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旧海軍の戦艦の命名についての質問です。 以前より気になっていたのですが、旧国名をつけた戦艦の名前で末尾が「前」「中」「後」で終わるもの(越後とか豊前とか備中とか)がないのは何か理由があるのでしょうか。 これらの国は前・中・後で一まとまりの国で単独の国とは見なされなかったのかとか、単に語呂が悪かったからとか色々考えているのですが良く分かりません。 SEI |
- 戦艦「肥前」がありますね。
日露戦争の捕獲艦、旧艦名「レトウィザン」。
Shima
- 特殊な例になりますが
陸奥は陸州(陸前・陸中・陸奥)のうちの一国です。
(但し陸州全体を陸奥国としていた時代もあります)
丹後も丹州(丹波・丹後)のうちの一国です。
PT
- >1.肥前の場合、少々事情が特殊です。
すなわち、佐世保鎮守府の所在地。
勝井
- Shimaさん、PTさんありがとうございます。そういえば日露戦争の捕獲艦があったんですね。とは言えこれ以外にないのはやっぱり何か理由があったのかと気になります。
陸奥ですか…。気付いてはいたのですが私が拘っている前・中・後からはちょっと外れるかな、と。
SEI
- 勝井山、「舞鶴鎮守府の所在地」は特別じゃないんですね。
BUN
- ↑国名をつける艦がもっと増えたら、いずれは採用されたかも、と思ってます。
けど、やっぱり「前」「後」がつくと、語感的に余りよろしくない感はいたします、個人的に。
なぜか「越後」だけはしっくりくるのは、やっぱ上杉謙信のせいかな。
勝井
- 丹後は?
BUN
- あ″…丹後ってありますね。
しかも丹後も肥前も該当戦艦の整備地じゃないですか。
完全に失念してました。
勝井
- 艦名ってのは奥が深いような、単純なような・・・私は最近わからなくなりました。
あとは頼みます。
BUN
- 国産戦艦については当初から同型艦ごとに関係のある名前を付ける癖があるようにみえます。
第一号である「安芸」と「薩摩」はいずれも海軍に縁が深いですし、その後の「河内」「摂津」、さらには「長門」「陸奥」(本州の西と東ですね)もそうですし。
越後・備中などは語呂もでしょうが、関係を付けさせるのが難しかったのではないかと(笑) 「越後」だったら僚艦に「甲斐」がありそうですけどね(笑)
ちなみに「肥前」(佐世保)と同様に旅順で捕獲した艦には、「相模」(横須賀)「周防」(山口県)「丹後」(舞鶴)の名が付けられていますね……「周防」は仲間はずれですが、当時既に「安芸」は建造中の戦艦の艦名として予約済みだったので外されたのだと思われます。
tac
- たくさんの書き込みありがとうございます。
で、読んでいて日露戦争の捕獲艦の命名について思ったのですが、丹後、肥前、相模が鎮守府の所在地、壱岐と石見は日本海海戦の近隣地域からとったと推測されます。
とするとポペイタは周防ではなくて長門の方が良いように思うのですが、どうでしょう。(維新の原動力になった国だから、捕獲艦如きにつけるにはもったいないという意識が働いたのでしょうか。)
SEI