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474 こんにちは、質問させてください。
私の父のいた歩兵第221連隊では、昭和14年に現地教育をもって
初年兵教育に代えるという試みをし、以後この方式が通例になったそうです。
当時このような訓練の省略(?)は一般的なものだったのでしょうか?
入隊後1ヶ月もしないうちに大陸に行き、なにもわからず大変だったそうで、
部隊の戦力としては低下するようにも思えるのですが。

  1. 初年兵教育は1年間あるので、それを数期に分けて実施し、最初の第一期(約3ヶ月)を新兵教育と俗に云っていましたが、原隊で時間的・施設的に一期の教育をする余裕がない時は、とりあえず格好のつく程度まで内地で教育し、あとは出征部隊の駐屯する現地で残余の初年兵教育を完成させる式が一般的だったようですね。
    下士官・予備士官教育も戦地に教育隊を編成して、ここで幹部養成をしました。
    とにかく動員で大膨張した陸軍部隊は、旧来よりあった部隊には兵営があてがわれていましたが、その旧来の部隊の動員室が管轄聯隊區よりの徴募兵員をもって編成した後備・独立諸部隊(221聯隊や独立歩兵部隊のような)は入るべき兵舎がなく、營内の倉庫や近所の學校・お寺・民家などに間借し、編成完結と同時に出征してしまうので、その補充人員もまた居場所がなく、とにかく旧来の部隊の補充隊兵舎に初年兵・補充兵とりまぜて押しこみ(内務班は平時の2倍くらいの人口密度となる)、最低限の教育をしてから現地部隊にどしどし転属させました。
    この方式は、日露戰役の時にも見られ、損耗の大きい出征部隊向けの補充兵はわずか14日間の内地教育で、前線の出征部隊に送られるという時期もあったそうです。


    あるめ


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