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(ミリタリーウソ特集II)歴史の真実の中に埋もれたトンデモ系ミリタリー逸話話を募集(ここに書かれる内容は全部ホントの様なウソです、素人衆は決して信じない様にね)
戦史系ウソ話(ジョークで済む範囲のウソ戦史にして下さい。大量虐殺や非人道的なウソ話は禁止します)兵器系ウソ話(解説又は突っ込みでホントの話しを書く時は最後に(ホント)と記述して下さい)
 ええと、異様なまでに盛り上がりすぎたこのツリーですが、このたび専用の掲示板を用意しました。http://www.platon.co.jp/~vought/BBS/petit.cgi 問題のないようでしたらこちらをご利用ください[小笠原]

↓所謂「ばらさ」の語源となった十二神将ですが実は仏教初期には十三神将だったのを御存知でしょうか。問題の「伐羅折大将」のほか、「茶女権大将」というのがあったのですが、十三という数が十干十二支に当てはめる上で不都合だったことや、護法眷族となってからも何かと仏陀に反抗的だったという伝説も加味されて、この「茶女権大将」は何時の頃からか、脱落していったそうです。故中村元博士から直接伺った話なので間違いないはずです。(桃水軒)

今日、子供と一緒に国立博物館の特別展で南北朝期の怪大名、佐々木道誉の兜を見てきました。見事な作りで、道誉の好みを反映して黄金に輝く縦三連の角が印象的した。道誉はこれを常に着用した様で、足利尊氏の前でも全く臆せず「ばらさ、ばらさ」といった態度であったと解説にありました。 BUN

現在全国各地で未確認宗教体による市民の拉致及び殺害事件が相次いでいる中、京都市の六波羅蜜寺境内の古井戸跡から一着の襤褸が発掘された。奇妙に保存状態のよいその襤褸を発見者の五代綱吉なる謎の青年が着用したところ、異形の姿に変身。華麗に踊りながら相手を倒す、「踊拳」を駆使し、京都府警の一条兼良刑事と協力して未確認宗教体と凄絶な戦いを展開することとなった。決め技は南、無、阿、弥、陀、仏の六字の偈であり、彼がこれを叫ぶ時、如何なる未確認宗教体といえども忽ちにして消滅するのだった。人々はこの伝説の戦士を、仮面ライダークウヤと呼んだのである。(桃水軒)

戦史ネタとは直接関係がないが、史学上重要な話なので記録する。日本書紀斉明天皇元年(655年)五月一日の記事に、次のような奇妙な記述がある。曰く、大空に龍に乗った者が現れ、顔立ちは唐人に似ていた。また油を塗った青い絹で作られた笠をつけ、葛城山の方から生駒山の方角に向かって飛翔し去った云々。この者の正体が何であったかは長年に亘って謎とされてきたが、近年、これは未来戦隊タイムレンジャーの隊員、タイムブルーが愛機のタイムジェット2に搭乗して飛行している姿を、瞬間的に発生した時空間のずれによって当時の人々に目撃されたのであろうという説が史学界の定説となりつつある。しかし梅原猛博士は、問題の人物の着衣、笠が青い絹製のように見えたこと、及び同記事後の「一書に言う。その者が飛び去る時、巴滅瑠句、羅瑠句、羅利魯利、発夫」と聞こえる呪文が空を覆った」という記述の2点から、おジャ魔女の妹尾あいこが時空を超える魔法をかけた姿が現じたのではないかという大胆な推理を発表した。だが史学界は、おジャ魔女が時空を超える魔法を使えたと明記された史料が存在しない以上、想像の域を出るものではない、と梅原説に否定的である。(桃水軒)

↓ずっと下の方、広瀬中佐と杉野兵曹長の話。週刊モーニングNo.22, 23 の「天才 柳沢教授の生活」にあの歌(タイトル忘れた)とエピソードがちょっと触れてあるんだけど、フツウの読者(?)ってこのくらいの説明ではちんぷんかんぷんじゃなかろうか?(ウマシカオ)

ダグラス・マッカーサーは、パーシング元帥の愛人を寝取った罪のせいか、ジャパンというまつろわぬ一族を征伐するよう大統領に命令され、故国を追われるようにジャパンへ向かった。そしてジャパンを智謀で見事制圧し、族長のシゲミツから、「我らは強い男のことをタケルと呼びます。あなたは世界一強いと思っていた我々を倒したもっと強いお方、以後は何卒マカサタケルと御名乗り下さい。さすれば我らの命はあなた様の中で永遠に生き続けるでしょう。」と乞われ、快諾するのだった。しかし大統領はなぜかその武功を快く思わず、マカサタケルに引き続き韓の国造、イルソンを討伐せよと命令。タケルは止む無く従うが、彼の地で罠にはまり、釜山で火攻めにされ絶体絶命となる。その時彼は吸っていたコーンパイプの火皿から周囲の草に火をつけて風向きを変え、逆にイルソンらを潰走させることに成功。タケルは「このコーンパイプはよいパイプだ、以後このパイプを草薙のパイプと名づけよう!」と叫んだのだった。だが逃げたイルソンを追って敵陣深く攻め込んだ白頭山中でマオの神が降らせた激しい雹にやられ、病気となって元山へ撤退、その地で故国を偲びつつ寂しく没する。だが人々が見守る中、墓の中から白鳥になったマカサタケルが現れ「消えていく老兵、それがこの、わたしだァー」と見栄を切り、遥かな太平洋の彼方へと飛んでいくのだった。「米利堅書記」にあるこの有名な話を梅原猛が脚本にし、市川猿之助が舞台に仕立てたのがスーパー歌舞伎「マカサタケル」なのである。(桃水軒)

↓嗚呼・・・桃水軒大兄まで・・・桃水軒大兄までえええぇぇぇっ!!(号泣雪風2)

戦史ネタではないが、ワーグナーについて誤解があるようなので一言。ワーグナーは戦後「トリスタン」を作曲したが、ナチ戦犯追及の詮議が身辺に及ぶようになってドイツにいられなくなり、友人のL・ストコフスキーを頼ってアメリカに渡った。名前もロバートと変え、ストコフスキーのコネでハリウッドにもぐりこみ、トニー・カーティス、ロック・ハドソンらと共に新進二枚目スターとして颯爽と銀幕にデビュー。いろいろな映画に出ていたが、暫く前に英国の名優、故リチャード・バートンの伝記映画にバートン役として出演、絶賛を浴びた。(ちなみにリズ・テーラー役はヴァネッサ・レッドグレーブだった。)この功で英国王室から異例のナイトを叙爵されることとなり、現在ではサー・ロバート・ワーグナーとして有名である。そして彼のファンクラブの会長がかのジョージ・バーナード=ショウであったことは知る人ぞ知る秘話である。(桃水軒)

女性用生理用品のタンポンは第一次大戦で前線での止血栓として開発されたものが戦後大量にダブついたために転用されたのが始まりである(確かホントの話だけど、手元に裏付ける資料がないので詳しい人、フォロー乞う;ウマシカオ)

ホワイトヘッドって、「にきび」の意でしたよね?かわいそうな名前・・・「モーターヘッド」とかならかっこいいのに。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくるとラップ男爵は実在の人でオーストリア海軍の英雄です第1次大戦では潜水艦の艦長を勤め魚雷の実用化に貢献した人だそうです ちなみに魚雷の発明者はトラップ男爵の最初の妻の祖父ホワイトヘッド博士だそうです(これホント) 8bd

↓そうそう、如水さん。書き忘れましたが、「第二次大戦後ワーグナーがトリスタンを作曲した」とかいうようなお話のことを、江戸小咄の世界では「小野道風の和漢朗詠集」などと申します。(桃水軒)

↓↓如水さん、実は私の高校時代の友人に「ワーグナーは大嫌いだ」というのがおりましてな。理由を聞いたら何でもそやつの出身中学の音楽教師が「ワーグナーはヒトラーに阿って作曲した、ナチの御用作曲家だ」と言ったからだそうです。その話を聞いて私は、異常に長命なのはワーグナーか、はたまたヒトラーの方か、真剣に調べてギネスブックへ申請してやろうと考えたものですよ。(死ぬまでに一度バイロイト聖地巡礼を果たしたい桃水軒)

↓↓おそらく司法試験のような国家試験を受験されることと拝察致します。どうか精進を重ねられ、見事状元の誉れを勝ち得られんことを、そして再びここに戻られるんことを陰ながら切にお祈り致しております。ちなみに私はワグネリアンでも研究家でもなく、ただのワーグナー好きであります。そしておジャ魔女どれみでは妹尾あいこちゃんが好きです。(桃水軒)

↓↓残念、ワーグナーは生きていないのです。(1883年死亡)しかし、とあるフランスの小説を読んでいた演出家がその悲劇性を上手く作り変えて、あるミュージカルに仕立て上げました。それが『オペラ座の怪人』なのです。(ウソ話に混ざりたかった如水)

↓×4ニュルンベルクネタなら私です。桃水軒様の各種ワーグナーネタを拝読させて頂きましたところ、大兄はかなりのワグネリアン(それとも、ワーグナー研究家?)でいらっしゃるとお見受け致しました。このネタで盛り上がりたいところですが、実は私は受験生で試験が間近(5月/7月)に迫っておりますので、暫く書き込みは禁止することに決めており、あのネタが最後の書き込みの予定でした。ですので、誠に恐縮ではございますが、そのあたりの事情をご配慮頂ければ幸いに存じます。最後に、今後の大兄のさらなるご活躍を心からお祈り申し上げます。「名乗るほどの者ではございません」より

独ソ不可侵条約が破棄された真の理由と、ヒトラー、スターリン、エヴァ・ブラウンを巡る三人の悲恋物語を御存知だろうか?戦後半世紀を経て今漸く明かされる歴史の真実をご紹介しよう。エヴァ・ブラウンは一般にヒトラーの愛人として知られているが、それは大きな誤りである。実は彼女はヒットラーが独ソ不可侵条約を補強するためにスターリンの愛人とするべく送った人身御供だったのである。そしてヒトラーは彼女を送るべくワルシャワへ着いた所、エヴァの女中がスターリンに飲ませるための惚れ薬を誤ってヒトラーとエヴァに飲ませてしまうという椿事が出来したのであった。エヴァはそのままモスクワに到着したものの、霊験あらたかな薬のおかげで愛しいアドルフを忘れる日々とてなく、それはまたベルリンの総統とて同じ事であった。やがてヒトラーは別離の悲しさに耐えかね、ポーランドを攻略してワルシャワを彼女との逢瀬の場に選び、事あるごとに密会は続けられたが、悪いことは出来ぬもの、二人の仲はやがてスターリンの知るところとなった。当然スターリンは背信行為として激怒し、独ソ不可侵条約を一方的に破棄しドイツ南部へ蹂躙攻撃を開始した。ドイツ軍が最初に侵攻したとするのはソ連側の宣伝工作に過ぎない。しかし戦局はドイツに利あらず、そして敗色濃い1945年5月のベルリンで総統は愛しいエヴァを思いつつ死を待つばかりであった。その時モスクワではエヴァの女中が良心の呵責に耐えかねてスターリンに惚れ薬の一件を白状に及んでいた。冷酷に見えるが根は優しいスターリンは事の真相を聞いて二人にいたく同情し、エヴァをヒトラーのもとへ返すことに決め、ジューコフ元帥を伴って一路ベルリンへと向かった。戦車が総統官邸に着くや、エヴァはヒトラーの隠れる地下壕へ飛び込んだが時既に遅く、総統はエヴァの到着を幻に見つつ、息を引き取ったところだった。エヴァは悲しみに暮れ、壮絶な「愛の死」を歌い上げた後、傍らに崩折れ、ヒトラーの後を追った。残されたスターリン達は、愛の強さと死に感動し、その場に立ち尽くすのみであったと言われている。戦後この話をジョン・トーランドが壮大な叙事詩にしたものをリヒャルト・ワーグナーが読んで感動し、出来上がったのが楽劇「トリスタンとイゾルデ」であることは、著名なワーグナー研究家の間でも意外に知られていない事実である。(桃水軒)

