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たびたびお騒がせしております、Samponです。 第3次ソロモン海戦で霧島が米戦艦と射ち合ったとき、霧島はヘンダーソン飛行場の射撃用に三式弾を用意していたので徹甲弾を撃ち返せなかった、と昔読んだ(豊田穣「四本の火柱」に確かそう書いてあった)のですが、これは本当でしょうか?豊田穣のは、どこまで事実で、どこからが小説なのか良く判りません。 九一式徹甲弾を発射した事実はないのでしょうか?命中したことは?霧島はスリガオ海峡の2戦艦のように「瞬殺」されたのではなく、少なくとも三式弾をサウスダコタに命中させているので、徹甲弾に転換する時間もあったのでは、と思うのですが。 Sampon |
- 11/14夜の戦闘で三式弾68発、零式通常弾22発、一式徹甲弾27発を撃ったという記録があります。
命中としては、サウスダコタの後部第三砲塔の右側、船体下部水線付近に一式徹甲弾一発が当たったといわれています。
はじめから三式弾を撃つつもりで主砲に装填していたとすると、金剛型主砲装填機構からみて、弾庫で一式徹甲弾にすぐに替えても4発くらいは三式弾が砲塔内に残っていると思います。
プリンケプス
- プリンケプスさん、回答ありがとうございました。当たったのは三式弾とばかり思っていたら、徹甲弾だったんですね。しかも、九一式でなくて、一式徹甲弾。この頃は九一式は使われてなかったんでしょうか。ところで、一式徹甲弾が命中してる、っていうのは米軍の判定なのでしょうか。鑑定の結果、一式徹甲弾と判断しますって被弾の跡を検分して誰かが言ったとか。
Sampon
- 九一式徹甲弾と一式徹甲弾の違いは何か書いていて気付いたのですが、やっぱりつっこまれましたか(笑)。
調べたところによると、九一式徹甲弾は大戦中参加した全ての戦艦が持っていたとのこと。一式徹甲弾は九一式の弾頭をさらに先鋭化して射程増大をはかり、弾丸側面の二分割の銅環を一体化して生産性を向上させた弾種と想定されるそうです。
さらに一型から四型まで存在している型は何を意味しているか未だに謎とのこと。
一式徹甲弾に関しては資料が全く無いようで、あくまで推定の域を出ないらしく、謎の徹甲弾らしいです。
ということは、霧島も九一式を撃っていたかもしれませんね。
命中判定の件は、おそらくアメリカ軍の戦闘記録と思いますが、、縦90センチ、横3メートルの大穴があいたらしく、それを後生の歴史家が一式徹甲弾と判断したのでしょう。
<資料>歴史群像太平洋戦史シリーズVol.20大和型戦艦2
同Vol.21金剛型戦艦
プリンケプス
- プリンケプスさん、回答ありがとうございました。
謎だと言われると知りたくなりますね、一式徹甲弾の正体。霧島をソロモン海から引き上げるのは無理でも、砲弾だけでも引き上げられませんかね。
Sampon
- 197に関連事項があります。
heaven
- 197を見るにはどうしたら良いのでしょうか?旧旧AnsQデータベースでは、196の次が200番台に飛んでおります。だれか助けて!
Sampon
- 一番上の「移動する」ボタンの左の項目から「120:矢矧は魚雷8本…」を選択すれば 197 前後に飛びます。ここのログ表示の番号は逆順で表示番号と一致しないのでちょっとわかりにくいんです(^_^;)
ささき
- すみません、やっぱり分かりません。
Sampon
- う、カキコが増えると番号インデックスも変わってしまうのですね( ̄▽ ̄;)
「他ページを選択できます」のドロップダウンリストから 120 近辺の番号を選んで、「移動する」で過去ログを表示してみてください。
今のカキコ件数だと、それで #197 前後に飛べるはずです。
ささき