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流星の飛行訓練は雷撃,急降下どちらも実施したのでしょうか? また空母で実際運用されませんでしたが、やっぱり急降下爆撃隊と 雷撃隊とで飛行隊を分けるつもりだったのでしょうか? 無限 |
- 編成された唯一の飛行隊である攻撃第5飛行隊は艦爆48機を定数とする飛行隊で、飛行要員も艦爆乗りがほとんどだったようです。艦攻乗りは5機、5ペアのみで外様的な立場だったともあります。艦攻組は雷撃訓練のみ、艦爆組は降爆訓練のみというように分かれていたようです。
機材は共通化できるにしても要員の訓練の共通化はできないので、続けて飛行隊が編成されたとしても、飛行隊は別々に作られたと思います。
詳しくは「重い飛行機雲」渡辺洋二著 文春文庫 所収の「流星の名の如く」をお読み下さい。
itou
- MG誌に流星改の搭乗員の談話が出てましたが>横空だったかな
運用方法の研究の一環なのか艦爆乗りも雷撃訓練させられたみたいです
既に実戦レベルの人はともかく
配備が進めば、若手とかは両方やらされたのではないでしょうか
SUDO
- いや自分の考えではそうはならないと思います。
もともと搭乗員の教育課程は別々で変更は大仕事だし、ベテランならまだしも新人に両方の十分な技量を付けさせるのは到底無理です。当時の搭乗員は飛行時間100時間未満で一線部隊に駆り出されていたのが実状ですから、結局雷撃も急降下爆撃もどちらも「できない」搭乗員が登場していた事でしょう。
itou
- ええ、そりゃそうなってしまうと思います>「どっちもできない」
ただ、教育体制で言うなら、それを想定して行えば良いだけです
現実的に考えても、攻撃時の操縦以外は共通してるんですから>艦爆と艦攻
急降下爆撃と低空雷撃の訓練を双方のプログラムに追加すればよいだけです
戦争の実体から大きく乖離していたのは事実ですが
そういった訓練プログラムの統合も含めた上での予定だったと思います
そいや、銀河も降爆出来ましたよね
あっちではどうだったのでしょう?
SUDO
- 銀河の搭乗員は艦爆出身が中心です。あの江草少佐も後には確か銀河部隊の隊長として勤務していたはずですよ。
BUN
- 「銀河」の件で恐縮ですが、あの江草隆繁少佐(戦死後大佐、海兵58期)は確
かに艦爆操縦員出身でしたが、では他の「銀河」装備の航空隊あるいは飛行
隊の飛行隊長や分隊長、あるいは搭乗員が艦爆出身者中心かというと、ちょっ
とだけ考慮の余地があるように思います。
というのも、小生の手持ちの乏しい資料を見て一部推定も交えて論じるなら
ば、陸攻操縦員出身の「銀河」の飛行隊の飛行隊長として、例えば壱岐春記
(海兵62)、江川廉平(海兵62、この人は陸攻に変わる前は水上機の操縦員)、
安藤信雄(海兵64)などの名前を見出すことができるからです(これ以外にも、
数名の陸攻隊経験者の名前もみつけることができますが、操縦員か偵察員か
小生の手持ちの資料でははっきりわからないので、これ以上のことは申し上
げません。あと艦攻操縦出身の根岸朝雄(海兵65)もいますが)。
基礎資料がそろったら再度考えてみようと思っていますが、飛行隊長や分隊
長などの出身も含めた配員状況や、その時系列的な意味での傾向の変化など
があれば、注目してみたいと思います。
ちなみに、小生の持つ文献では、江草少佐の戦死は昭和19年6月15日であ
り、その際は「ヤップから雷装で発進」とあります。これが本当ならば、
急降下爆撃のエキスパートの最期の任務は雷撃だったという、ちょっと
皮肉なものがあります。
一応戦史叢書「マリアナ沖海戦」に掲載されている四一WAB戦闘慨報を読
む限り、甲攻撃第一集団の銀河10機のうち、別働2機以外は全て雷撃を行っ
たように読めますので、江草少佐の乗機は雷装であったとみなすのがとり
あえず合理的に思います。
今泉 淳
- あと追加なのですが、
>現実的に考えても、攻撃時の操縦以外は共通してるんですから>艦爆と艦攻
基本的に上記はそうだと思うのですが、例えば指揮官クラスを育てるという
のは大変でしょうね。というのも、接敵方法が雷撃と急降下爆撃とで同じだ
とはやや考えにくいからです(これはかなり想像が混じってますので、そうで
ないとしたら是非ご教示いただけるとうれしいです)。
列機はともかく、指揮官機は、列機の誘導を考えた上で、さらに敵に対して
有利な体勢で突撃を下令しないといけないわけで、そのような運動に耐えら
れるだけの中隊以上の単位での飛行機隊の訓練も必要なのだと、小生は浅学
ながら認識します。
まあ、そんなに難しいものでないとすれば、確かに「攻撃時以外は共通」で
済むのかもしれませんが、どんなもんでしょうか。
# 戦争末期はそこまで訓練している暇がなかったと言われたら、そうかも
# しれない。
今泉 淳