先の大戦において第三帝国は実は勝利するよう運命付けられていたのだが、ヒトラーの些細な嫉妬から、ドイツの運命は暗転したのだった。今その真実をここに語ろう。ヒトラーが姪のゲリを溺愛していたことは有名だが、ゲリも年頃。やがて男の影がチラつくようになるのも若い娘のこととて無理からぬ話であった。しかしヒトラーは激怒。なんとか男の名前を吐かせようとゲリを苛んだが、実はゲリ自身も男の名前、出身を知らないのだった。しかしそんなことで引き下がるヒトラーではない。ゲリをして漸く男の名前を聞き出すことに成功したのである。しかしその謎の男は名前をゲリに告げると、ドイツは東方の国と戦争になり勝利することを予言、また形見として角笛と剣と指輪を手渡して忽然として消え去り、ヒトラーが殺し屋を送り込んだ時は後の祭りだった。そこでヒットラーは地団太踏んで怒り狂い、予言などタワ言と決め付け、ゲリから角笛と剣と指輪を取り上げ処分してしまったのである。ゲリがこの悲恋を嘆き悲しみ自殺してしまったのは衆知の事実である。さて時は流れて陥落寸前のベルリン。官邸の地下壕で拳銃を片手にしたヒトラーの脳中をかつての出来事が走馬灯の如く蘇った。確かドイツの勝利を予言した妙なヤツがおったっけ…。ヤツの名は…ヤツの名は…。ヒトラーは突如愕然とし、やがて肩を落として拳銃の引き金を引いたのだった。秘書の女性が最期に聞いた総統の言葉は「ロ、ローエングリン…」だったという。(桃水軒)

ドイツ敗戦後、ナチ戦犯は皆南米へ逃げたとされているが、これはモサドの眼を逃れるための欺瞞工作だった。今漸く真実を語ることが出来るのだが、まさに燈台下暗し、彼らはなんと東ドイツはアイゼナハ付近の山中深く潜伏していたのである。そこは総統がかつてヴィニフレート・ワーグナーから密かに教えられた地下の隠れ家で、ヴェーヌスと名乗る謎の女主人を中心に大勢の美女が侍るこの世の天国だった。そこへ逃れたナチ幹部は毎日酒池肉林の限りをつくしていたが、やがてそんな荒廃した生活に耐えられなくなる連中も出始め、思わず「聖母マリアさま、助けて!」と叫んでしまった。そしてハッと気が付いたら、そこはなんとテルアヴィブの裁判所前だったという。こうして捕まったのがアイヒマンやメンゲレなのである。ボルマン他の連中がその後どうなったかは定かではないが、一説によると1993年に南アルプス山中で氷河の中から見つかった古いミイラがあるいは精気を吸い取られたボルマンの成れの果てではないかと言われている。(ニセタンホイザーこと桃水軒)

↓×7 そして軽巡ニュルンベルクの艦長は必ずハンス・ザックスという名前を名乗ることになっていたのだが、同艦上で開催されたバイロイト戦時特別音楽祭には実はこんなエピソードが伝わってる。折あしく天候不順でピッチングとローリングを繰り返す艦内で楽団員は必死に演奏していたが、フルトヴェングラーのタクトがあまりにフラフラするので、めまいを起こし、ついに耐え切れず嘔吐する者が続出。指揮者は急遽ヘルマン・アーベントロートに交代したそうな。(ワーグナーネタを出された方、御見事!是非是非御名を承りたく。ベックメッサーこと桃水軒)

↓すみません、これ右に書くべき内容でした。

大和が46cm砲を搭載した理由は、赤外線センサーを内蔵した有翼誘導砲弾のサイズが直径45.5cmだったことによるものである。

ポーランド軍がドイツ軍に蹂躙されてしまったのは、ドイツ軍には機甲部隊なぞ存在せず、あるのは大量の農業用トラクターだ、とポーランド諜報部が判断し、その判断をもとに上層部が戦車を歩兵支援にまわしてしまったからである。もし彼らが7TPの代わりにマチルダ2世を所有していれば問題はなかっただろうが・・・

日本海海戦時、戦艦火力の劣勢な日本海軍は優速を生かした衝角戦法でロシア艦隊を翻弄し、これにより列強海軍は再び衝角の有効性を再認識するに至った。その中で日本海軍は従来の固定式衝角に代わり回転式大型衝角(ドリル)を艦首に装着した蒸気タービン式高速戦艦を建造、大型ドリルと高速力を武器にした衝角戦法は従来艦の2倍の威力を示しレシプロ固定衝角の在来戦艦を一夜にして旧式化させた。これに驚いた列強は競ってドリル装着の新戦艦を建造し、これが「ド級(ドリル級)戦艦の時代」と呼ばれ、さらに巨大ドリルや連装/3連装ドリルとエスカレートした超ド級(超ドリル級)戦艦へと発展、第一次大戦後の軍縮条約に於いて「ドリルの軍事利用全面禁止条約」が決議されるまでの間、各国で熾烈なドリル艦建造競争が繰り広げられた。(建艦史って右かな?)

↓なお、この施設を生き延びた生徒の中には、のちに全国規模の同人誌販売店ネットワークを開いて有名になった者もいると言いますが定かではありません。

↓↓その教育施設では将来戦線が南方に広がることを予想しジャングル戦の演習まで行いましたが、寒いドイツではどうしても環境が構築できず「草も木もない」状態で訓練が行われたそうです(ささき)

ワグネリアンだったヒトラーの命令により、独軽巡ニュルンベルクには職匠歌手が乗船することが義務付けられた。戦争中は空襲を避けるためバイロイト音楽祭はここで開かれたのはあまり知られていない。

↓補足,ただし,この施設出身で,その優秀な技術力を活かし成功した例も多く,交通事故遺児の施設に匿名で多大な寄付をしていた人物の例などが知られている(虎ノイ)

ドイツ軍は難解・困難な重戦車の整備士を育成するために,占領地から少年(戦災孤児が多かった)を集め,英才教育を施していた。その実習教育は多数の死傷者がでるという苛烈を極めたもので,脱走者が続出したが,監視の目も厳しく成功者は居なかった。この施設は有名な重戦車の名前から「タイガーの穴」と呼ばれ,恐れられていた。(虎ノイ)

↓ここで問題です。このナイスガイ4人組みの一連のエピソード、“ウソ”か“ホント”か!?(雪風2)

↓この時、二人は予感ではなく確信を抱いていたそうです。「本来不要な気苦労をするのは私たちだ。だが、有名になるのは間違いなく彼等だ」

↓“お守り”を命じられたスプルーアンスとブラッドレーは、互いの肩を抱き合いながら嘆いたと伝えられている。

ハルゼーとパットンがそれぞれ大西洋と太平洋に分けて派遣されたのは二人の喧嘩を恐れたマーシャルの配慮であった。

大戦末期、アドルフ・ガーラントは各戦線からエース達を集めたJV44を編成して連合軍空軍に一矢報いようとしたが、その多くが45年3月春休み公開予定の「復活エース」だった為に意外と弱く戦局に寄与するところが無かったという。

↓↓、↓信濃に米が積まれていたのは私も知っていました。でも、信濃は米潜の雷撃により沈んだのではないそうです。実は浜名湖付近の養殖池から逃げ出した巨大ウナギがいたそうですが、食料の配給のあまりの少なかったのでいつもお腹を空かせており、たまたま通りがかった信濃の船底に食らいついて穴をあけ、その結果浸水がひどくなって沈んだそうです。おそらく乗組員が巨大ウナギと魚雷とを誤認したのだと思います。

↓新兵が消火栓と間違えてキングストン弁を開けてしまったとか。

横須賀から呉へ回航中の不沈空母「信濃」が潜水艦の魚雷如きで沈んだのは,台湾へ輸送する予定で艦内に大量に積まれていた米(銘柄はサクラ)が浸水により膨張した結果,艦底に大きな亀裂を生じた結果らしい。(虎ノイ)

地中海の東の方に港町イスカンダルがあり(コレは本当)、現在コスモクリーナーを製造しながら大和の到着を待っているらしい(コレはウソ)。 山本 瑞鶴

しかし,「実は生きていた杉野が関東軍の特務機関として働いていた」というのは,どう考えても作り話のような気がします。(こういう話は「ホント」を付けるべきなのか?虎ノイ)

下の「杉野」気になって調べたら,まったくのデマでは無い事が判明したので,一応そういう噂がある事に関しては「ホント」としておいてください。マジで本まで出てました。(↓のとおり)http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/old/98_1206iij1.htm(虎ノイ)

↓「普通の戦車になりたい」という解散コメントを出しましたね(こてらじ)

↓この間,飲み過ぎた時に見たビデオでは「ピンク・パンター」では無く,同色のフェルジナント駆逐戦車の方が登場していたような気がします。(虎ノイ)

先の大戦中パンターを全面ピンクに塗装したピンク・パンターが東部・西部両戦線で大活躍しました。この戦車の活躍振りを戦後30年を経て映画化したのがかの「ピンク・パンサー」なのですが、ご存知の方はいらっしゃいますか?

↓その話は僕も聞いたとがあります。これは日本の話ではないのですが、ベルリンを脱出し南米に逃れたヒトラーは、さらにナチ・ハンターの追撃をかいくぐって蒙古へわたりチンギス・ハンになったと聞きました。もしかしたら、↓の話の元ネタかもしれないので、書いておきます(こてらじ)

旅順港閉塞のため沈められた福井丸で,残った部下を3回捜索して戦死した広瀬中佐の話は有名であるが,件の「杉野はいずこ?」と捜された杉野兵曹は,船が敵の攻撃を受けた際に海に落ちておりその後,岸まで泳いで助かっていた。しかし軍は,杉野を広瀬ともども戦死として扱っており,中佐の美談にケチがつくことを畏れて,この事実を隠蔽,日本への帰国を許さなかった。こうして杉野は満州で妻をめとり,今も彼の子孫が中国に生きているそうである。(というヨタ話を酒の席で聞いた:ひょっとしてホントか?虎ノイ)

↓師匠、朝から強烈すぎます。こんど仲間内で披露しとうございます、よろしいでしょうか?(雪風2)

うん、聞いたことがある。 淵田隊長の言葉は素朴で温かみがあり、赤城の便所には「トイレ用日めくり」があったとのこと。「決戦だもの みつを」 BUN

真珠湾攻撃の奇襲成功の発信暗号には有名な「トラ・トラ・トラ」の外にも「ナハ・ナハ・ナハ」でいこうという意見があり,淵田みつお隊長は特にこれを押していたらしい(コレはパクリです:虎ノイ)

↓ 失礼、PC版ではなく、PS版の方でした(汗)

昨年の某国の不審船の目的は、偉大なる首領の直々の命令により某PCソフトを発売日に手に入れる為だったらしい (ホント…かな?)

本日海幕の廊下で立ち聞き−千葉すずはやはりシドニーに向かうとの情報入手。港外より海自のSSから発進の模様。バック出来るのか?千葉すず! 必ず帰って来い! BUN

EVAとは、船外活動の事って答えるのが教養ってもんです。(N)

「ワレ奇襲に成功セリ」の略電文は阪神ファンが作った(無頼庵)

↓山本 瑞鶴

扶桑の最後を描いた作品が「日本沈没」・・・・

死の床にあったフッドの生き残り乗員に「ビスマルクはまだ沈みませんか?」と尋ねられた将校が「今ソードフィッシュが魚雷を当てたぞ,もうすぐだ!」と答えたところ,その水兵は安心して息を引き取ったという(虎ノイ)

漏えい等が問題となっている自衛隊での昇進試験だが、その漏れた問題というのは一般教養に関するもので、EVAという言葉の意味を問うものであった。この問題について受験した者の大半は経済的付加価値と解答したが、実をいうと正解はエヴァンゲリオンであった。作問者はどうもアニメオタクだったらしい。で、結局漏えいは合否には影響しなかったとのことである。DEK

↓↓私の祖父は「ぎょうにんべんがとれてからあの薬は効かなくなったんじゃ。」とプンプン怒ってましたっけ…。

函館へのMig-25亡命事件は有名だが、日本でも自衛隊機の亡命未遂事件なら存在した。1962年9月24日に松島基地をT-33が離陸しようとしたが失敗、オーバーランして止まった。パイロットは同基地の整備員で、生まれ故郷の中国に行きたかったというのが亡命の理由とのこと。事件発生当時この事件はひた隠しにされたが、初公判を機会に公表された(これは正真正銘のホント)。DEK

正露丸はもともと「征露丸」といわれていた。ロシアを倒すとの意味があったのである(これは正真正銘のホント)。DEK

北朝鮮の燃料不足は深刻である。空軍もその例外ではなく、飛行訓練が全く出来ないでいる。そこで苦肉の策として飛行機のプラモを片手に持っての模擬飛行訓練がなされている。「ヒュー」「ダ、ダ、ダ、ダ、ダ!」「バァーン!!」あまりに可哀想なので麻薬の密輸だけなら見逃してあげてもいいかなと、つい思ってしまう。(ちょっとやばいって?ゴメンなさい)

