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II号戦車に対戦車戦闘の戦果は存在しますか? 勝井 |
- まったく調べてないんですが、フランス侵攻のときドイツの主力はまだ2号戦車で3号は100両程度だったと思います。この状況なので相当数のフランス戦車を撃破したのではと思うんですが、2号の20mmで戦車を撃破できたのか疑問ですね。
taka
- そう、まさにそこが知りたいんです。
確かに数の上では主力でしたが、
とても敵戦車を倒せる火力とは思えない。
豆戦車クラスになら通用するでしょうが。
勝井
- ちなみにグランド・パワー別冊「激闘 西部戦線(6)」によると、
ドイツが当時保有してた戦車は、III号、IV号あわせて627輌、t38戦車381輌、
I、II号あわせて1679輌です。
多分他の資料には、個別の登録数がのってるでしょう。
勝井
- 確か、スターリングラード救出に向かった
第六装甲師団の捜索大隊の2号戦車でT-34/76を撃破してます
増設燃料タンクを炎上させたらしいけど・・・
SUDO
- 大日本絵画「奮戦!第6戦車師団」ホルスト・シャイベルト著 のP94~95参照。
KI-100
- う~ん、というか、西方電撃戦のとき、戦車による対戦車戦闘の機会はふんだんにあったのでしょうか?
ドイツ装甲師団は、敵戦車、特にイギリス戦車隊との交戦を避けて行動していたようです。
有名な英仏連合軍のアラスの反撃での対戦車戦闘では、戦車を後退させつつ「対戦車砲、前へ!」で、要するにPAKフロントに誘い込み、英仏軍の前進を拒止します。
ドイツ戦車は側背に回り込み、英仏軍の後退を誘います。
このように、火力の面では、装甲師団自身が保有する37ミリ対戦車砲に頼った戦闘組織をしています。
フランス戦車は燃料切れに悩まされ(何でも、給油口が専用のタンクローリーでないと給油できない構造になっていたらしい)、ドイツ軍の機動に対応しようとすればたちまちガス欠で置いて行かれる状態で、戦闘消耗よりも、こうして乗員自身で破壊されるか放棄されるかで失ったものがほとんどだとか。
多分、2号の場合は、敵戦車に会敵したら対戦車砲陣地に向かって後退する、というのが「正しい」運用法だったのではないでしょうか。
まなかじ
- 二号の主砲、KwK30は40式徹甲弾を使用すると100mで50mm程度の貫徹力があり、対戦車戦闘も当然受けて立ったことと思います。
しかもKwK30は弾倉式の自動火器でもあるので、多少大きな敵戦車でも「廃車所要弾数」まで撃ち込んで男らしく戦うものであったと信じております。
BUN
- というか、むしろ西方戦役ではなくて、更に後のバルバロッサ作戦時に新型車両と交代できなかった二号戦車に対戦車能力を与える為にPzgr40が供給されたのではないか、とも思います。
BUN
- …まさかとは思うが、
I号戦車にも、戦果があったりして。
勝井
- 勝井山、合いの手入れる暇があるなら自分で調べるんだ。調べて話す、それが角界の掟だ。まあ、とにかく鉄砲と四股だ!
BUN
- 40式徹甲弾はそんなにめったやたらと撃てるものではない(供給量が少ない)ので、2号としては「PzGr40は、最後の武器だ!」だったのではないかと想像します。(憶測でものを言うべからず、と叱られそうだ)
それにしても、100メートルで50ミリ装甲(撃角はやはり90度でしょうか)を射貫できるなら、その、大変言いにくいことながら、我が47ミリ戦車砲に遜色ないではありませんか…。
まなかじ
- >我が47mm戦車砲に遜色ない…
まなかじさんのレス読んでから、
心がひどくサムいです。
勝井
- それが、後期の型では220発/分も撃てるのだから、大変な火力であることよ。分当たりのの投射量では並みの戦車ではかなわないであろう。
しかし、如何に優先供給されたらしいとはいえ、貴重なタングステン鋼芯弾をこのように浪費しては国は傾くのは必定。第三帝国は二号の為に滅んだと言っても過言ではない。
47mmはあれはあれで良く、そもそも大日本帝国が第三帝国より三ヶ月長持ちしたのは、二号戦車を使わなかったことが大きく貢献しているのである。
また、中国大陸では一号のみならず、この強力なドイツ二号戦車に対しても帝国陸軍は勝利、捕獲しているとの記録があるようだ。
BUN
- 撃角については、大きな声で言いたくないが30度ばかり倒したドイツ製の装甲板49mmを距離100mで貫いたとのこと。日本製の清貧な材質の装甲を持つ四式中戦車でも危険かもしれない。おまけに榴弾まであるらしい。やはりPAKには榴弾を撃ったのだろうか?
BUN
- ↑↑やっぱ、ドイツが負けたのは戦車を使ったからか。う~ん、奥が深い。
takukou