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旧日本海軍の航空母艦の飛行甲板に貼られていた木材の種類は何でしょうか? チャッピー |
- 空母を建造する時代にはもう、チーク材は多用されていないと思うので、やっぱりヒノキかスギでしょうか。
BUN
- BUNさん暮れの忙しい時期にありがとうございます!じつは艦船関係ではいくつか質問があるんです。無理のない程度で皆さんよろしくお願いいたします!
チャッピー
- 実際に何が使われたかは資料が無く解らないのですが、一般論として、ヒノキやスギは軽くて強度が高く柱などの構造材としては最適、一方チークのような広葉樹類に比べ、密度が低く柔らかい(傷つきやすい)ため、甲板のような床材的な用途には全く不向きという特性があります。スギは木造船の船体などにはよく使われたのですが、あまり甲板向きの材料では無いように思います。
チーク材が船によく使われたのは重い反面、堅く燃えにくく腐りにくいという特性の故です。チーク資源の枯渇は戦後かなりたってからの話なので、第二次大戦中では資源的には問題ないはずです。ただ、南方から切り出して持ってこれるかどうかはまた別の話です。
なんか問題の解答になっていませんが、実際のところはどうなんでしょう?
planter
- 昔、なんかで読んだんですが「松」の木を使っていると記憶があります・・・
tackow
- 戦前でも良質の木材はほぼ払底していましたので、チーク材の大量調達は困難だったと思われます。まして甲板面積の広い空母では代用材が空母群の建造当初から使用されていたのではないでしょうか。戦時中の建造艦が木張りの甲板を廃止したのもこうした事情によるのではないでしょうか。
BUN
- アジアにおけるチークの主な生産国はタイ、ミャンマーとその周辺諸国ですが
国際マーケットから良質材が払底し始めるのは1960年代以降の話です。
第二次大戦前ならば資源量だけ考えれば不足を感じることは無いと思いますので、
良質材が手に入らなくなったからというのはどうなんでしょうか?
ただ木材も一応は戦略物資ですし、生産コストや禁輸などの政治的情勢については、別に考える必要があり、戦争中アルミを節約したように、将来を見越して、例えばナラやカシなどで代用した可能性については否定できません。
空母では無いのですが、戦艦ノースカロライナのデッキはやはりチーク製です。1941年の製造後ずっと張り替えせずにいたのですが、現在60年ぶりに化粧直し中であると下記のホームページにあります。
http://www.battleshipnc.com/projects/teak/teak_deck.htm
吉村昭の「戦艦武蔵」の中には、武蔵の進水台用に大量のマツ材を使ったこと、
通常は甲板装甲と船体の鋼材の間に2-4㎝程度のチーク材を張るところを、武蔵では重量軽減のために、はじめてチーク材を使わずに設計することになったなどの記述がありますが、ハテ?
planter
- 私は陸奥の頃からチーク材の使用は控える方向にあったと思っていますが・・・。
当時の木材の調達にあまり明るい見通しが無かったのは陸海軍ともに事実ですので、代用材の検討も既に戦間期から行われています。そして・・・松か。ありそうですね。
BUN
- 私も八八艦隊計画時点で国産材料の使用を意図し、チーク材の使用を控えたと呼んだ記憶があります。「大和」では台湾檜を使用し、その白色が際立ったと記憶しているのですが。
ペンギン
- 追加
>6.チーク材なしの建造
これは”戦艦の建造として”初めてなのではないでしょうか。上甲板ではなく、構造と装甲板との許容誤差を確保する抜け道を採用しなかったことの言いまわしだと思います。
ペンギン
- >9 ご指摘については、仰るとおりです。小説内の記述は上甲板には触れておりません。
なお、日本戦艦の木甲板については、下記のHPに興味深い考察があります。
http://www.coma.ais.ne.jp/%7Ewatakan/yamato/colors/general1.html
このHPで参考とされた各資料の検証が出来ない(持ってない)のが残念ですが、長門級、大和級についてはヒノキ(この場合、おそらく台湾檜)、それ以外はチークではないかと考察されています。
また、同HPのBBS内で、阿川弘之「戦艦長門の生涯」上(新潮文庫)P92に呉工廠でチークの十分なストックが無いのと輸入するとコストがあがるため、台湾の檜を用い、陸奥については、横須賀工廠にチークのストックがあったため、従来どうりだった旨の記述があるという話が出ています。
これは、この時期に台湾に森林鉄道がひかれるなど、同山岳地の森林資源の利用が可能になったことととも符合します。
本当だとすれば、同じ呉工廠製の赤城の木甲板も台湾檜であった可能性があるでしょう。
planter