沖縄戦の真っ最中、日本刀でM4シャーマンに立ち向かい砲身や履帯を切り刻んで戦闘不能にする日本軍人が目撃され米兵を恐怖に陥れた(ただし決して無用な殺生はしなかったと言われる)。なんでも大昔に釜茹の刑にされた大悪党の末裔らしい。

山口少将は真珠湾奇襲が成功し離脱する時の暗号として「ワレ,今はわいヲ去ラントス,用無キヤ?」という電文を用意していたが,第二次攻撃が行われなかったので,「まだ用事は済んでないのに!」と不満を漏らし,この電文は発せられなかった。(虎ノイ)

バトルオブブリテン時、次々と駆逐されるBf110の報告をうけたゲッペルスは、「私たちの飛行機には、どこか、ひどくおかしいところがある」とつぶやいた。(こてらじ)

様々な物資の欠乏に悩む北朝鮮だが、その問題の解決を一挙に図るために「なんでもポケット」を持っているドラえもんを拉致しようと計画しているとの噂がある。昨年の例の不審船はその偵察のために日本近海にやってきたらしい。

戦争中インド独立運動の指導者チャンドラ・ボースは潜水艦でドイツから日本へとやってきたといわれているが、実はドラえもんの「どこでもドア」でやってきたというのが本当らしい。DEK

↓え、うそぉ?ホントは、実際に三機とも主翼上で新兵に曲芸をやらせたんだけど、さすがにシャレにならんとアセった笹井中尉が必死にもみ消したって聞いてますよ。(雪風2)

坂井三郎の「敵前宙返り」は、本当は飛行中の坂井機の主翼上で小隊のメンバーが曲芸を行って敵をビビらす予定だったが、零戦の強度不足で小隊機の宙返りに変更となった。(無頼庵)

ドイツ軍がスエズ運河奪取を目指したのは、イギリスにとって最大の戦略物資である「お茶」を遮断する為であった。またバトルオブブリテン時においはお茶買い占めがイギリス各地で発生したが、ドイツスパイの仕業である。

枢軸国、連合国の首脳も第二次世界大戦の戦局を決める重要な決定事項は占い師が決めていたらしい・・・・・・

 そいと、この設問を企画された方。よろしければお名前ください。新コンテンツ企画の功績で、F4Uさんからwarbirds十字章が授与されます(ウソ)[小笠原]

 ↓ずっと下のBUNさんの、日本最後のエレファントの話ですが、これは自分も小学校の教科書で読みました。たしか係員がタ弾を刺して毒を注入しようと試みるんだけど、装甲が厚すぎて撃ち抜けなかったんですよね。ぁぁ、思い出したら涙が‥‥[小笠原]

ソ連の戦車、KV1のKVはてっきりクラースヌイ・チャスラフスカ・ロージナ・ウリャーノフ(制式標準装甲戦闘車両)の略称かと思っていたら、何のことはない、クレメンティン・ヴォロシーロフのイニシャルだと知った時は、さすがに足の力が抜けちまったぜ。(ホントだよ、疑ってるだろ桃水軒)

↓とにかくです!!ティーガー、パンターまでは目を瞑りますから、ちゃんと“エレファント”って教えてあげてくださいよっ!!あんまりにも、不憫ですよぅっ!!(雪風2)

↓もはやフェルディナント云々に関してツッコミを入れる気力はありませんけど、お子さんにウソを教えなかったでしょうね、ウソだけはっ!!(雪風2臨出で帰省できないよう)

私は眠らない。今野毛山動物園(入園無料、ティーガー、パンター、フェルディナントありの優れモノのミニZOO)から帰って来たところじゃい。 BUN

↓師匠、掲示板の発言はどうなさるおつもりですかっ!せっかくの連休、奥さんとお子さんはっ!!(雪風2)

続ける気は無いのですが、誤解は解きたく思います。「戦車で喫茶店に入るか」との反論がありましたが、戦車「と」喫茶店に入るのです。しかし、近頃は、一号やテケ車などあまり小さい戦車を連れ歩くと誤解されかねません。また、極端に古い戦車(マーク1菱形戦車)と一緒にいると「マザー」コンプレックスを疑われたりもします。やっぱり出るところの出たパットンあたりを「キングタイガーにそっくり・・・」等と口説きながら食事をするのが健全な青年というものでしょう。似てなくたって良いじゃないですか。戦車は写真で見るだけ、といった二次元コンプレックスや、戦車と向き合っただけで取り乱して退却してしまう戦車パニックに陥るよりは、むしろ微笑ましいと思いますね。 BUN

つーかこのネタいつまで続くんですか(Yasuharu)

パンツァーファーストの議論に関し、偽善的なものを感じます。「私は戦車を愛している。」と主張する人物に限って、その戦車の家柄や経歴に変にこだわっています。中には、戦車の容姿にしか感心が無い輩などもいて、陰では「一度でいいから乗ってみたい。」「発射してみたい」等、下品な事を口にしているようです。これは私の偏見で、そんな人は少数なのかも知れませんが…byどんべ

(では便乗して戦車マナーな話し)74式戦車はレストランで席に着くと姿勢を低くするので「礼儀正しい」と外国でも評判は良い様です。行儀が悪いのがスェーデンのSタンク、相手の戦車と話す時にいちいち車体ごと向き直るので「落ち着きが無い」と言われています。

(戦車優先文化でも・・)マウスだとドイツのお店でも入店拒否をくらいませんか?、それからチハ車系列の日本戦車はディーゼル臭いし店内でもやたらうるさいので外国レストランでは嫌われるそうですよ。(TS)

↓フツー戦車で喫茶店に入るか?

↓でもオイ車とかに先に入られるとなんかハラ立つぞ(Yasuharu)

↓でも伝説の“四式中戦車”とかだったら、たこ殴りにされていたかもしれません。(FIX)

 私はブリキの弁当箱と喫茶店に入った覚えがありますが――別に先に入っても何も言われませんでした。日本ではパンツァーファーストの文化が育ってないようです。(FIX)

失礼ですが、女性の話をしているのではありません。 戦車優先(anzer first)の文化について話しております。ひょっとして元帥は一度も戦車とレストランに入ったことが無いのではありませんか。もし、戦車とホテルやレストランに入る機会があったら戦車を先に入れないと恥をかきますよ。 BUN

↓ずっとずっと下。BUN偽元帥さんへ。レディファーストとパンツァーファーストは全然違います。レディファーストの方はLadyfirstと綴り、パンツァーファーストの方はPanzerfaustと綴ります。Faustというのはドイツ語で“拳”という意味の女性名詞です。複数になるとFausteになり、aはウムラウトになります。こういう女性名詞は希にしかなく、この単語はけっこうやっかいです。BUNさんが僕の文体をまねしているのに気づいた時は、モノマネ芸人に真似されている人達はこういう気分なんだろうな〜、と思いました。面白いので許します。(海軍元帥)

↓はて、P-49(XP-49)はロッキードがP-38の発展型として開発したもので、ナセルを延長しコンチネンタルV-1430(1540hp)を搭載したタイプですが、試作一機にとどまったはずです(これはホント;ささき)

なるほど、だからP49で空戦を行うとなると高高度からの突っ込み、別名「雷撃離脱」しか方法がないわけですね。

↓肉食のフォッケウルフ系とかも結構強い。マスタングも平原にボーッとしてたら雷電の落雷があるかも。

 マスタングが強さを誇ったのはパイロットの意思を無視して野生のカンや本能で敵弾を回避したためである。やはり草食動物だけあって視界の広さには隔絶した物があったようだ。なお、これらを仕留めるには牧草を食んでいるところや水場で失速ぎりぎりを保って待ち伏せする技量を要求した。末期の枢軸国はエースを失い、マスタングに対抗する術はなかったのである。(SADA)

分離・合体機に関しては我が日本機も負けてはおりません。中攻・陸攻胴体下に特殊ロケット戦闘機をぶら下げて,大陸奥地に侵攻するという計画がありました。しかし,零戦の驚異的な航続能力の前に,分離後の合体が困難な親子飛行機の計画は断念されたのです。しかも戦局の悪化に伴い,特攻機として再び登場し,悲運の飛行機となりました。(胴体下につり下げてちゃ爆撃できない等と野暮は言わないで:虎ノイ)

↓それは比較的有名な話ですが、He111ZがHe111二機Ju87一機による3機合体(合体後Ju87(エンジン以外)は滑空で基地まで帰還する)であったことは以外と知られていません(弥空)

P−51が片翼を折りたたんで左右合体できることは皆さんご存知ですよね

↓×22 そうか、オランダ人はジャワ帰りだったのか。やっとわかったぞ!オランダ人が何回上陸してもフラれ続けたわけが。つまり彼は7年に一度必ずナシゴレンやミーゴレンが食いたくなって上陸するんだけれど、ヨーロッパの娘達はそんな料理聞いたこともないから、誰も作ってくれない。そこで頭に来て呪いをかけまくってたんだけど、たまたまゼンタがノルウェー人にゃ珍しいエスニカンでお互いのセンスがドンピシャ!かくてオペラはハッピーエンド。よっしゃ!こんどその演出プランをヴォルフガング・ワーグナーに売り付けに行こう。クップファーなんぞに負けるもんか!(桃水軒)

 常識的な話題で恐縮ですが、Ju88とFw190はドッキングが可能です。ドッキング後、数段強力になるのも、ご存知の通りです。

米軍は英軍のトールボーイに対抗してリトルボーイを作ったが桜花をバカボムまたはチェリーボーイと呼んでいた。

ロシアが公開したヒトラーの頭蓋骨はベルリン動物園にいたゴリラのものらしい。

ソ連軍が大量の毒ガスを保有しているとの情報を得たドイツ軍は,戦場に撒布された毒ガスを早期に無力化すべく,洗浄液を散布する車両を開発した。重装甲車両である必要は無かったので,ポルシェ博士により国民車として開発が進められていたフォルクスワーゲンが改造された。車体の後部にG3ガス洗浄液のタンクと散水用の漏斗(ファンネル)が取り付けられ,キュベレ・ワーゲンと名付けられ,東部戦線に投入されたが,幸いにも毒ガスは使用されなかったため,戦場の足として有効に活用されることになった。(虎ノイ)

現在でも謎とされる零戦の航続距離ですが、実は日本海軍は空中給油を実用化していたのでした。また一式陸攻はもともと雷/爆撃機として使用可能な空中給油機として開発されたもので、それを主力攻撃機として使用した結果が実戦での多大な損害です。(弥空)

↓おもいっきりゴブリン(実在)を思い出すな。

B−29とP−47の部品互換は有名な話です。元々P−47は,長距離侵攻を行う戦略重爆に護衛の戦闘機を付けられない(当時は単座戦闘機による護衛は不可能だった)ため,1番と4番のエンジンにパイロットを乗せておき,いざという時には分離して敵の迎撃機を蹴散らそうというアイデアから産まれた戦闘機だったからです。しかし,いざ分離には成功しても戦闘後の合体が非常に困難な事から,この計画は断念されましたが,その強力なエンジンと搭載力を活かして,対地攻撃も可能な戦闘爆撃機として完成したのです。(虎ノイ)

B−2爆撃機には、反重力エンジンを搭載しているという噂があるが、それは間違いで、永久エネルギーを使用したエンジンを搭載しているらしい。

B-29とP-47のエンジンカウリングは互換性があり、両機の間では戦場でボルトオンで交互に装着可能であったそうな(なんかの本に書いてあったらしい、当然ウソ)

F6Fは設計当初、R2600エンジンを想定していたものの、量産機ではひとまわり大きいR2800エンジンに切替えられた。それにもかかわらず、3面図に違和感は無い。このように大きいエンジンへののせかえを想定して胴体最大断面積をカウリング部より後方にもってきたきっかけは、諜報活動によって空技廠の実験結果を得た為だと言われている。(SADA)

日本が世界に誇った93式酸素魚雷は,酸素の使用により魚雷が高速化した>あまりに高速のためスクリュー表面に気泡が発生し,効率が低下した>仕方なく回転数を下げ,スクリューを大型化する事で問題解決を図った>大型化したスクリューの回転直径が53cm以上になり,発射管に納まらなくなった>発射管を大型化したら,魚雷が細いままでは発射出来なかった(当然だな)>仕方なく,魚雷も61cm径へとワンサイズ大きくした。という経緯で,列強の魚雷よりもサイズが大きいのだが,この事実は意外と知られていない。(虎ノイ)

