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零戦や隼などの航空機で真下(視界の)を見る時はどうしたのですか? やっぱし、旋回でもしたんですか? たけっち |
- そうです。
F2Aバッファローは足元に窓がありましたが。
T34-85
- 確かF4Fにも胴体下面に窓がありました。
フッフール
- 戦闘機の視界問題について、間違いとは言わないけれど、何か重大な誤解があるような気がする・・・。
戦記で読む雷電等の話のイメージだと、視界の良い旧式機から視界を犠牲にした新型機への流れがあるように思えるけれども、戦闘機の視界というものはそうリニアに変わっていった訳ではありません。
たとえば複葉戦闘機の時代には上翼の為に前上方視界に一定の死角が発生していましたし、上翼の構造とそこから発生する死角の問題で操縦席の位置も規制され前下方視界もある程度犠牲にせざるを得ない状況が長く続いていたのです。
このように、もともと戦闘機の操縦席には大きな死角が宿命的に発生するものだったのですから、「見えない所に窓をつくる」といった考え方も当然生まれれば、「見えない所は、見えなくていい」というあきらめも生まれるものなのです。
BUN
- 坂井三郎氏によると「左右に傾けて斜め下を見れば真下の見張りができる」のだそうです。どうしても真下が見たければ背面になるのだそうです。ただし編隊指揮官クラスともなると戦場に入ってキョロキョロしているようでは駄目で、いち早く敵を発見し不利な位置に入られないよう編隊を導くのが仕事だそうです(編隊が崩れて乱戦になってしまえば仕方ないですが、そうなる前の話)。
ささき