492 |
零式艦上戦闘機は三菱製だけなんですか? エンジンは「中島 栄」という型式がほとんどだと思うのですけど、 エンジンは中島飛行機製だったんでしょうか? 基本的なことですけど、同じ型式で複数の会社で製造していたケースって あるんでしょうか? 齋藤 |
- 零戦の生産の大半を中島飛行機小泉製作所がこなしたことは有名な事実です。19年2月頃まで21型の生産を行っていたことがマリアナ海戦等に「旧式の21型」が現れる理由なのです。実際には新造機でした。量産は52型になってから更に拍車がかかりますが、内容、時期は未だ曖昧な部分があります。(個人的には53型は量産された説をとっております)
栄についてですが、中島飛行機武蔵製作所が一手に生産していたのですが、日立でも転換生産は行われ、少なくとも零式練習戦闘機あたりは日立製を積んでいたのではないかと想像できます。航空機の価格のかなりの部分を占めるエンジンは企業にとって重要な製品なので戦争末期まで、各社とも自社エンジンの転換生産には積極的ではなかったようです。また、機械加工を多用するエンジン生産は工作機械が慢性的に不足していた日本では簡単に生産ラインを移せない、といった事情もあったようです。
BUN
- 欧米機ではよく有ることですよね>他社の機体の生産
フォッケウルフ社がBf109Gを生産してるとか迄有るし(笑)
SUDO
- 二式水戦にいたっては、他社製品のヴァリエーションを「勝手に」作っちゃってるしね(方向舵まわりの処理が中島風になってるし)。
日本軍用機の「他社製品の生産」で有名なのは、立川の隼及び疾風、満州飛行機の二式高等練習機、疾風等が有名どころ。
Schump
- 英米なんかもっとすごくて、スピットファイアなんざ大半がCBAFという自動車工場で製造されておるし、B-24のフォード、F4F(FM-2)のゼネラル・モータース、F4U(FG)のグッドイヤーなんていう他業種の参入の例もありますな。
Schump
- 二式水戦の開発は海軍航空本部の方針なので、勝手、って程でもないですよね(笑)。垂直尾翼のデザインは尾輪が無くなったことと、フロート追加による安定性の低下対策だったのではないでしょうか。面積も増えている、という説も近頃唱えられ始めてますしね。
BUN
- ↑確かに、零戦の水上機化にあたって「余力があってかつ水上機の経験がある」ということで中島が選ばれたんですよね。
Schump
- いろいろな回答ありがとうございます。
零戦は「三菱製」って一般的に表記されてるケースが多いですけど、
「中島」の方が、製造数は多かったということですか?
だから、「ランエボ」と「インプレッサ」は似ているのかな?(笑)
質問者
- ↑ランエボとインプレッサが似てるのは
WRCのグループAと言うレギュレーション内の最適解答を求めた結果です
詳しくはラリー関連の書籍でも読んでみて下さい
SUDO