↓↓聞いた事があります。イタリアの伸縮翼にヒントを得た構造だそうで離発着時に直径3.5mのプロペラが飛行中は直径5.5mに伸びたそうです。(ただし油圧の伸縮機構にはトラブルが多かったとも聞きますが)

「エレファント」と言えば、英国捕虜が整備を任された「エレファント」を持ち逃げして敵中をスイスへ逃げる戦争映画がありましたね。

F4Uの発展形、F2Gはその大出力を吸収する為にF4U以上の大直径ペラを選定したが、地面をすってしまう事が判明。ペラ伸縮装置を新しく開発する事で事無きを得たと言う。(SADA)

F6F のニックネーム「ヘルキャット」は地獄猫という意味ではなく、帝国海軍の隠語「ヘル」つまり「助平猫」という意味だった(ささき)

↓「ハリマオ」こと谷豊が民間人の身ながら特務機関として強行偵察用にタイガー一両を運用していた、という記述を読んだことがありますが(ささき)

そういえば先の大戦中日本は朝鮮半島やマレー半島にタイガーを配備していたそうです。そして、マレー半島において、かの島田戦車隊によって英軍戦車を多数撃破したのが実はタイガーの初陣だったといわれています。ちなみに、今日でもそれらの地方では、野生化したタイガーが残存しているといわれています。また、ロシアは旧ソ連が鹵獲したタイガーを未だにシベリアに配備している他、インドでも多数のタイガーが残存しているらしいです。

↓しかし、そこへ未来から猫型ロボットと少年が現われ、エレファントを故郷のシュヴァルツヴァルトに帰してあげたのです。数十年後、往年の軍国少年(戦車好き)がドイツ旅行中にシュヴァルツヴァルトで行き倒れた際、野生に帰ったエレファントの姿を見たといいます。

日本に一両だけあったエレファントの最期の話は、何度聞いても目が潤みます。悪化する戦局の下、空襲時の暴走を避けるために解体されたのですが、エレファントは最後まで毒の燃料を給油させず、哀しい目で健気にも信地旋回などをして見せ係員から燃料を貰おうとしたらしく・・・・ああもう、涙で書けない。 BUN

しかし、エレファントを開発したのは「日模」ですよね?

タミヤ模型の社長は「ガソリンエンジンで発電器を回してモーターで駆動するようなポルシェティーガーがなければ、リモコンのプラモデルをつくろうなどとは思わなかった」と述懐していたそうです。

オランダは広大な東南アジア植民地の警護に巡洋艦、駆逐艦を配備していたが、低い乗員の練度と低性能で信頼性の低い艦船のため、しばしば漂流し行方不明に、あるいは時に幽霊船になったという。これが歌劇「さまよえるオランダ人」である。

往年のモデラーの友、ミニベビーモーターは次の東京モーターショーで復活する。 BUN

行方不明になった潜水艦は海流に乗って世界中を漂流しているらしい。

↓しかし、当時の電動モーターは信頼性が小さく、連続で運転した場合独特な「臭い」を発生し、ユーゲント日本支部の青少年を心配させたんですよね(takukou、当時ヒットラーユーゲント秋田支部構成員)

「キングタイガー」重戦車の高性能はすさまじく、どんな地形でも軽々と踏破し、操縦は2つのレバー操作だけで簡単、故障は皆無で地雷原すらへっちゃらであったと言われる。しかし無理をすると履帯が外れる癖があり、これには起動輪に環状リングを装着する事で防止出来たと言われる。またその動力は電動モーターであったとする説もありこれを支持する兵器研究家も多い。

↓×5と×4。こらこら、誰が書き込んだかしらんけど。最後に(ホント)って入れなきゃ駄目でしょうに、怒られちゃうよ。(takukou)

ドイツの突撃砲や駆逐戦車は固定砲塔の為左右の敵にいちいち車体の向きを変えて応戦しなければならず、頻繁に車体を左右振り回して応戦するうちに視界の悪い操縦手が空間識失調を起こし、気が付くと横向きや天地逆さまで走行している突撃砲が希に見受けられ問題化したそうである

↓しかもそれを人工衛星から見た米軍は、その機体に「ナ○トレー○ン」となずけたらしい。(ゲーム:エース3ネタでゴメン)

Su-35は任意でブーメラン回転が可能で、そのせいで、機体上面・下面に渦巻きを書いた機体があるらしい。

「ロンメル駆逐戦車」の名称変更には異説があり、当初は量産型でもV号駆逐戦車「ロンメル」のままであったがロンメルがヒトラー暗殺未遂事件に参加した疑いで自殺した為、慌てた兵器局が「ヤークトパンター」に急遽改称したとの説に根強い支持がある事を付け加えておく。

ドイツが大戦後半に試作した「キングタイガー重戦車」と「ロンメル駆逐戦車」は当時として隔絶した高性能を発揮し大いに期待されたが、あまりの高性能故に量産困難であり、これをスペックダウンした車両が「ティーガーII」「ヤークトパンター 」と改称され量産されるに至った。しかしその隔絶した高性能を惜しんだ日本の某模型メーカー社長の強い希望により戦後プラモデル化され世に知られる存在となった。

ドイツの有名な「パンツァーファウスト」は実は潜水艦でこっそり日本にサンプルが送られテストもされたが、試射を見学した陸軍高官が「こんな立派な兵器を【使い捨て】にするとは何事か!」と激怒し、「筒の部分は使い捨ての場合は強化竹製にする事」「アルミ製の発射筒は再使用可能とする事」「弾頭部は陶製とする事」の和製バージョンの要求を出し、遂に戦争に間に合わなかったと言う。

F−111戦闘爆撃機のコクピットは,そのまま脱出カプセルになっているが,その性格上,敵地単独侵攻任務が多いEF−111レイブンのコクピット部分は脱出後,小翼が張り出して短時間飛行する事が可能であった。湾岸戦争中,イラク奥地でエンジントラブルにより1機のレイブンが失われたが,パイロットはコクピットごと脱出,追撃のMiGをかわしてサウジまで辿りついた。その状態でMiGを撃墜したとの情報もあるが,これはさすがに眉唾モノである。(虎ノイ)

ドイツの有名な「パンツァーファウスト」は実は潜水艦でこっそり日本にサンプルが送られテストもされたが、試射を見学した陸軍高官が「こんな立派な兵器を【使い捨て】にするとは何事か!」と激怒し、「筒の部分は使い捨ての場合は強化竹製にする事」「アルミ製の発射筒は再使用可能とする事」「弾頭部は陶製とする事」の和製バージョンの要求を出し、遂に戦争に間に合わなかったと言う。

ドイツの有名なハーフトラックは実は前輪無しでも走行が可能である・・・(案外とホントだったりして^^;)

大戦中、アメリカ陸軍は火炎放射戦車の研究用にイギリスから車両を購入したが、注文書の記載ミスにより多く買い過ぎてしまった。このミスを隠蔽するために陸軍は余剰分を白く塗装し、ニューヨークの下水道に捨てたという。

↓↓かかる妨害に耐えるシステムがフィンランドで開発され、世界中に無償で提供されて各地で独自の発展を遂げ、ECCM技術の基礎となるのだが、それは戦後の話。

(↓赤城飛行甲板)その機能があったのは事実ですが,対艦モードでは砲塔位置が高くなって安定を保てないため,同様の機能を持つ加賀とドッキングして双胴船型になります。ドッキング作業時に視認性が良いよう,船体は赤く塗装される予定でした。

少子化による将来の人員不足に備えて自衛隊では密かにクローン人間の研究に取り組んでいたが、倫理的に問題があると指摘されたので、現在では人間とバッタのあいの子である仮面ライダーのクローン化に取り組んでいる。

↓再起動後のスキャンディスクによってさらなる被害を蒙ったと言う。

英空軍「ウインドゥ」の妨害を受けたドイツ軍レーダーの表示画面は真っ青になり、再起動を余儀なくされたという。

そんな馬鹿なことが、ある訳ありません。少しは真面目な話が出来ないんでしょうか。呆れたものです。そもそもドイツ陸軍の八輪装甲車が最も実用性を発揮したのは、何と言っても八つある転輪の内の一つを外した状態であり、私はヨナガで魚介類を焼くのに重宝しておりました。 BUN

↓(x2,x3)みなさんいい加減なことを言ってはいけません。マニュアルによれば「SdKfz.232 は戦闘時車体中央で分離させ前後車両が連係して攻撃をかける。ただし本体分離前に砲塔を射出しておかねばならない。この砲塔は反重力装置によって浮遊し本体と合わせて三身一体の連係攻撃を構成する」だそうです。しかしゲーリングが浮遊砲塔を空軍の管轄に入れてしまい、砲塔を浮遊させる為には砲塔員に空軍兵士を配属し、所轄空軍司令の出撃許可を得る必要があったため結局実戦では使われなかったというのが真相なのです。なお、この浮遊砲塔の技術が戦後アメリカの円盤研究に使われたことも付記しておきます(ささき)

末期の日本軍は本土決戦用に小型球体に改造生物を入れ、戦闘時に戦わせる歩毛止門酢他ーを開発していた。

↓手許資料には、アコーディオン構造であったとありますが?比較的良好な路面で大量輸送をする場合には、伸ばしたまま走ったとか。(Schump)

ドイツの8輪装甲車は前後に操縦席があるが、両方で前進ギアを入れてアクセルを踏み込むと車体が中央から避けるので要注意だそうだ。

BT-7のキャタピラを外すと時速300キロはでるぞ(Yasuharu)

↓しかし図上演習で逆転された甲標的が自艦に突入、誘爆により空母4隻全滅の判定が下されこの計画は無しになったそうです(かっぱぎ)

↓もちろん本当です。某所で話題になった「回転衝角装備甲標的」にて敵主力艦の行動力を奪ったあと肉薄し砲撃戦に及ぶ計画でした(ささき)

赤城の飛行甲板、裏返って14インチ連装砲塔5基10門の対艦モードがあるって聞いたのですが本当でしょうか?? 設計図らしきモノも存在するようですが・・・

大戦末期に投入された水中高速型Uボートは対潜哨戒中のソードフィッシュを追い抜いた事があるらしい。(かっぱぎ)

↓だってユキちゃんいつも俺のこと強姦魔みたいにいうじゃないか。(馬鹿夫)

↓イヂメないで。(ユキちゃん)

↓いやマジで聞いたんですよ。(ウマシカオ)

割り込まれた(ウマシカオ)

↓↓ですから、ウマシカオさん。愛のないツッコミはやめて下さい。(雪風2)

↓の数誤りです。

↓今、調べてみたんですが、スコルッツェニーの『あなたのパンターをシャーマンにする方法』が盗作か否かがニューベリング裁判で争点になったそうですね。結局、“基本性能が根本的に違うので条約違反にはあたらず”という判決だったそうですが、納得できないパットンは後年、マスコミに訴えて再度スコルッツェニーを告発しようと運動を開始した矢先、亡くなられてたということです。晩年のパットンには、背の高いドイツなまりの初老の男の影が常に付きまとっていたそうです。(雪風2)

↓*3「豪徳寺」→「徳大寺」ですか?(ウマシカオ)

↓の数誤りです。

↓↓ですが、ベトナム戦争中の北爆作戦「ラインバッカー2」中において北ベトナムはSAMで15機のB-52を撃墜しましたが、それ以外に地球に向けて降下中の銀河鉄道999を誤って撃ち落してしまったそうです。

↓↓一本とられました。(少し悔しい雪風2)

↓そんなワケで、豪徳寺テイストで“間違いだらけの戦車選び”を、誰か書いてくれ。(雪風2)

↓ズレちゃいましたね。その本に対抗して出されたのがスコルツェニーの名著「あなたのパンターをシャーマンにする方法」という事は私も知っています(ささき)

↓その本のタイトルは、56年前にパットンがG.C.スコットのペンネームで著した『あなたのシャーマンをパンサーにする方法』のパロディです。(雪風2)

↓↓日露戦争時ロシア軍の機関銃座を制圧するため、日本陸軍に従軍していた花火師のアイデアで手榴弾を投擲する火薬筒が現地製作され使用された。その後、第一次大戦時に膠着した塹壕戦において有効な兵器を模索していたフランスは「手榴弾投擲筒」の存在を知り、研究改良を重ねて近代的迫撃砲が開発された(ホントらしい…ささき)

先日書店で「あなたの息子をタイガーにする方法」という衝撃的なタイトルの書物を発見した。ゴルフ関係の書物と共に並べられていたので素人はタイガー・ウッズ式のゴルファー養成ノウハウ本と思うであろうが、それはきっと世を欺くための巧妙な欺瞞であり、実際には精神操縦式に改造したPzKfw.VI戦車に自分の子供を制御装置として組み込み、来たるべき侵略者との戦闘に備えるための手法が紹介されているのに違いない…(ささき)

