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246 戦国時代、「騎馬鉄砲隊」はどれくらいの強さだったのですか?「信長の野望・将星録」ではインチキ過ぎる強さを発揮していましたが(鈴木重秀に騎馬鉄砲隊をひきいらせ、たった4500人で何万もの軍勢を破った事があるのですが。しかも犠牲が3割以下だった)
ぱるぱる

  1. 大坂夏の陣における「伊達の鉄砲騎馬隊」は有名ですが・・。政宗の重臣であった片倉重長の部隊が鉄砲騎馬隊で、道明寺の戦いで後藤基次、薄田兼相の軍勢を打ち破ったことで、諸大名を驚かせたとか。ただ、このあたりの詳細に関しては伊達家の記録の中にもあまり見えません。大坂の陣における伊達家の鉄砲装備率の高さは著名ですが、それらが騎馬鉄砲隊とどのような関連があったのかは、よくわかりません。騎馬で突撃しながら鉄砲で敵を混乱させ、敵が体制を立て直す前に敵陣に突入して制圧したといわれています。
    政宗

  2. 洋泉社の”鉄砲と日本人”読んで下さい。


  3. 旅行で松本城に行ったら、騎馬部隊用の鉄砲など各種火縄銃が展示されてありました。早合を用いたとしても、前装式だし馬の上だから次弾装填には時間がかかる。騎馬鉄砲だけで敵陣に突っ込み十分な成果を上げるのは難しいのでは。先方がびくついて戦意を消失したというのなら別だが。
    アリエフ

  4. 強いも何も“使えない”軍隊ですよ。

    私の知る戦果とは、確かにこの道明寺の戦いなんですが、
    片岡重長が先陣を取られたことを怒ってか、
    大阪方の名うての将との対戦を目の前で邪魔されたかでブチ切れて
    「味方の」有馬勢だか300を撃砕したのが唯一の戦果だったと思いましたが。(その後、おとがめ無しで家康に不問にされた)

    剛胆さは兎も角もあまり誇るものではありませんね。
    それに多寡が300ほど。
    片岡の評判は上がるでしょうが、これで騎馬鉄砲隊をどうこうというのはちょっと無理かな?

    ですから、他の戦例とかから考えるにこれは
    「なぜ騎兵が、その存在自身の是非は兎も角も、鉄砲の発明以後も
    今日に至るまでそれが主兵装に成らないか(弓装にしても)」
    ということと関係があります。

    (>インチキすぎるこれが正答ですね。大体コーエーのゲームは騎弓兵にしても遠戦兵器が強すぎる。)
    かっぱ

  5. >4.
    伊達軍から誤って一斉射撃を食らったのは神保長三郎という部将の隊です。この誤射で神保隊はほぼ全滅、戦闘能力を喪失しています。
    騎馬鉄砲隊の実力ですが、装填の難しい当時の鉄砲では馬上でこの作業を戦闘しながら行うのは至難の業でしょう。その機動性は魅力ではありますが、そう長い間同じ場所にはとどまれないでしょうね。(高い鉄砲を捨てるわけにも行かないし)
    大阪夏の陣では伊達隊はいろいろ派手にやってます。ただ大阪城に突入して千余の首級を挙げるなど功績も著しかったため、失態も不問に付されたのではないでしょうか。
    かとう

  6. 騎乗の武士に足軽以上の「機動性」があったとはとても思えないのですが・・・・。
    BUN

  7. うろ覚えで申し訳ないのですが、確か「馬上筒」というピストルよりも少し大きいくらいの小型銃があったと思います。馬の首あたりに小さなケースをつけておき、打ち終わったあとは、そこに収納して普通通りに突入していったように記憶しています。ピストルくらいの小型銃ならば、幅をとらないので馬上でも、ある程度問題なく撃てるのではないでしょうか。
    素人

  8. 日本の騎馬は鎧武者の移動手段に過ぎないと思いますが。
    BUN

  9. 6>
    「機動性」もとい「スピード」ですね。まことに相すみません。
    確かに小回りは利かないと思います。
    移動速度の速い鉄砲隊と自分は認識しているのですが。

    7>
    馬上筒だと、射程に問題があるような気がします。当時の火縄銃の射程は100〜150mくらい(当然有効射程はもっと短い)ですから、馬上筒の場合実際に戦果を挙げるためにはかなり接近しないことには鉄砲による戦果というものは期待できないと思います。

    今度本に当たって調べてみます。
    かとう

  10.  実証されているわけではないのですが、17世紀の日本に騎馬鉄砲隊が存在したとすれば、ヨーロッパで流行していたカラコール戦術(待機陣地から敵陣まで突進して射撃、後方へ戻って装填を繰り返す)をとったのではないでしょうか。もっとも、カラコール自体、スウェーデン新型軍の白兵突撃に駆逐されてしまうので、費用対効果の高い戦術であったとは思えませんが。
    sharman

  11. いや、スピードもないんですよ。
    とりあえず、『暴れん防将軍』の冒頭のシーンは忘れてください(笑)
    当時の内国産馬はいま青森にいる寒立馬と同等かそれ以下の体格しかなく、ほとんどポニーも同然という馬です。
    鎧を着た武士を乗せては速歩で歩くのがやっと、足軽の突撃と速度の面でも大差がありません。
    だいぶ時代はさかのぼりますが、だいたい、熊谷直実が鵯越で馬を背負って下りた、などという芸当が可能、だとみんなが信じる程度の馬です。
    日露戦争の頃になっても、装備をつけた騎兵はギャロップができず、乗馬襲撃は困難というより不可能、日本軍騎兵は軽装備の乗馬「歩兵」にすぎない存在だったのです。
    まなかじ

  12. 申し訳ないです。
    ここにはもっと勉強してから書き込むことにします。
    謹慎2ヶ月してきます。
    かとう

  13. >11 馬といえば、、サラ系とかしか判らないのですけども・・

    当時の内国産馬は仰る様に体格が小さい、と聞いたことがあるのですが。「流
    鏑馬」に使われていた馬もそれなんでしょうか??
    巻物なんかを見る限りでは、それなりに馬格もありそうなんですが・・
    上の人間も小さいので、そう見えるだけかなぁ??

    しかし、毎週の様に見ているが、馬は難しい(笑)・・・
    tackow


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