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273 19世紀後半に南米で起きた「太平洋戦争」とはどういう戦争だったのですか?
ぱるぱる

  1.  硝石資源をめぐるチリ対ボリビア・ペルー連合軍とのの戦争(1879‐83)です。

     現在のチリ北部のアタカマ砂漠地帯のタラパカは当時ペルー領,アントファガスタ地方はボリビア領でしたが,いずれも硝石などの鉱物資源に富み,しかも当時チリと接していたボリビアのアントファガスタ南部とチリとの国境は未確定で、また資源開発は主としてチリ人によっておこなわれていました。

     1873年,ボリビアはチリと条約を結んで国境線を画定し,この国境線より北の一部地域で操業するチリ硝石会社への課税を強化しない旨約束し,と同時にチリの力を恐れて極秘密のうちにペルーと対チリ相互防衛協定を結びました。

     しかしその後のチリ硝石会社の発展に対し、まずペルーが1875年に国内のチリ硝石会社の資産を接収し、続いて78年ボリビアがチリ硝石会社への課税を強化し,これを拒否した同社を接収しました。

     このため79年2月,チリ大統領アニバル・ピントは200人の部隊を派遣しアントファガスタ港を占領し、1879年4月5日、チリはボリビア、ペルーに対して宣戦布告をしました。

     チリ軍は海戦直後の一連の海戦でペルー海軍をうち破り、アントファガスタ地方、タラパカ地方を占領、その後さらに北方のアリカ、タクナの町を占領し、ボリビア軍は崩壊。。またチリはペルーの首都リマまで進軍し、ペルーは国家崩壊の危機に立たされました。この間の日時については手元の資料(大したものじゃありません。Kohn の Dictionary of Warsです)の記事が一寸怪しい(アリカ占領が80年6月、リマ占領が79年12月となっている)のでよくわかりません。

     1883年10月20日チリ・ペルー間でアンコン条約が結ばれ、チリはタラパカ地方をペルーから獲得、ついで84年4月4日チリ・ボリビア間でバルパライソ条約結ばれ、アントファガスタ(都市と地方)がチリのものとなりました。
     なおチリは戦争には勝利しましたが、チリ硝石会社の株は戦争中にイギリス資本に買い占められ、チリ硝石の利権は結局イギリスのものになったそうです。

    なお艦艇関係の632もご参照下さい。

    カンタニャック

  2. 追加>
    チリ軍によるアリカ占領は80年6月、リマの占領は80年の終わりから翌年1月にかけてのようです。

    カンタニャック


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