パンツァーファーストは花火を参考に作られた。試作品ではまず前にドラゴン花火の様に火花がでて敵を幻惑、遅れて後部のロケットに点火し、火の玉が飛んでいくというそれはそれは見栄えのいい物だったが、幻惑効果および自身の隠蔽効果を全て返上するという潔い姿勢が疑問をもたれて廃案になった。

Uボートによって大西洋輸送路がズタズタに引き裂かれていた頃…潜水艦を恐れる必要のない「空の輸送船」を目指し、熱烈的愛国者にして大富豪のハワード・ヒューズによって作られたのが全木製8発の巨人飛行艇「H−1ハーキュリーズ」、またの名を「スプルース・グース」である(ホント;ささき)

↓で、当然「ZZトリアエーズFF」もご存じですよね?(しかし、前のスレッドではガンダムネタは禁止になったはずなんでこのネタはよした方が良いかと)

Zガンタンクってあったのは、皆さんアニメ好きだから知ってるよね〜ん(takukou)

米潜水艦によって海上輸送路をズタズタにされた日本ですが、それに対抗する輸送手段として開発されたのが銀河鉄道999だったそうです。しかし完成する前に戦争は終わってしまい戦局の挽回に寄与することはありませんでした。

日本陸軍はティーガー戦車をコピーし北海道用冬季白迷彩したものを白虎隊と呼んだ。

日本陸軍での鉄人28号計画は衆知の事実だが更に777部隊で売虎萬(ウルトラマン)計画まであったのは知られていない。

↓↓そしてみんなで「アジト3」をやっている

↓ちなみに社屋内に地獄大使館が有るとか無いとか・・・

T製薬は実はショッカーである(鷲のマーク)。そして自衛隊用に改造人間を製造している。

小笠原さん、ごめんなさい。書き込みのルールを間違えていました。私の発言の末尾に(ホント)とつけ加えて下さい。(ホント) BUN

デファイント開発中に、「この機体では下方への死角が問題になるであろう」という批判が持ち上がった。そのため、上下に動力銃座を装備したデファイントMkIIcが本命として着着と準備が進められたものの、残念ながら日の目を見ることはなかった。(こてらじ)

戦後、空技廠からT薬品工業に移った技術者は苦心の末、栄養ドリンクを燃料源とする小型近距離通勤用ロケット「桜花2000型」(通称マルちゃん部品)を完成させた。同社ではこのロケットを改良して、ライバルのT製薬(鷲のマーク)に片道攻撃をかけたが、ファイト一発と叫ぶ青年二人組が突然タイミングよく現れ、阻止されてしまった。(くろねこ)

航空自衛隊は沖縄沖で回収した水爆を保有しているらしい

↓最近、視界の中に何時も敵機が見えるので、先週眼科にいったら「飛BUN症」と言われました。(ホントです)(無頼庵)

↓駄洒落が言いたくて頭痛がする程だったのです。元帥、許してね。BUN

僕がドイツでホームステイしていた頃、とても印象的だったのは日本との根本的な文化の違いだった。僕がお世話になっていた家でも、ドイツの友人達も、みんなホテルでもレストランでも、必ず「戦車優先」だということ。軟弱な日本では全く考えられないが、ドアを入るのも「戦車優先」、席に着くのもことごとく「戦車優先」だった。成る程、これが「パンツァーファースト」って奴なんだなと感心したのを覚えている。  BUN偽元帥

ロシア帝国は日露戦争以後も日本への警戒を怠ってはいなかったが,バルチック艦隊の再建が急務であったので,第一次大戦中までウラジオの極東艦隊には主として小型潜水艦(カープ級等)を配備していたのみであった。ロシア革命とその後のシベリア出兵のドサクサで,これらの中小型潜水艦は帝国海軍が一時的に(極秘裏に)管理する事になり,海軍はこれを参考に中型潜水艦を試作した。これがいわゆる露西亜型潜水艦の発祥であるが,「露」の文字は問題があるとして,「呂」の文字を替わりに当てて使ったのが「呂」号潜の名称の由来である。(虎ノイ)

日本の大型潜水艦は、イタリアから技術供与を受けた為、「伊」の頭文字が付いた(無頼庵)

↓訂正 何かの本で(ホントに)読んだ記憶があります・・・

↓この話、聞いたことがあります (船ゆーれい)

武蔵はシブヤン海で完全に沈没したわけではなく浮遊していて世界中を放浪しているらしい。

長い間某宇宙戦艦に改造されたと思われていた「大和」だが、最近の調査で船体が二つにさけていることからあれは「武蔵」だというらしい・・・

イラン・イラク戦争時、イラン空軍のF-14は、スペアパーツと後席要員の不足からAWG-9火器管制装置の受信側の機能が使えなかったため、レーダーの強力なマイクロ波を全開にしたままイラク軍陣地上空を低空飛行、「電波系地上攻撃機」として使われたという。(Schump)



(ミリタリーウソ特集)歴史の真実の中に埋もれたトンデモ系ミリタリー逸話話を募集
戦史系ウソ話兵器系ウソ話
(出題者)ここまで盛況になるとは思いませんでした、出題者としては感無量でございますm、付きましてはあまりにも長大なスレッドになりすぎましたので新たに「II」作りました、ここからは「II」の方に書き込んでやって下さいましm(_ _)m

↓×6 補足しますが、既に隊員の募集が始まってる様ですね。なんでも、一定期間PKO等に従事すると日本国籍が貰えるということで、競争率はかなり高いようです。これ以上は書きたくとも自主規制(takukou)

戦時中B-29にノーズアートとして半裸の女性が描かれたのは、迎撃にくる日本の戦闘機のパイロットの注意力を散漫にするためであった。日本の戦闘機パイロットは誤って自分の引き金を引いてしまう者が続出し、B-29のことを「超空の妖精」と呼んでいた。

第2次世界大戦でフランス陸軍はツール・ド・フランスの選手を集めて自転車化歩兵師団を編成した。(アンギラス)

第2次世界大戦でフランス陸軍はツール・ド・フランスの選手を集めて自転車化歩兵師団を編成した。(アンギラス)

ルーズベルト大統領在任中の死去は、宮内庁による呪詛によって挙げ得た数多い戦果の1つである。アメリカ軍エクソシストによる攻性防壁を突破するため、畏れ多くも天皇陛下おん自らがお手を患わせて藁人形に五寸釘を打ち込んだのである。

日本軍ドイツ軍は連合軍の暗号を完全解読していたが膨大な連合軍の戦力が国民にあからさまになるのを恐れ解読不能とした。

近頃旅団に格下げされた元陸自第13師団は来年度さらに「第13准旅団」に再編成され海外派遣専門の外人部隊になるらしい。

朝日新聞はもともと日本海軍の機関紙だったが、評判が良かったので一般にも販売されるようになった。DEK

実は乗っていた駆逐艦の速度計が故障していたため,出るはずがない「31ノットで航行中」と司令部に報告してしまい,有名なあだ名になったアーレイ・バーク(虎ノイ)

97式艦攻のコードネーム「Kate」はマッコイ部隊のメンバーに所属していた女性の名前から付けられた。もっとも被撃墜数が増えるに従い、彼女の機嫌は悪くなっていったという。残念ながら彼女はハップ・アーノルドでは無かったため、コードネームは変更されることなく終戦まで使われた。

二式戦のコードネーム「トージョー」は、当時東京日々新聞に二式戦が”陸軍新鋭戦闘機登場”と掲載されたのを日系二世兵士が勘違いして付けられた。DDT

私はハワイに在住していた学生時代、アリゾナの重油を「足す」バイトを毎夏やって小遣いにしていました。BUN

20年ほど前、日本でも自衛隊装備品に人名を付ける事が決定されたが、山田戦車撃破とか、(護衛艦)大神に(ヘリ)西園寺がランデブーなど、なんか嫌になったので2ヶ月で廃案になった。

皆さんお上手で嘘とは思えないお話ばっかり(嘘つけ!!)。おかげでWARBIRDSのどこを読んでも、あのQ&Aを読んでも、頭から信じられなくなってきた。高校の文化祭でサークルの展示の一部に冗談コーナーを設けたら、我がサークルの全展示が嘘と思われた事がある。近くのミッションスクールのお嬢さん達が交換留学生の金髪のお嬢さんを連れてきてくれたのに笑うばかりで、我が研究成果(WARBIRDSじゃないよ)をちっとも信じてくれなかった事を思い出す。SHI

スコルツェニーの特殊部隊は、実はゲルマン流忍術を操る忍者部隊だったらしい。(GGネタ。”&”)

グラーフツェッペリンを完成できなかったのはUボートに乗組員を取られてしまったからとか。今月ミリタリーエアクラフト掲載の空冷Bf109は零戦を参考にした艦戦型案でBf109Tより先だったとか。(もっともらしいウソ)

スペースシャトル、チャレンジャーでオニツカ少佐らと散った小学校の先生、ミス マッコーリフは101の副師団長マコーリフ准将のお孫さん。(このマッコ−リフ先生の件、あれ以来ずうっと縁戚ではなかったのかと気になってしょうがないSHI)

↓この時、本来の101師団長マックスウェル・テイラー少将は本国におり、有名な「ナッツ」回答は師団長代理のトニー・マコーリコフ准将によって為されたというのは有名な話。しかしよく調べてみるとドイツ軍使と会見したマコーリコフ准将は本人ではなく、実は妻の名を呼ぶ佐伯善造であったことはあまり知られていない。 BUN

バストーニュで最も有名な台詞「ナッツ!」は、長引く戦闘により、食料の缶入りナッツが切れてしまい、缶入りナッツが大好物の師団長が「ナッツを持ってくるのなら降伏しよう・・・」と口にしかけたのを副官が敏感に察し、自分のなけなしのナッツ缶を見せて「クラウトなんぞにたかがナッツのために降伏してはいけません!」と師団長を奮い立たせたことから生まれたものである。(カシューナッツが好きなATsu)

大戦時、日本から大量の偽情報が発信され敵を混乱させていた。アメリカ側はこの偽情報発信者をコードネームで「B・U・N」と呼んでいたという(すみません。決して悪意は無いんですぅ)

↓↓、↓↓↓ つまんない上に、内容も不適切かな。みなさんゴメンね。DEK

大和が天一号作戦で沈められる事を求められたのは、数百年後のガミ○スの侵略に備えて艦体を保存しておくためだったらしい。つまり当時の日本の諜報部はガ○ラスの侵略の情報を入手していたらしい。(”&”)

山下将軍がパーシバル将軍に「イエスか、ノーか」と降伏を迫ったのは、パーシバル将軍が優柔不断な態度を示したからではなく、山下将軍が前日に腐ったバナナを拾い食いして、当日は下痢を起こしていたので、トイレを我慢することができなかったからというのが真相らしい。DEK

「長いナイフの夜」はヒトラーとレームの間の痴情のもつれから起きたというのが真相らしい。DEK

真珠湾攻撃が軍令部で裁可されたのは、永野修身がポーカーで山本五十六に負けたから。(FIX)

すまん(Yasuharu)

↓それ、ジョークになりませんって。「ジョークで済む範囲で」お願いします。m(_ _)m(出題者になりかわり・SADA)

南京大虐殺はまぼろしだった。とか、(笑)(Yasuharu)

↓↓そうか やっと分かりました あの訓練は 凧に乗って竹槍でB29を落とす為だったのですね(Scylla)

マッカーサーが終戦で厚木に降り立った時の第一声は「芸者はどこだ?」だったらしい。ちなみにマニラ撤退時の「アイシャルリターン」は幼少から愛用のテディベアを置き忘れたため思わず叫んだらしい。

→。阻塞凧異談。川中島に現れた武田方のあの『あまかけるからくり』に上杉の若武者が乗り移って退治したという有名な故事と、石川五右衛門の故事とから有人阻塞凧に潜みB-29の開いた弾倉から乗り移って斬り込むという、成層神風上杉隊の構想が陸軍某中将から提案されていたらしい。SHI

