3. 零戦の基本設計が栄エンジンと相性がよすぎ、他のエンジンへの換装が遅れたそうです。1300馬力の「金星」に改造したのは、終戦間近の時でした。


  4. 零戦は一般に言われるほど老いた訳ではないようです。ラバウルの末期頃でもF6FやF4Uに対して12対0で一方的に勝ったりした記録もあるのですから紫電改より成績はいいのではないでしょうか。


  5. 下の続きですがその空戦の様子は渡辺洋二氏の「大空の攻防戦」(ソノラマ文庫)で検証されています。後期のF6F-5より空戦の強いF6F-3相手に奮闘する姿は零戦ファン(?)必読ではないでしょうか。


  6. ↑まあ下の例は一回限りのマグレでしたから、当時の零戦の実力を計るのには無理がありますよね。


  7. 零戦の強度設計は、設計上はわざと強度材を弱目に設計し、これを実機で強度試験を繰り返しながら弱い部分を補強していく面倒なやり方を採用したそうです・・・まさに競争機ですね、2000馬力級への発展など機体が耐えられないでしょう。


  8. Bf109なんかも主翼は20mmをつめないくらいヤワでしたね。それからNiftyのfaeroでは、全金属機は応力外皮構造なので外板を厚くすれば零戦も簡単に機体強度を強化できる、という説も出されています。


  9. 零戦の中後期型では、用兵側の急降下速度の増加要求を満たすために(かつ出来るだけ重量増加を抑える為に)主翼その他の機体外板を細かく増厚して対処してます、いちいち強度計算し直して外板厚を決める訳ですから、雷電や烈風の試作開発に多忙の設計陣にはかなりの負担になったそうです。


  10. 急降下速度を40kt上げるだけでも、機体強度を再計算して外板の厚さを細かく変えなければならない程、デリケートな機体だったと言う事です。


  11. Bf109は主翼内に零戦と同じMGFF20mm機関砲を初期型で積んでます、後期型のG型になるとR-6仕様で、ゴンドラ装備のMG151をぶら下げてます(そう柔な訳でも)、ただ、主翼内に武装を設けたり、外したり、またゴンドラを付けたりして二転三転したんで、主翼の補強や軽量化や再補強なんかで設計者を泣かせたそうです。



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