ヒトラーの「我がドイツの国力は連合軍の20分の一以下である・・・」の例の演説は有名ですね。

かのメルダースの最期の言葉は「第三帝国に栄光あれーー!」だったとか。

太平洋戦争の緒戦においてマレー半島を席巻した島田戦車隊は,侵攻の速度が速すぎ兵站が追いつかなかったため,現地で食料と水牛を徴用して進撃した。そして,燃料が無くなった車両を牛に引かせて進めたのである。もちろん敵の攻撃から牛を守るために鉄の箱がかぶせられていた事は言うまでもない。これが伝わり「鉄牛部隊」の綽名が生まれたのである。ただし,これは進路が平坦な地形であったため成功した例であり,これを真似てビルマの山越えを試みた作戦は失敗に終わっている。(虎ノイ)

↓現在、眉毛を剃ってメキシコ国境近辺に潜伏、移民・不法入国者をオルグして合衆国に独立戦争を仕掛けようとしているらしいですが、今の所、噂の域を出ていません。(雪風2)

↓軍籍を剥奪された彼の最期の言葉は「こんな事もあろうかと思っていた」だと伝えられています(ささき)

↓しかし、かの技術将校は乗艦を勝手に改造したり、艦長に秘密で新兵器を管理したりと問題行動が多く、叙勲の対象となることもなく、歴史の闇に消えた。

レイテ沖海戦「謎の反転」、真相は米軍潜入部隊の技術将校一名とロボット一体が「大和」主機関の配線に逆回転工作を加えたためである。ちなみに彼らは技術将校の「手足だけ」を残して逃走、手足に仕込まれた爆薬によって証拠は隠滅されたという(ささき)

・敗戦前、遂にテンパッて荒唐無稽なアイデアを連発していた黒島亀人参謀の渾名は「逆探」であった(無頼庵)

「97式中戦車にはヤスリが立たなかったが、3式中戦車には易々とヤスリが立った」という司馬遼太郎氏の談話は、戦時中爆発的に進歩したヤスリ製作技術に彼が気付いていない為であった(無頼庵)

横須賀の下水道には白い海龍が増殖しており、市下水道局職員からマンホール点検時に目撃したとの報告続出。BUN

キスカ島脱出の際、米軍の電探が通用しなかった謎の濃霧の正体はプロレスラー・グレートカブキが、いつも入場前に口から吹いている「毒霧」であった。(無頼庵)

×一杯。東郷平八郎が仮面ライダーの変身ポーズを真似して「変身!」と腕を廻す様を、秋山は「変針??」と勘違いした・・・って、お後がちっとも宜しくないですね(無頼庵)

ワシは真っ白で巨大な潜水艦に船を沈められたんじゃぁ。なんとしてでもこの手で沈めてやるぅ(某駆潜艇乗り)

かつて、つかこうへい「広島に原爆を落とす日」の中で「閣下、空母「保谷」「板橋」「大泉」が救出に参ります」「そんな埼玉あたりの空母に乗って帰れるか!」というのがありました。

戦艦平沼。旧国名をもって艦名とす、という規則を破った画期的存在。「欧州情勢複雑怪奇」という名言を残した平沼総理を称えての命名。戦後では「貧乏人は麦を食え」の護衛艦「いけだ」、不沈空母「なかそね」が有名である。

↓ついでに申し上げますと、黄色人種を見下し、敵視していたヒトラーのナチスドイツと日本が同盟を結べたのも、油揚げ欲しさのロンメルがヒトラーに催眠をかけたためと伝えられております。

↓残念です。彼の異名「砂漠の狐」ですが、これは彼が御稲荷様であり、神通力を使って敵を欺いた事から来ています。影武者13人説も、神通力にだまされて広まった話と思われます。

神出鬼没のロンメルには影武者が13人いたらしい。

 大砲国家ソ連の首脳スターリンが巨根の持ち主であったことは有名な話だが、彼専用のコンドームはその特大サイズゆえ、弾頭用と装薬用、別々に装着する分離式であった[小笠原]

・山本五十六の左手薬指が欠損しているのは、日本海海戦での日進の主砲筒内爆発が原因であるが、実は海軍兵学校時代、ヤクザ相手のブリッジ賭博でイカサマがバレたせいで、既に小指を詰めていた(無頼庵)

・日本海海戦での敵前回頭の発端は、開戦前の幕僚の緊張を解すため、仮面ライダーの変身ポーズをマネしていた東郷平八郎を秋山真之が誤認した事から始まった。(無頼庵)

WW2でのイタリア兵は実は無茶苦茶強くて、あまりの強さに嫉妬した同盟軍のドイツ軍や敵の連合軍からその戦史は抹殺され虚偽の戦史にすり替えられた・・・・とか(でなければあんなに非常識に弱い訳はないのです、あれは明らかに情報操作が行われた証拠です)

戦艦ヒラヌマの撃沈とか?

他に書くコーナーが無いので仕方なくここに書きますが、英空軍の迷彩はスキームA、B等と分類されていますが、塗り分け曲線は繋ぎ合わせると南極大陸の海岸線と非常に高い精度で重なり、スピットファイア以前に人類は南極大陸を知っていた一つの証拠となっています。BUN

↓ゴメン、送信ミス(出題者)

↓冗談ですむ範囲にしときましょう^^;、「ユダヤ人虐殺はなかった」とかは無しに(出題者)

こっちは、そのまま火葬戦記って事でしょうね!

↓冗談ですむ範囲にしときましょう^^;、「ユダヤ人虐殺はなかった」とかは無しに(出題者)

第三帝國 アドルフ・ヒトラー総統閣下は、ユダヤ人の方々に対し、パンとサーカスを均等与え、安息の地へと導いた・・・とかですか?

(出題者)ここまで盛況になるとは思いませんでした、出題者としては感無量でございますm、つきましてはあまりにも長大なスレッドになりすぎましたので新たに「II」作りました、ここからは「II」の方に書き込んでやって下さいましm(_ _)m

↓↓国際空港として再利用されたのは太正時代に建造された空中戦艦だとする説もあります。

↓↓↓マジで、というのなら仕方がないでしょう。あの国では最近になって戦車戦のシミュレーターに「○ンツァーフロント」を採用したんです。なにせ、油もありませんから。で、日本から渡朝する人間は一人最低一個はPS2を土産に持っていく、という指令が出ているそうです。PS2が品薄の理由の一つですね。引田天候さんから聞いたんでホントですよ。(takukou)

↓米艦載機の爆撃により、東京湾にて大破着低。戦後、改造され、長い間国際空港として使用された。

大和型を上回る超超弩級戦艦「高天原」は建造途中で空母に改装されたが完成間際で終戦となりその後の行方が知れないそうですどなたかご存知ありませんか

↓↓マジで電子機器や燃料系で日本製の部品を多数使っている可能性あります。韓国仁川の上陸作戦記念館で北朝鮮スパイの装備品が展示してますが、日本のメーカー名の入った通信機器があったりするし。(アリエフ)

伊勢、日向を航空戦艦に改装する際、ゲッ○ー線を浴びせる、という計画が在った事は意外と知られていない。(”&”)

○ポドンの重要部品の大半は日本製であるという。

最近日本ロケットが失敗続きなのは某国工作員の暗躍であると思われる。

自衛隊ではガ○○ムによく似たものを1970年代に鹵獲しており、量産化を目指しているらしい。(滅茶苦茶でゴメン)

打ち上げ失敗で先行きが危惧されているH-2ロケットだが、実は防衛庁向けにICBMとして採用を働きかけていることはあまり知られていない。勿論核弾頭を積むことはできないので、代わりに叶姉妹や野村のサッチーなどを搭載する予定である。しかし、これは国際的に禁止されている生物兵器に該当するのではないかと危惧する意見も一部にはある。DEK

自衛隊では巡航ミサイルの開発を極秘に進めているが、その誘導装置の開発に役立てるために服役中のストーカー犯罪者の脳を分析しているといわれている。その結果、ストーカーは赤外線誘導タイプとレーダー誘導タイプの2種類に分類できることが最近分かった。DEK

米陸軍はマウス戦車に対抗してトムキャット戦車を試作しマウスをジェリーとよんだことは知られていない。

赤外線ホーミングのケ号爆弾は完成していたが太陽を感知してしまい命中率は悪かったという。

そういえば少し読み込みが重い。

関係無いですが、この設問への延べ回答が記録的長さですが許容量の限界とか無いんでしょうか?

あと,DB系が何故直噴かというと,あれは環境対策だけでなく低燃費も狙ってたんですよね。でも,だったら何故Bf109はあんなに航続短いんだ!?って疑問は御法度。(海野土左衛門)

↓いや〜CO2だけではないんです、環境対策は。DB601をライセンス生産したハ40ですが、日本に来た奴にはアイドリングストップ装置が装着されていたんです。で、巡航中に止まったりしたらしいです。昭和20年に親父が不時着した飛燕のパイロットに聞いたそうですから、多分ホントだと思います。(takukou)

第2次大戦中ドイツが戦車にガソリンエンジンを用いたのは当時既に厳しいCO2規制がドイツ国内では課せられていたからであり、満足な性能を有するディーゼルエンジンが造れなかったからだというわけではない。DEK

日本の小型空母に艦橋がなかったのは、少しでも空気抵抗を減らして速力を上げようとするためだった。

戦争末期、日本では兵器の生産が間に合わなかったので、指ピストルも正式装備として採用された。命中精度は抜群で、戦後も自衛隊で長期間にわたり使用された。DEK

赤城の20センチ砲が改装時も残されたのは対艦用としてでは無く、水平射撃で艦攻を撃墜するためであった。

昭和19年末、トラブル長引く「烈風」に代わる次世代主力艦戦としてグラマンF6Fのコピー生産が真剣に検討されていた事実はあまり知られていない。この計画には原型をほぼそのままコピーする(甲)案、日本パイロットの好みに合わせ胴体を再設計する(乙)案があり、制式採用の暁には前者は「洋風」、後者は「和風」と呼ばれる予定であった(ささき)

凄まじい弾丸シャワーを浴びせて一面を丸坊主にするという「バリカン砲」

↓そう、あの葉巻型胴体は本来、水素ガス嚢を収める為の物だったのです。(巣田)

↓外観も飛行船のような胴体になってしまって。

一式陸攻は主翼/胴体の空き空間に水素ガスを充填して揚力ならぬ浮力を稼いでいたらしい。このためちょっとの被弾ですぐ火が付き爆散したらしい。(巣田)

チャーチル戦車の前面装甲厚は、首相の面の皮の厚さを参考にして決められた。DDT

旧日本軍が、輸入武器を制式化するとき、通常ならメーカーの頭文字1字をとってビッカース機銃なら「毘式機銃」などとしたのだが、イタリアから輸入した爆撃機を「伊式重爆」と読んだのは、製造メーカーを誰も確認しなかったことを隠すためであったdg

軍艦の光学照準器具を作っていたのは日本光学だが、陸軍の双眼鏡を製造していたのは旭光学であるdg

↓このタイムスリップしたF-15による損害(確実撃墜15,損傷30)があまりに大きかったことに驚いた米陸軍航空隊、後に空軍はこの幻の戦闘機を撃墜できる戦闘機を作ることに執着するのである。その結果は・・・F4から始まりF22まで続く双発戦闘機シリーズである。(ATsu)

昭和20年2月3日にF−15の編隊がタイムスリップしてしまい、B−29迎撃に参加した。敗戦後、米軍はそれを見つける事ができず、「濃緑色イーグル」はどこかに隠れていると言う。

サイドワインダーには弾頭部の冷却を止めるためのリワインダーがついている。ウィングティップに搭載することも多いことから、商品名がサイド・リワインダー、読みにくいReを省略してサイドワインダーと決められた。

終戦前に長門から撤去されたサイダー製造機を元に三ツ屋サイダーは復興したのである。(ATsu)

TOWミサイルは鎖鎌のようにワイヤーを敵機に絡ませて撃墜するものである。

実は東京湾横断道路の海ほたるは、帝都防衛用の空母。

理研で開発に成功したのは”わかめスープ”だったとか。

昭和19年頃、理研で偶然から反重力装置が出来てしまったがどうしても大地に接地(アース)をとらないと浮かばず、ものにならなかった。装置そのものは戦後無知な米兵にシンクロトトンとともに破壊されてしまった。SHI

↓接地面に装甲板はって、機銃陣地へ突撃するんでしたっけ?満州方面での活躍が期待されたんですよね。(こてらじ)

↓いや、あれは平原での機動力UPのための秘密兵器です。(雪風2)

予科錬の生徒って、平衡感覚の鍛錬の為、パンジャンドラムの中で掴まっててクルクル回る訓練するんじゃなかったっけ??(無頼庵)

↓(こてらじ)

↓↓↓ケーブル省略型以降、弾頭がたんすの下にはさまったりして、紛失が相次ぎ、兵士達からは不満の声が高まったようですね。結果として使い捨て兵器として無くなっても、すぐ補充ができるような体制になったのですが、それまではメーカに補充部品申込み用紙を送らねばならず、大変面倒だったとパンツァー・ワイアーの手記にありました。

皆さんご承知でしょうが、パンジャンドラムの支柱にはぶっといワイヤーが装備されており、それを操作することによって兵士からまるでヨーヨーのように操作できたのです。この、兵器をヨーヨーのように扱う発想は、戦後日本のアニメ「コンバトラーV」や、日本のコミック「スケバン刑事」にうけつがれており・・・P-kun

↓またひとつ、ウチューのテクノロジーのベールが剥がされた。本人の不注意な発言によって。(雪風2)

↓↓「漢」のロケットパンチたるもの、攻撃後はきちんと元の場所に戻らなければなりません。そのため極初期型のパンツァーファウストにはちゃんと回収用のケーブルが付いており、これにヒントを得て戦後に有線誘導ミサイルが開発されたのです(ささき)

↓「ん0」?しまった。ランカスターの、です。(”&”)

パンジャンドラムは実は正式採用されていたらしい。日本本土上陸作戦の第一段階で空中投下される予定であったが、(そのためにランカスターん0の航続距離延長型が試作された。)日本の降伏のため作られたものは全てスクラップに。  (大嘘”&”)

「戦車げんこつ」で有名な独のパンツァーファウストは実は「ロケットパンチ」に憧れた一ドイツ技術者の発明品がヒントであった事は割と知られていない。当初は真に人間の拳の形状をしていたが量産型では生産性向上の為に単純な形に改められた。

A88は「地上空母」と「ドリルで地中を進む兵器」によって壊滅したとの未確認情報が入りました。(ドイツ空母ネタも私留萌)

実は「エリア88」は「エリア1」から「エリア99」まであるFBI極秘文書に記録された特異地域の中の一つを差します。この中では様々な未確認兵器や不可思議メカが目撃されており、「エリア45」では九州沖で沈没した巨大戦艦の残骸跡地が指定されているとの事です。また小笠原沖は「エリア38」と認定され、ここではドリル付き巨大戦艦が目撃されていますが詳細は未公表です。

↓某中東地方に存在すると言われる「エリア88」は、有名なアメリカ ネバダ州の「エリア51」と並んで未公表の秘密兵器が多数実戦運用された地域と言われて、今だ多くの学者やマニアの研究対象となっています。

2↓エ、エリア88ですか?

1958年12月に刊行発売されたAviation Week & Space Technology誌上で、ソ連の試作超音速爆撃機ミヤシチョフ・バウンダーは原子力機だと掲載されました。

ドイツの空母グラーフツェッペリンは完成していた。連合国ののスパイを欺く為ドックで建造されたが、実は船ではなくこれに巨大なキャタピラを取り付け、地上を走行させる計画だった。戦後ソ連に接収され原子炉を搭載し、後に某国に売却されたと言う。

英国の有名な大型爆弾「グランドスラム」には先端にドリルが付いた特殊タイプが存在したらしい・・・

3↓初期零戦に塗られたのは油でボクサーの顔に塗るのと同じく弾を滑らせて防弾するためである。(もちウソ)

「ハ43」搭載の烈風(A7M2)は調子が悪い時は零戦52型丙並の性能しか発揮しなかったが、その時の飛行は見なかった事にされた。

「誉」搭載の烈風(A7M1)は調子が良い時は紫電改並の高性能を発揮したが、その時の飛行は見なかった事にされた。

零戦の塗装の上には水飴が保護膜として塗られていた。零戦は飴色に塗られていた、というのは水飴による反射を言い表したものである。(ATsu)

ウソはどれだ?(疾風篇)@木製疾風A鋼製疾風Bスキー履き疾風C金星疾風

三式弾の開発には「玉屋」が動員された

(追記)なお、潜水艦に代えて先端にドリルをもつ超大型遠距離誘導魚雷を装備する計画であったとも言う。

伊戦艦リットリオ級の有名な「プリエーゼ式水中防御」の2重円筒は、実は内部に小型潜水艦2隻(左右で計4隻)を格納したものであり、艦隊決戦時にはこれを水中筒から発進させ敵艦を攻撃すると言う一種の「積極防御」を企図したものであったが、潜水艦で反撃出来ない航空機の雷撃の前には無力であった。

妙高型、愛宕型の後ろ向き3番主砲は艦橋に向けての誤発射を防ぐ為、砲弾を装填したまま反対舷に旋回させてはならない(ウソ)

戦艦ローマの艦首部分には(連合軍に降るのをよく思わないグループの手によって)電波誘導装置が仕掛けられていた。この誘導電波に誘導されてフリッツXは見事に命中したのである。ちなみにV1号、V2号にも同様の誘導電波受信機が搭載されていたが、電波発信源がイギリス側に完全に破壊されたため、命中率があれほど落ちたという。(ATsu)

↓主力汎用メカとして、ゲバラが量産体制に入ったとのウワサ。(雪風2)

 皆さん当然のことですから知ってるとは思いますが、現在いまだ共産主義国家が存続しているのは理由が有るのです。共産主義の指導者達の一部が冷凍保存されているのはご存知のとおりですが、実はこれらはメカに改造されており、共産主義国家の危機が訪れると、その国の指導者の掛け声一つで飛んできて,悪の資本主義国家の手先と戦っているのです.現在レーニン、毛沢東、ホーチミン、金日成、そして実は隠しでスターリンが改造されておりますが、最近ケ小平がこれに加わり、やっと合体が可能になりました。(ソ連が崩壊したのは、いままで5体しかなかったので、合体できなかったからです。)もちろん合体の合言葉は「六神合体!」です。P-kun

対戦車兵器RPGは、古い型になると再起動時にパスワードを必要とする。そのパスワードの事をなぜか「ふっかつのじゅもん」という(ギジェ)

富嶽を母機にロケット推進の一式陸攻で必殺の攻撃をかける神光特攻隊が密かに組織されたとか。

(兵器とは全く関係ないが)YS-11の背中のチャックを開けるとそこには、0系新幹線が…

単独のシュヴィムヴァーゲンでドーバー海峡を渡り切った漢の独兵もいたとか。じきに捕虜となったらしい。たんなる脱走兵かもしれない。

ロッキードPV-2の背中のチャックを開けると中からPV-1が・・・(しつこい)(Yasuharu)

↓性能の劣化した誉を積むより、重量が軽い火星を積んだ「下駄無し強風」の方が遥かに強かったと伝えられております。(SADA)

強風のフロートを岩などにぶつけて落すと、紫電なみの性能が出る(Yasuharu)

P-47の背中のチャックを開くと中からP-43が出・・・(Yasuharu)

一式陸攻の背中のチャックを開くと中からイリューシンIl-4が出て・・・(Yasuharu)

93式重爆の背中のチャックを開けるとK-37軽爆が・・・(Yasuharu)

↓防弾二重構造ともいうらしい。

烈風の背中のチャックを開けると、中から零戦が出てくる(ギジェ)

戦前のパリを知っている祖父から聞きましたが、シャールB1の車体後部のソリは超壕用では無く、例のパリ名物の縦列駐車用だったとのこと。BUN

海軍には試作昼間双発戦闘機「日光」があった。(中ウソ)

竹槍に火薬ロケットを装着した竹槍攻撃でB29を撃墜したことがあった。(小ウソ)

日本も極秘で原爆を製造したが重量10tで搭載可能爆撃機が無く使用されなかった。(大ウソ)

ランカスターはグランドスラム搭載時は補助ロケットで離陸したとか。(ウソ)

マグネトロン砲は実は怪獣向けに作られたらしい

震電はプロペラ吹っ飛ばしてから速くなる(ギジェ)

パンドラの箱から飛び出した「災厄」とは、イギリスの回転式自走爆弾である(ギジェ)

イギリスの阻塞気球は600個以上配備され戦果撃墜24機。He111に付けたのはフェンダーで気球のワイヤーを押しのけるものらしく重量増とバランスの悪さですぐに中止されました。(ホント)

↓やはりそうでしたか!というのも、私の祖母が10年程前に古傷(ブローニング機銃の貫通銃創)が悪化して亡くなったのですが、病床で「今だから話すが、戦争中武道館で皇国の決戦兵器を造ってなぁ」と話してたんです。風船爆弾では無かった様だし。皆さん、有り難うございました。明日、祖母の仏前に報告します。(takukou)

↓。北風で安定し、風向、風力が当時の手回し計算機で予測できた冬はおおいに防空の用を果たしました。春一番以降、予測が追いつかず、風の吹くまま状態になり繋留策がからまって喧嘩凧状態同士討ちしている隙に、敵機編隊の侵入を許してしまいました。川口市の荒川土手に当時の阻塞凧用の繋留杭が昭和30年代まで残っていました。成増から上がる飛燕部隊はこの阻塞凧に注意が必要だったと家の爺さんが戦時中、小林さんという戦闘機乗りに聞いたそうです。SHI

↓ふーむ、日本は特に関東は季節風が強いので気球より凧ですかね。史実での戦果は?

↓こんなところで真面目な話をするのも何ですが、日本もやってます。但し、日本は阻塞気球ではなくて、タコでやったんですね。カッターで切ろうとするなら、即喧嘩ダコです。受けて立ちます。BUN

そういやBオブBで多用されたらしい妨害気球は侵入高度が違うとはいえ日本本土防空戦では聞かないような。巨大カッター付He111みたいなカッター付きB29も見たかったような。

電探射撃の大口径弾を無数に浴びながらも悪夢のスリガオ海峡を脱出した航空重巡「最上」ですが、戦艦扶桑唯一の生き残りであるワタシの大叔父(ベルリン五輪シンクロ代表)のハナシでは。やはりRCSの大きい後部飛行甲板舷側に弾着が集中し艦の重要部は無傷で、そのために虎口を脱した可能性が大きいということです(takukou)↓↓陸軍でも燃料事情はすこぶる悪く、西戦車連隊唯一の生き残りであるワタシの祖父(ロス五輪相撲競技銅メダリスト)のハナシでは、硫黄島に配備された九五式軽戦車のエンジンはゼンマイであったそうです。が、やはりまともには動かずダックインでの戦闘を余儀なくされたのは皆さんご承知の通りです(takukou)

ソロモン海方面で白い気体が戦艦一隻他数隻を沈め、連合軍は「ソロモンの白狼」と呼んで恐れたとか…。(しつこいかな?”&”)

燃料不足に泣いた日本海軍はエタノールを使用したが燃料パイプから漏れるアルコールでアル中になる操縦員が続発し墜落する機が続発した。

終戦直前、粗悪な燃料から戦闘機の上昇力不足に悩む日本海軍では放球中止で余剰になった風船爆弾の気球部を零戦52型丙の胴体に試しに取り付けてみた所、高度1万mまでの上昇時間が松根油使用で55分から25分に向上し「何故に早く試みなかったのか?」と関係者に大いに悔やまれたと言う。(ただし、この「球付き零戦」を審査した古参搭乗員は日本の敗戦を確信したと伝えられる)

海の韋駄天者であればイタリア海軍の快速軽巡「カピターニ・ロマーニ」は、乗組員に十分な昼寝を与えパスタをたらふく食させた後は、同国初のジェット機「カプロニ カンピニN1」ですら追い抜く勢いを示したとの事です。

実用的な高高度戦闘機の不足に悩む日本陸海軍では風船爆弾が高度1万mまで上がれる事に着目し、陸海軍共同でこれを「高高度戦闘気球」とする計画を立案、三菱で陸軍の97式自動砲1門と射手1名が乗れる「ゴンドラ付き戦闘気球(5式戦闘気球)」が急遽試作されました。しかし放球実験では風任せでは敵機と思うような会敵が難しく、また太平洋に流されて未帰還となる気球も続出した為、審査では「風任せの気球は戦闘機には不向き」として不採用となりました。しかし燃料を必要とせず長時間の滞空が可能な気球戦闘機への期待は大きく、一時期は昭和21年春までに5000気球の配備が計画されていたとの事。

実用的な高高度戦闘機の不足に悩む日本陸海軍では風船爆弾が高度1万mまで上がれる事に着目し、陸海軍共同でこれを「高高度戦闘気球」とする計画を立案、三菱で陸軍の97式自動砲1門と射手1名が乗れる「ゴンドラ付き戦闘気球(5式戦闘気球)」が急遽試作されました。しかし放球実験では風任せでは敵機と思うような会敵が難しく、また太平洋に流されて未帰還となる気球も続出した為、審査では「風任せの気球は戦闘機には不向き」として不採用となりました。しかし燃料を必要とせず長時間の滞空が可能な気球戦闘機への期待は大きく、一時期は昭和21年春までに5000気球の配備が計画されていたとの事。

快速で有名なソ連のBT戦車は市街地を全速走行すると衝撃波で沿道の家屋を破壊する為、速度制限を設けられた初めての戦車だそうです。

↓↓英国では全速で逃げながら主砲を撃ったアーチャー自走砲が弾丸初速とちょうど同速だったため、弾は地面にポトリと落ちただけだった、という話も…(駐退器が運転席に当たる?それ何のこと?ささき)

(水素ガス充填の件)本土空襲時にB−29に乗員多数に目撃されたと言われるフーファイター(火球)は、日本機が少しでも上昇高度を稼ぐ為に主翼や胴体の空きスペースに充填した水素ガスが電気系統の漏電や静電気等で自然発火したものが「火の玉」に見えたとする説が有力です。

↓×沢山 チハ車はそうらしいのですが、I号15cm自走重歩兵砲やグリレを範に取った四式15cm自走砲では、祖父のハナシでは全速で走行中に射撃すれば飛翔中の弾丸に追いつき自爆するので走行間射撃は厳禁であったそうです(takukou)

(↓↓甲標的)ドリル甲標的の試作前後,陸軍の戦車技師が横須賀海軍工廠に出入りするのが目撃され,その後湘南・逗子海岸には海から上がり海へ戻る謎のキャタピラ跡が発見されたという。また空母信濃は横須賀出港直後に謎の物体に衝突され艦腹に上下2本の丸い孔が開き,ここへ魚雷が当たったため4発の被雷で沈没してしまった事実を知る人は少ない。

↓大和級戦艦の副砲装甲が艦形に似合わず薄いのも、飛翔させるため苦肉の軽量化を施した結果というのはもはやマニアの常識ですね(ささき)

定説ですが、帝国海軍は実は密かに超科学研究所による「戦艦砲塔の飛翔化」の実験をしていたのです。これにより敵艦を至近距離からの砲撃による撃沈をもくろんでいたのです。ESP能力所持者による精神力により飛翔を可能にしていたのですがなにぶんスピードがのろく、ESP能力者精神力もすぐに破綻してしまい、実験中にう海没事故が続出し、零戦との模擬空戦にも敗れてしまったため中止になってしまいました。しかし数度は全艦載砲の飛翔に成功しており、そのときはさながら今でいうファンネルのようだったそうです。これを戦後密かに知った富野善幸監督は機動戦士ガンダムシリーズに生かしたことはこれも定説となっております。P-kun

大和級戦艦には艦底部に秘密の艦橋があったが、戦闘時には水中衝撃波などですぐに全損するため乗員はここに配属されるのを何よりも嫌がったとか。(かっぱぎ)

↓×3「赤い彗星」のエースは戦後イランへ逃亡し、のちにイスラム教革命を起こしたとか…(ささき)

↓X4,ヘリウムガスに替えて,水素ガスを充填した零戦は浮力が大きくなりすぎたため,着艦時に浮き上がってしまう「バルーニング現象」に悩まされたそうです。(虎ノイ)

ドリル付きもあった甲標的には更にバリエーションがあり、母艦を必要としない「積極的」、主機を搭載しない「消極的」、潜水機能を持たない「好標的」、戦果が期待しにくい「悲観的」、気にしない営業向きな「楽観的」、結婚後5年も経てば「事務的」等が存在する。BUN

艦爆の彗星には仮面のエース専用に一機だけ真っ赤に塗装された通称「赤い彗星」が存在したそうです。(”&”)

M4だけでなく、チハ改の主砲も全速力で走行中に射撃すれば撃速が向上しM4の正面装甲を貫通可能でした。BUN

↓×3、しかし、アメリカが対枢軸国へのヘリウムの輸出を禁止したため、量産機では水素を充填せざるを得ず、被弾時の発火しやすさにつながったのですね.。

アメリカの誇るシャーマンの75o砲は1発でチハ車3両を串刺しにし、さらにその後方のチト車すら撃破した凄い砲です(takukou)

甲標的には1隻だけ、艦首の2門の魚雷発射管をドリルに変えた試作艇が横須賀海軍工廠で作られたと言う。

ドイツが誇るキングタイガー戦車の超砲身ハチハチ砲は、1発でM4中戦車3両を串刺しに貫通し、さらにその後方300mにいたM5軽戦車すら撃破した凄い戦車砲です。

・零戦の試作機は、機体重量を1グラムでも軽減するため、余剰スペースにヘリウムガスを充填していた。(無頼庵)

飛燕のラジエターは調理後食用可能!物が少ないだけに超高級料理で一般人にはさっぱり無縁。BUN

青森県立郷土博物館 工芸品展示室では鉄瓶と並び十四年式拳銃を代表的工芸品として展示中。とても鋳物に見えないと見学者に評判。BUN

伊58潜は前甲板の三基の回天発射後に「ひねり」を加え技術点を稼いでいた。BUN

九七式の装甲板の焼き入れは主に煙草の火を押し付けることによって実施されていたことが当時の作業員の証言から判明。後に三式に至り生徒指導係の勧告によって絶対禁止に。BUN

太平洋戦争末期、日本近海で戦艦大和に似た艦影で艦首にドリル?状の物体を付けた戦艦が度々敵味方に目撃されていたそうですが、詳細をご存じの方はいますか?

有名な小園式「斜め銃」ですが、海軍の月光で試射した弾丸が放物線を描いてて自機の上に落ちてきて自分を撃墜した機体があったそうです^^;。搭乗員は脱出して無事でしたが、次の出撃の時、撃墜マークに月光の形を書かれたそうです^^;

九七式中戦車の装甲板は焼き入れが通っているのでヤスリも立たなかったが、あまりに硬い焼き入れ処理のために衝撃に脆く、「あたたぁっ!」と気合いを入れて殴ると正面装甲が割れてしまったという…(ささき)

3号爆弾は、炸裂すると「金鳥の夏。日本の夏」という垂れ幕が開傘する(無頼庵)

↓×8 アクタン島に「不時着」し米軍に鹵獲された零戦も、実は「漂着」だったというのが定説になっていますね(ささき)

↓残念です。それは航続距離延伸改造を行った連山改との誤認と思われます。これは胴体延長、翼スパン延長、エンジン2基増設を行い、西海岸までの往復が可能なように作られています。なお、富嶽はあまりにも大きすぎ、製造技術すら無い状況でしたが、高出力ターボファンエンジンの実用化や製造技術の進歩に伴い、民間使用に耐える物として改設計がなされ、現在では製造権を取ったボーイング社によって747として製造が続けられています。

富嶽1号機は極秘に完成していたが空輸中継基地で米軍に鹵獲されB36になったらしい。

秋水は地上走行テストで音速を超えたという。

キ109には試作で20cm砲搭載型があり飛行中に発射すると反動で失速したという。

特殊攻撃機「晴嵐」のフロートと垂直尾翼の先端は敵機に追尾されると切り離し投棄が可能(T-T)

一式陸攻は敵に打たれるとほぼ必ず煙を出すことから葉巻と呼ばれましたが、海軍工廠で作られた機体が必ず一中隊に一機存在し、これは派手な炎を上げる為ライターと呼ばれたそうです。そう、陸攻隊は戦場の産土神に捧げる煙草セットであり、乗員は人柱だったのです・・・(T-T) (SADA)

 ノースロップではM60にP-530コブラを乗っけたものを試作していたようですが、軍からは名称をもらえなかったようです。

徹底した軽量化を目標に開発された零戦は、実は水上に不時着しても完全に浮いていることができた(実際には三菱製造の一部の機体。二一型で約10%、五二型で約2%の機体だけが「当たり」だった)。また、極一部の熟練したパイロット達はその特性を巧みに利用して「離着水」する芸当ができた。零戦の長大な行動範囲の広さの本当の秘密はこの機体特性と緒戦時のパイロットの技量によるところである。実際には零戦の航続距離はあまり大きくなく、予想される飛行経路上に予め燃料を積んだ船舶やイカダを配置していたのだ。二式水上戦闘機は「特技」を「一般的な技」として活用するために開発された。戦局の悪化にともないパイロットの技量も低下し、希有な性能を作戦として活用することは不可能になった。このことは戦争中から極秘事項であり、戦争を生き抜いたパイロットは現在でも「訓練で滞空時間12時間を記録した」等、頑として真実を語らない……。

そう言えばM60の車体上にAH−1コブラの機体を載せた「コブラアタックII」がベトナム戦争当時に試作されましたが価格高騰を理由にこれもキャンセルされましたね。

↓↓誤植のお知らせです。“飛行砲塔が「コブラアタック」”→“飛行砲塔が「コブラトップ」”です。なお、「コブラアタック」とは、合体時の呼称です。(雪風2)

 ↓先に書かれちまったよ、ド畜生ォォォォ! そうそう、このコブラアタック、三年くらい前のグランドパワーに図面が掲載されてましたね(・▽・)[小笠原]

↓分離後は車体が「コブラ・ベース」、飛行砲塔が「コブラ・アタック」と呼ばれる予定でした(ささき)

変わり種戦車ならM3スチュアート軽戦車の車体上全周ターレットにP-39エアロコブラの機体をそのまま載せた「分離式飛行戦車」なるものが大戦直前に試作されましたが、ベースとなるM3軽戦車の車体が小さ過ぎる事、中戦車ベースにするにはP-39の37mm砲では火力不足な事、火薬式射出機構の作動不良とP-39自体の性能不足もあり、結局は2000両の発注予定は全てキャンセルされました。

 多砲塔戦車T-35は、複数の砲台がそれぞれ浮遊した状態でのオールレンジ攻撃を可能とした世界初のサイコミュ戦車として開発されていたが、操縦者養成機関であるニュータイプ研究所がスターリンの大粛正により消滅したため、そのあおりでT-35のサイコミュ戦車としての命脈もたたれてしまった[小笠原]

(↓x3)それは愛知で1機だけ試作された単座型流星改(ハ43のB7A3改造機)の誤認ではないでしょうか?、烈風に匹敵する空戦性能を出したとの噂ですが評価試験の為に信濃に積まれたまま一緒に海没した謎の機体です。

大馬力エンジンと大直径プロペラが売りなF4Uでは翼を折り畳んだままでも離陸が出来てしまいます。うっかり畳んだ主翼に気づかずに離陸するパイロットが後を絶たない為、スターターボタンを押しても主翼を畳んだ状態ではエンジンがかからない様に現地改修したそうです。

 BT戦車はキャタピラを外すと、装輪車として運用可能である・・・ しまった! これは真実だった![小笠原]

私は雷装が施された烈風(単座雷撃機として秘密裏に量産されたようです)が紫電改艦載型とともに信濃に搭載され、横須賀を出航するのをこの目で見ました。(てー、これ←側か?)

 米海軍機の機体色。あれは一番最初に乗ったのがランバ・ラルだったのでそれ以降すべてあの色で統一された[小笠原]

Do335の操縦席にはシフトレバーがあり、ギアをバックに入れると後ろ向きに飛ぶことが出来る(無頼庵)

零戦52型丙の極初期生産型はロケット排気管にアフターバーナーが付いており、短期間なら時速 800Km/h 以上まで加速できました。しかしこれを試したパイロットの多くが操縦不能・空中分解により還らぬ人となってしまったのと、生産簡易化のため廃止されたので現在ではほとんど知られていません(ささき)

↓なお、量産品においては「故国に帰りたい」という米国籍の捕虜を乗せていたと言う事実が存在します。彼らは与えられた糊と和紙を使って必死で風船の修復をしながら漂ったのでしょう。さもなくばあんなはりぼてが米本土までとどくわけが有りません。

「風船爆弾の試作品には有人タイプがあって、囚人を乗せて密かに飛行実験が行われた」・・・ってのは書くとやばいかかなぁ^^;

楽しくやろう、との提案は常時受け入れますが、虚構の話を面白おかしく書き込んで、いったい何の益があるのでしょうか。些か不愉快です。こういう企画があると、せっかく資料を調べて「99式の実包は図面での要求寸法は7.7777...mmと、どこまでも割り切れず、縁起を担いでいる」等と言った事実を発掘しても誰も信じてくれないのではないでしょうか?BUN

大日本帝国海軍の誇る新鋭機・紫電改に搭載されいる自動空戦フラップの制御には、ジャンケンで負けた川西社員からホジクリだした脳髄が使用されている(ヤバいっすか?ヤバいですよ・無頼庵)